ジャズメンの服
四季録


 一九五〇年代のジャズミュージシャンは、マイルス・デイビス(TP)やアート・ブレイキー(DR)のLPジャケットに見られるように、細身のダークスーツに細いネクタイ。ビシッと決めたスーツ姿はフォーマルで紳士的だ。それでいて醸し出すサウンドは斬新で創造性に溢れている。私が一番好きなジャズシーンだ。そして一番ジャズメンらしい、と思うスタイルだ。
 七〇年代になると、シンセサイザーやエレキギターの電気楽器を使い、ロックと融合したスタイルのフュージョンが流行った。ジャズミュージシャンの服装はロックミュージシャンのファッションに近づき、TシャツとGパンが多くなった。
 私がジャズを始めた八〇年代前半はまだ「着飾ってジャズなんて真のジャズじゃない」「汚い格好でこそジャズだ」。そんな風潮があった。その頃の私もそうだった。毎月十数枚のレコードを買うのに精一杯で服までお金が回らなかったこともある。でも、本当はジャズをやっているって言う「つっぱり」が本音だ。おしゃれは心と私の音楽の中にのみあるのであって「服飾ではない」って感じかな。見た目のいい服はお呼びでなかった。
 八〇年代半ばになってファッションはカジュアルからエレガンスになった。世の中が気品を求めて華やかになった。それでも相変わらず私は服には無頓着を決め込んでいたが、偶然見たテレビの対談番組に感じるものがあった。漫才の内海好江の「芸人は借金してでも衣装にお金をかけないとダメよ」の言葉だった。「夢を売る・創る」という芸人としての原点の考えだが、聴き手の時間を借りて「夢を創る」点ではジャズミュージシャンも同じ。考えさせられた。演奏の時の服装は、芸術を志す人として芸術を行う場としての美意識が大切だ。演奏の場でのミュージシャンはおしゃれでありたい。TシャツとGパンはロックにはおしゃれかもしれないが、モダンジャズにはカジュアル過ぎると私は思う。モダンジャズはエネルギーの躍動や発散ではなく、どちらかというと知的で精神的なもの、と思うからだ。
 私はコンサートホールやホテルで演奏するときは、すっきりしたドレス。ジャズクラブではパンツスーツを選ぶよう心掛けている。

栗田敬子  ジャズピアニスト