されど東京
四季録


 ジャズを始めたときから、「ジャズを本格的にやるのなら東京でなければ」の想いは常にあった。でも、松山で演奏活動をしているうちにある程度したいことができる環境ができていた。いろんな事を捨ててまで行く価値が自分の中で薄まっていた。ミュージシャンが集まっている東京での演奏活動の厳しさも想像できたし、高い生活費を賄うため、日々生活に追われる姿を想った。十年前、自らの判断で「行かない」と決めた。が、東京へのコンプレックスのようなものは完全には消えてはいなかった。
 松山にいて、東京や海外のミュージシャンと共演の機会はしばしばある。もし私が東京にいたならそんな機会には巡り会えなかったかもしれない。「松山にいるからできる演奏経験」とありがたく思っている。だが松山で演る以上、「こちらの土俵に降りてきてもらってすもうを取ってもらっている」という意識はぬぐい去れない。「ミュージシャンの意識はどこで誰と演ろうと変わらない」と信じたいが、どこかに「地方のミュージシャンだから」という気遣いや区別を感じていた。
 あるコンペティションがきっかけとなって東京で演奏(仕事)の場を得た。東京へ通うようになってようやく、同じ土俵に上がっている気持ちになれた。同じ立場という意識が生まれた。決められた空間と時間の中で共に音楽を創るパートナーとして要求されるものも大きい。
 「東京に住まなければ」というミュージシャンの思い込みは以前より少なくなったように思う。現に、全国的に有名になっても東京に住まず、ライブの時だけ東京へ出掛けるミュージシャンは多い。東京への交通が便利になったこともあるだろう。都内で生活するための労力や時間を、自分と向き合うために使いたいと思うようになったのかもしれない。日本のジャズ音楽のあり方そのものが変化し、自分の中の音楽を見つめる時期へと移り始めたのかもしれない。
 ジャズは都会がよく似合う。ジャズのエネルギーが都会にある。人と人との摩擦がジャズをスパークさせる。わたしのジャズを見つめるところは、私の松山。されど、東京なんだなぁ。

栗田敬子  ジャズピアニスト