ライブ
四季録


 徳島ジャズストリートに出演した。徳島ジャズストリートは夏と冬開催される。私は一九九二年以来、ほとんど毎回出演させていただいている。徳島ジャズストリートのライブはいつも大変盛り上がるが、初めて出演した徳島ジャズストリートの印象は鮮烈だった。
 夏だった。会場となるライブハウスは十軒。各ライブハウスは一時間ずつ四ライブ行う。四十ライブを二十五の出演バンドに割り当ててあった。まず、そのライブハウスとバンドの多さに驚いた。そして会場はどこも満杯だった。
 私は、高松の加藤雄二(AS)クインテットのメンバーとしてゲスト出演していた。一軒目でのライブを終えて、ミュージシャンの調子も上がっていた。二軒目に向かった。「ミスター・ベン」という店。カウンターの中がステージになっていて、しかもカウンターの外より中の方が広い。準備をしているときから、異様な熱気があり、期待感が伝わってくる。その空気が恐ろしくもある。テーマを演奏した後、アドリブをしていく。アドリブの終拍に、実にいいタイミングで「よっしゃ!」「もう、いっちょー!」と声が掛かった。声と同時に手が鳴る。ここで終われない。「よーし、やったろう!」。アドリブを続ける。一曲目からいきなりこの調子。拍手も掛け声も惜しみない。ノリのいい曲になると何人かが踊り出した。「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン♪」。阿波踊りだ。徳島の人には阿波踊りの神髄が備わっている。ジャズストリートはお祭りだ。ミュージシャンを駆り立て、自分たちも思いっきり楽しんでいる。見事な聴き手。こんなにミュージシャンと聴き手がひとつになったライブは初めてだった。
 演奏者の奏でる音楽が時間と空間を区切っていく。聴き手の生命力が加わって大きなエネルギーになり、強い鼓動が生み出されていく。聴き手が疲れていたり、気持ちが散漫だったり、生命力がなければ鼓動は生まれてこない。もし演奏者の生命力が足りなくても、聴き手のエネルギーによって強い鼓動を引き出すこともあるだろう。ライブでの演奏者と聴き手。立場の違いはあるが、そこに人がいる。ライブはそこにいる人による「時空作品」である。ライブで鼓動を共有すれば、きっといい作品が生まれるにちがいない。

栗田敬子  ジャズピアニスト