「音楽家としてあこがれの場所は?」と聞かれ「カーネギーホール」と答えるミュージシャンは多いと思う。私もそのひとり。
カーネギーホールは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの支援を受けて建てられ、一八九一年、チャイコフスキーの指揮で幕を開けた。音響、建物共に絶賛され「クラシックの殿堂」として知られるようになった。この「クラシックの殿堂」で初めてジャズコンサートを行ったのがベニー・グッドマン(CL)だ。一九三八年。当時ダンス音楽だったジャズの演奏など、思いも及ばないことだった。グッドマン自身も、ダンスをせずスイングを聴くなんて、人々がどう思うか不安だったようだが、結果は大成功。そして今やカーネギーホールは「音楽の殿堂」として世界に名高い。
私にとってカーネギーホールは夢のまた夢。そのカーネギーホールで演奏するから伴奏して欲しい、と母に言われた時は仰天した。母は大正琴の指導者だ。「外国で日本の文化を紹介するための演奏旅行」に何度か参加して、ローマ法王の御前やシドニーのオペラハウスなどで演奏している。今度はカーネギーホールで「エンジョイ・ジャパン・アット・カーネギーホール」というチャリティコンサートだと。とにかくカーネギーホールの舞台を踏めるなんて夢のようなお話。母に感謝。
一九九四年、母の大正琴グループと共にあこがれのカーネギーホールの舞台へ。そこには一世紀を越えて音楽の殿堂であり続けてきた荘厳さが漂っていた。現在は間口が広くなり、誰でも借りれ出演できるらしいが、「ステイタスだけ求めて演れるところではない」と、殿堂の空気が教えてくれている。素晴らしい音楽家たちの残り香を感じる舞台で、まるで雲に乗っているような信じられない気分だった。
カーネギーホールの舞台でのもうひとつの感動。それは大正琴の皆さんの演奏する姿だった。大正琴を習う人の年齢は高く、大正琴を始めるまで音楽には無縁だった人がほとんどだ。母がよく「四分音符の一拍の長さは何センチですか?と質問する人がいる」と苦笑して話すのを聞いた。そんな彼女たちがこつこつコツコツ練習して、カーネギーホールの大舞台で大正琴を奏でる姿は、生き生きとして本当に美しかった。その一音一音に生命を感じた。音楽に無縁だった人間が音楽でこんなに変われるのか。驚きだ。私はと言うと、日本でアメリカの文化であるジャズを演っている私が、今、あこがれのニューヨーク・カーネギーホールで日本の曲を演奏している。ちょっぴり複雑な心境だった。 |