ニューヨーク
四季録


  ジャズを演っているんだから一度はジャズの本場ニューヨークを見たい、できればピアノも弾ければ、そんな気持ちでニューヨークへ出掛けた。ジャズを始めて3年が経っていた。
 ライブスポット「ジャズ・カルチャー・シアター」へジャッキー・バイヤード(P)のビッグバンドを聴きに行った。休憩中トイレへ行くと、そのバンドで歌っていたヴォーカリストがいて、手にはワインが入っているとおぼしき紙袋。この店はお酒を売る免許を持ってないので、店内でお酒を出すことも飲むこともできない。それで隠れて飲んでいるのだが、彼女はたまたま入ってきた私にそのワインを勧めてくれた。片言英語で話していると、「このライブの後、ジャムセッションがある」と教えてくれた。ニューヨークでピアノを弾くチャンス到来!五、六ドルだったかなあ、参加料を払って受付をすませ、客席で待った。楽器を持った人たちが続々と集まってくる。ジャムセッション用のハウスバンドは、ピアノは日本人の男性、ベースは黒人の女性。人種のるつぼのよう。参加者はアフター・アワーズを楽しみにきたプロらしき人、労働者風のおっちゃん。雑多な感じだった。
 そんな光景を見ながら待っている私は、「旅の恥」だからと勢い込んで申込はしたものの不安で一杯だった。名前を呼ばれた。トランペットのおじさんが「”フォー”を知っているか」と聞く。マイルス・デイビスの曲だ。私は頷いた。あとは無我夢中。アドリブが終わって顔を上げるとペットのおじさんが微笑んだ。
 ただの既成事実だが、「ニューヨークでピアノを弾いた」という満足感はあった。が、あまりのレベルの違いに打ちのめされてもいた。「ジャズを聴くだけの人間でいる方が幸せかも」とも思った。有名ミュージシャンの演奏を聴いてのレベルの違いは納得できるが、それが名もないミュージシャン達だと、そのショックは大きかった。そのことで奮起するよりは潰された感じだった。
 完全にブルーになって帰ってきた割には、止めずに今も続けている。「音楽をするのが好きだった」の一言につきると思うが、生業としてやっていく内、音楽は「演奏家の自己満足に終わるものではない」「他の演奏家と比較される相対的なものではなく、絶対的なもの」「その対象は音楽をする人間ではなく、ごく一般の人たち」と、考えるようになっていた。あの時は緊張感と挫折感の苦い経験だった。今はどうだろう。ニューヨークのジャムセッション、また挑戦してみたくなった。

栗田敬子   ジャズピアニスト