2008 蒲谷敏彦CHINA REPOR 
蒲谷敏彦
(ぶたに・としひこ)

 今年4月から3度目の海外勤務。中国蘇州に赴任したビシネスマンの中国レポート。駐在員ならではの現地レポート。
松山では、MPRO、シンシアに乗るヨットマン



蘇州 Map


中国 Map


 

CHINA REPORT 2008

―― 大草原の鳥の巣 (前編) ――
 

 2008年8月8日午後8時待ちに待った北京オリンピックが始まりました。国家スタジアム通称鳥の巣でのりっぱな開会式(聖火を持って壁を走るワイヤーアクションと、これでもかと人数を投入する人海戦術なパフォーマンスが中国的)でしたね。俄か中国贔屓になった私は、バスケットボール第一戦で米国のドリームチームに負けはしましたが善戦した中国チームと、この華やかでスケールの大きな開会式の催しには、中国やるなあ〜と我が事のように誇らしく嬉しく思いました。

 

残暑お見舞い申し上げます。

2ヶ月のご無沙汰でした。立秋も過ぎ涼しくなるようで一向にならない蘇州です。皆様お変わりありませんでしょうか? こちらはニュースなどでご承知のとおり、平和なオリンピックと暴力的なテロの狭間で危うげなバランスを取る連続皿回しのようなお国でどうにか過ごしています。

オリンピックのお陰で空気が澄んできて綺麗な青空が見えだした蘇州ですが、夜明け前の空には星が見えません。どうも曇っているようです。

『今度はどちらに行かれますか?』

早朝3時半、これもオリンピックのお陰で空港の安全検査が厳しくなった(飛行機に乗る乗らないは関係なく空港のロビーに入るだけで安全検査。搭乗の前にもう一度安全検査)ので早く出発したほうがいいですよ、というアドバイスに従って午前7時過ぎの飛行機に乗るためにかなり早めに我が家を出ました。運転手の王さんは眠い目をこすりながらこんなに早くどこに行くのかと尋ねてきます。

『フフホトです。今度はフフホト』

『フフホト? ・・・ 呼和浩特(中国語でフフホト)!』

『そう、内モンゴルのフフホトです』

 

近頃蘇州の駐在員家族の間で蒲谷家はチャレンジャーとか、マニアックとかで通っています。常春の高地雲南省(日本ではマラソンの高地トレーニングの場所として有名)を皮切りに今や危険地帯となった、ウイグル自治区のタクラマカン砂漠一周やチベット自治区の聖地ラサ、真冬極寒のハルピン・長春、春は福建省の山の中の大田舎とサバイバル直前の旅を続けてきましたので、光栄にも前述のような評価を頂いています。それで今年の夏はまたまた皆様のご期待に沿って、内蒙古自治区の大草原でパオ(モンゴルではゲル、中国では包(パオ)というらしい)で週末一泊という旅にでかけることにしました。

 

最初のフは丸めた口を突き出すようにしてフ、2番目のフは口を横に伸ばしてフと発音すると、中国語の呼和浩特(フフホト)になりますよ。運転手の王さんに手ほどきならぬ口ほどきを受けて空港に着きました。あんまり早く着きすぎた搭乗ゲートロビーで司馬遼太郎さんの『街道をゆく・モンゴル紀行』をじっくり読んでいると腰の曲がった小さな小さなおばあさんが、あんたはどこに行くんだ? みたいに尋ねてきました。早速習いたての発音で、

『呼和浩特!』

と、応えると安心したように向かいの席に座りました。どうもおばあさん一人旅のようです。こんな風に早くも中国では一般の人々の航空機時代を迎えています。

 

   

   中国式宇宙服(本物)       帰還カプセル(本物)


上海発呼和浩特行きの飛行機にやっと乗り込むと3列シートの通路側にさっきのおばあさんが座っています。とても小さいので席に座ると足が床にも着きません。隣に腰を下ろしてシートベルトを着用しているとおばあさんが、これはどうすんだ?! などといいながらベルトと悪戦苦闘しています。手を伸ばしてバックルを締めてあげました。おばあさんはにっこり笑って顔のシワを増やしました。飛行機はそれから珍しく時刻どおりに無事離陸し、機内食が配られてきます。朝なので中国式お粥と中国式パンや漬物のセットです。家内が塩漬けのゆで卵は要らないかと私に寄こしました。隣のおばあさんもさっきのお礼のつもりか、こんな塩辛いものは食べられないよ、なんて言いながら私にゆで卵をくれました。お陰でコレステロールが高いと注意されている私は朝からゆで卵3個を頂きました。

 

フフホト空港は一年前に新装された近代的な空港です。中国中の空港が関空そっくりになってきています。小さいわりに歩くのが早いおばあさんの後を着いてゆくと、ガイド兼通訳の侯さんが到着ゲートで待ってくれていました。上海駐在員向けのパックで子供を入れて16人参加の大草原ツアーです。集合したあと、観光バスに乗って内モンゴルの概要を聞きます。面積は日本の3倍もあっても人口は2300万人余り、ご存知のとおり万里の長城の北側で昔は夷狄の遊牧の国。まずは内蒙古の歴史を勉強しましょうと昼食前に内モンゴル博物館見物です。

 

