東京へ
四季録


 今日は四年に一度のおまけの日。月末がいつも慌ただしい二月だが、ちょっぴり得した気分になる。
 四年前の二月二九日、私は初の東京ライブのため、東京にいた。
 その半年ほど前、美容院で何気なく雑誌を見ていた時のこと。ある広告が目に止まった。「第一回ハイネケン・ジャズ・コンペティション・ピアノ部門募集!」。県内、周辺ではライブ活動をしているが、全国的な自分のレベルってどうだろう?「今さら」という気持ちもあったが、「確認するいいチャンス」と思い応募した。
 第一次はテープ審査だった。録音して送ってみた。しばらくして第二次(最終)審査会の案内が届いた。思わずガッツポーズ。嬉しかった。私を含めて九名が最終審査に残り、審査会は新宿の「日本テレビタレントセンター」で行われた。
 審査会場に入ると、審査員がピアノの前にズラリと並んでいる。ジャズピアニストのレイ・ブライアント、今田勝、小曽根真、大西順子など。ここでピアノを弾けるなんて何と光栄なことだろう。私は九名の中に残れただけで大満足で、緊張もするだろうけど、気楽に演奏できると思っていた。審査会独特の張りつめた雰囲気のせいか、自意識のせいか、実際は、指は固まり心臓が口から飛び出るかと思うほどの予想以上の緊張だった。いろんな場を経験してきたが、こういう状況でどんどんフレーズが閃き出るなんて絶対あり得ない。準備はしていた。でも足りなかった。自信のなさが一層の緊張を引き起こす。出来はどうあれ、やるだけやったという達成感が得られなかったのは反省すべきところだ。「継続は力なり」という言葉があるが、以来「練習は力なり」として自訓にしている。
 コンペティションの後、審査員のひとりで、高校の大先輩でもある岩浪洋三さんが声を掛けて下さった。「せっかく東京へ来たんだから」と銀座のジャズクラブ”アミズ・バー”へ案内して下さった。岩浪さんに、ずっと持ち続けていた「東京で定期的に演奏(仕事)の場を持ちたい」という想いを話すと、早速オーナーに頼んで下さった。オーナーは快諾。二月のスケジュールを決めて下さったのである。コンペティションでの入賞はなかったが、「東京のミュージシャンと同じように東京で仕事をする」という長年の夢がこの時かなった。

栗田敬子   ジャズピアニスト