名 前
四季録


  かつて、「キャンディ栗田」という名前で演奏活動をしていた時代があった。
ジャズを始めた頃、本名を使うのに多少抵抗があった。「敬子」は祖父がつけてくれた名前だが、人から尊敬されるような人間になって欲しい、という思いを込めてつけてくれたこの名前は、その時の私には重く感じられたのである。それで、最初は「栗田K子」を使っていた。
 私が愛大特音に在学中、先輩に伊賀上紘滋さんがいらっしゃた。既に伊賀上さんはジャズピアニストとして活躍中だった。ジャズをすることに関心を持ち始めていた私は、乗りあわせた学内のエレベーターの中で「教えて下さい。」とお願いした。
 伊賀上さんのライブの時は附いて行き、前座で1、2曲弾かせてもらっていた。そうして少し自信がついてきた頃である。’81年5月「マーヴィー」という店でライブがあった。私はFのブルース「ナウ・ザ・タイム」とリー・モーガン(TP)の名演で有名な「キャンディ」を演奏した。この「キャンディ」の演奏が自分でも何をしているかわからない惨憺たるものとなり、少し持ち始めていた自信はもろく崩れ去ったのである。
 ジャズで演奏するスタンダード曲の多くは32小節で作られている。「キャンディ」は8小節ずつAABAという単純な構成なのだが、この単純さが、繰り返している内に災いとなるのである。曲の頭の’A’なのか次の’A’かわからなくなる。これを私たちは「今どこ現象」という。「今どこ現象」は初心者だから、というミスでもない。こんな話がある。大ベテランの森剣治(AS)が横浜のライブハウスで演奏中この現象に陥った。助けを求めようと振り向いてベーシストに「いまどこ?」ときいた。そしたら「横浜だよ。」という答えが返ってきたそうだ。わかりますか?この笑い。
 さて、このひどい「キャンディ」を聴いていた伊賀上さんが、「キャンディ栗田」の名付け親である。呼ばれる度にひどい演奏を思い出すイヤーな名前だが、語呂がよく、かわいいイメージだし、カタカナ名がジャズっぽい、と思って使うようになったのである。
 「キャンディ」の由来についてよく質問された。ひどい演奏の説明は面倒なので、「見かけのイメージよ。」などと適当に答えていた。が、年とともにその答えも厳しくなってきた。本名を使うことに抵抗がなくなっていた。今は「栗田敬子」を使っている。

栗田敬子 ジャズピアニスト