昨年は内蒙古自治区60周年記念の年だそうで、中国政府は自治区に500億元を投入して、新空港(28億元=約420億円)やこの博物館(50億元=約750億円)を造りました。新空港よりりっぱな(高い)博物館には恐竜の骨格やら古代人の生活やら狼などの鳥獣その他の大自然と誇らしいジンギス汗の物語が展示してあります。現在は石炭、鉄鉱石、石油、天然ガスなどの地下資源の宝庫になり人口密度が低いからこその中国航天(宇宙)基地になっています。中国初の有人飛行衛星が飾ってあります。本物の中国式宇宙服と帰還カプセルも展示しているのですが、なんともリアルです。さっきの小さいおばあさんがやっと乗れるような大きさです。この宇宙服でこのカプセルで宇宙に行ったと思うとちょっと怖いです。宇宙服の手袋はゴム手袋とあまり変わりがないように見えるし、帰還カプセルは大昔の大砲の弾そっくりです。中国では宇宙旅行もそのうち一般化しておばあさんも行けるようになるでしょうか。

 

羊肉やパスタもどきのモンゴル伝統料理の昼食を頂いたあと、いよいよ大都会のフフホトを後にインシャン山脈を越えてシラムレン草原に向かいます。ガイドさんが2つの注意を車内でしてくれました。モンゴル人も日本人同様比較的お酒に弱いわりにはお酒が好きだそうで、なにかといえばお酒を飲みます。パオ村に着いたら地元のモンゴル衣装を着た若者がお酒でお迎えしてくれます。モンゴル式の儀式でその酒杯を受けたら、まず右手の薬指にお酒をつけて天にピンと弾き、次に地に向けて同じように弾き最後に自分の額に薬指をつけるんだそうです。そのあと一気に蒸留酒を飲み干すんです。昔はアルコール度100度!のお酒を一気していたそうですが身体に悪いので、今は60度の弱い!お酒になったんです。だけどお酒が飲めない人はしなくてもいいですよ、とガイドさんが説明してくれましたので、観光バスからツアー客が降りても誰もその60度のお酒で薬指ピンの儀式をしません。しかたなしに、私と家内が一気しました。

 

ガイドさんのもう一つの注意は、ここはモンゴルです。パオ村に着いたら分かると思いますが、こちらの人は誰も腕時計をしていません。これからパオ作りをして、その後乗馬ツアーを午後3時から3時間します。それから、モンゴル競馬とモンゴル相撲を見学して、7時から夕食です。でも時間はあくまでも目安です。彼らは太陽の位置で時刻を測ります。だいたいそのぐらいに始まるかも知れないと思ってください。ここはモンゴルですから心を大きく広くお願いします。団体旅行では通常時間厳守が第一だと思うのですが、ことモンゴル旅行では勝手が違うようです。


    大草原の鳥の巣 (左が私たちが泊まったパオ)

本日のメインイベント! 大草原でパオを作って泊まろう! というのがこのツアーの目玉なんですが、パオを自分たちで作るという家族は私たちともう一家族だけでした。ほかの人たちは出来上がった?パオに早々(といっても、いつものように予約していたパオに別の中国人家族がもう入っているとか、鍵が壊れているとか、いろいろあったうえで・・・)と引き上げてゆきました。私たちとその小学生の娘さん連れのご家族は、よく言えば北京の国家スタジアム・鳥の巣そっくり、その実骨格だけになった風通しの良すぎるパオの前で手持ち無沙汰に佇んでいます。

 

ほどなく、腕時計をしていないモンゴル人と思しきおじさんとお兄さんが3人現れて、何も言わずに柳の木でできた鳥の巣に羊毛であろう黒いフェルト布を巻きつけてゆきます。ゆわえるものはどっかに落ちていたような電線や荒縄で、それだけでもなかなかキッチュです。ここは年間降水量40mmとか。モンゴルでもときたま雨が降るそうで、フェルト布の上に白い防水テント地のカバーをかけて、それもキッチュな電線の切れ端で結わえて出来上がりです。その間、私たちは写真を撮ったり、フェルト布の端を掴んで引っ張ったり、電線を渡したり、屋根にカバーをかけるためにモンゴルおじさんが土足でパオ内に入って布団の上を歩きまわるのを見て、それ私たちが今夜寝る布団だよ〜〜って思ったりしたんですが、これでも私たちパオ作ったんでしょうか。

 

パオの中は二人が寝るには充分の広さ(収容人数6人らしい)で木の床の上(昔は直に草原の上)に布団を敷いて雑魚寝です。てっきり照明はランプかと思ったら、裸電球ならぬ裸蛍光灯がひとつぶら下がっています。もちろん、トイレもバスもありません、これはテントですから。大草原の中のテント(パオ)暮らし・・・ 建て付けの悪い木の扉を開けて草原から風を入れるとなかなか風情があります。それだけで遊牧民になったような気になります。

 

思ってた以上に草原の一日が長いのです。なにせ朝3時半から蘇州をでてきていますから。このままパオの中で昼寝ができるといいんですが・・・今日はCHINA REPORTもこのくらいにして。ということで、疲れたので大草原の鳥の巣(後編)に続くことにします。 蒼い内モンゴル高原から蒲谷敏彦でした。 

第10回:

 
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