スウィング
四季録


 演奏を終えて、カウンターでマスターが出してくれたバーボンに口をつけた。「スウィングしてるね」これはジャズメンにとって最高のほめ言葉だ。スウィングは本来「揺れる」の意味だが、ジャズの特性の一つである音楽的躍動感を指す言葉として使われる。ジャズの楽聖デューク・エリントン作曲の「スウィングしなけりゃ意味がない」はタイトルそのものがジャズメンの永遠のテーマである。
 さて、マスターの櫻井康雄さんは、東京で杉原淳(TS)、佐久間牧雄(CL)などの一流ミュージシャンとプレイしていたドラマーである。三十三才の時松山に来られて、以来松山のジャズシーンには欠かせない人だ。今年還暦を迎えられた。九一年に「キーストーン・バー」を開店され、私は週一回出演している。櫻井さんも時々入ってくれる。彼が入ると音がたつ。洒落る。ジャズが沸き立つ。スウィングする。他の楽器と会話(インタープレイ)する。
 「古い話よ」と前置きしてのお話し。櫻井さんは鎌倉生まれ。十九才の時、お兄さん(B)が出演していた横須賀のクラブに顔を出しては使い走りをしていたという。「座っているだけでいいから」とウエスタンバンドに誘われたのがドラマーとしての始まりだった。
 ウエスタンバンドでそれなりにしていた頃、マックス・ローチ(DS)のレコードを聴いたのが転機になった。「こんな音楽があったのか!」と大きな衝撃を受けて、すぐにウエスタンバンドを止めた。それから櫻井さんは当時横須賀一と言われていたドラマー小林の傍らに張り付き、開店前の店でレコードを何度も聴いてジャズドラムの感性と技術を覚えた。見て聴いて盗んで覚える。それは洋菓子職人だったお父さんから彼が引き継いだ職人の習い性だったのかも知れない。そして「見て聴いて盗んで覚えろ」は、滅多に助言をしない櫻井さんの数少ない助言のひとつである。
 ジャズの本質であるスウィング感は音符通り演奏しても表現できない何かがある。教わって身につくものではない。音楽情報溢れる現在でも、この何かを得るためには、櫻井さんのように先人達の演奏をくりかえし聴いて身体にすりつけていくしかないのかもしれない。そんな櫻井さんに「スウィングしてるね」と声を掛けて貰えると本当に嬉しい。

栗田敬子  ジャズピアニスト