一枚の写真から     
                      GWゴルフ旅行

                                     末光清貞




 この写真は平成元年1989年4月29日、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジで撮影したものです。
ゴールデンウイークを利用してアメリカへゴルフ旅行へ行った時の写真です。
写っているのは左から、河田実夫先生、私、近藤 一先生(伊予市)、窪田洋一郎先生、十亀俊夫先生、そして団長の鉾石武一郎先生です。
この写真には写っていませんが山内尚聡先生(今治市)がシャッターを切っていると思います。
 もう一枚はその夜ペブルビーチのロッジのレストランでの一枚。
我々一行7名は4月29日の緑の日(前年まで天皇誕生日だった)に松山空港から伊丹空港へ、そしてユナイテッド航空機でサンフランシスコへ入り、ここゴールデンゲートブリッジへやってきました。
この後ミニバスでペブルビーチへむかいペブルビーチロッジに3泊しました。
スパイグラスヒルコース、スパニッシュベイコース、そしてすべてのゴルファーの憧れのペブルビーチコースでゴルフをして、その後再びサンフランシスコ空港へ戻って、ラスベガスへ飛んで、ヒルトンホテルへ3泊。
トーナメント直後のラスベガスカントリークラブでゴルフをして、途中1日はグランドキャニオン観光をして、サンフランシスコ経由で帰国をしました。
当時はまだバブルのころでこういった豪勢なゴルフ旅行も可能でした。
  ゴールデンウイークにゴルフ旅行に行くようになったのは昭和58年が最初でした。
私、窪田洋一郎先生、井関亮甫先生、十亀俊夫先生の4人でどこかへゴルフ旅行をしようではないかということになり、その時初めて沖縄旅行を決行しました。
4月の終わりなのに沖縄はものすごく暑かったのを覚えています。
しかし4人で松山を離れてゴルフをして、夜はおいしい現地の食事をして、その開放感はたまらないものでした。
その翌年、昭和59年には同じメンバーで香港へ行きました。
ロイヤルホンコンゴルフクラブ、ランタオ島のゴルフコースでゴルフをして、夜はおいしい中華料理、そしてマカオへも行ってカジノも楽しみました。
翌年からは団長に鉾石武一郎先生、それに河田実夫先生、山内尚聡先生が加わり香港、マカオ、中山へ行きました。
往路の大阪ー台北間の飛行機内では故村上郁夫先生ご一行様と一緒でした。
翌昭和61年には近藤 一先生が加わり台湾へ。
淡水ゴルフクラブでプレイをしました。
62年は再び香港で、ロイヤルホンコンゴルフクラブ。
63年はハワイへ行き、マウイ島のマケナコース、プリンスコース。
そして平成元年には写真のアメリカへ。
ペブルビーチ、ラスベガスカントリークラブです。
その後平成2年はオーストラリアのゴールドコーストとシドニー。
平成3年はニューヨーク、フロリダ、アリゾナまで足を伸ばしました。
平成4年マレーシアのクアラルンプール。
平成5年には増田公彦先生も加わりアメリカのパームスプリングス、サンディエゴのラコスタ。
平成6年オーストラリアのケアンズ。
この年だけ玉貫真比古先生が加わりました。
平成7年マレーシア。
平成8年プーケット。
平成9年の上海旅行までこのGW旅行会は15年間続きました。
その後はまとまってのゴルフ旅行はしなくなりましたが、ゴールデンウイークの旅行はそれぞれ各自で行っています。
この15年間私が企画、日程表つくり、旅行社へ依頼、また添乗員を務めました。
半年以上前にどこへ行くかを決めます。
ゴルフ場の情報や飛行機の便を調べます。
4月末の旅行ですが年内には予約を完了させます。
現地のバスやホテル、ゴルフ場の予約も、今はインターネットで簡単に出来ますが、当時は旅行社に頼んで行っていました。
旅行中は私が添乗員を勤めます。
食事などの際は私が全てを払っておいて旅行の後で清算します。
ゴルフのプレイは当然コンペ方式で、その集計や翌日の組み合わせも行いました。
夕食の時が表彰式でした。
部屋でゆっくり休んでいても、国際電話のかけ方教えて、とか、モーニングコールを頼んでとか、本職の添乗員と同じような仕事でしたが、当然苦にはならず楽しく皆さんのお世話をさせていただきました。
この旅行ではほとんどショッピングや名所観光はしていません。
朝起きて、朝食をとったらゴルフ場へ向かいます。
ゴルフが終わったらホテルへ戻って、プールへ行くか散歩をするか、部屋でのんびりします。
食事は大体午後8時から。
2時間くらいかけてわいわいと食事をして、余裕があればバーかラウンジで1杯。
そのころには皆さん目がつぶれかけています。
そういう何日間を皆で過ごすわけです。
今思い出すと実に楽しかったこの15年間のゴルフ旅行でした。
また最近は再開しようか、という話もありますが、時代は結構厳しく、また年もとって、さー実現できますかどうか??です。

(松山市医師会報第266号 2009年平成21年1月)