蒲谷敏彦KOREA REPORT  10月号-2 

KOREA REPORT (釜山アジア大会観戦記−−前編−−)

−− 恐るべし中国、恐るべし北朝鮮 −−

 

 ノーベル賞は3年連続日本人が受賞だそうで、

理系では日本の能力が世界に認められているようです。

ところが、体育会系となると欧米とはもちろん、

いつのまにかアジアでも日本はすっかり弱くなったのか?

他国が強くなったのか?釜山アジア大会にそのへんのところ、

興味津々で出かけてみました。

 

 アジアとは辞書によると、6大州のひとつで東半球東北部、

世界の陸地の3分の1を占め、東は日本、西は中近東、

南はインドネシア、北はシベリアを含む地域だそうで、

世界人口の半分以上が住むとあります。

そこで4年に1度開かれるアジア競技大会は、

当初1950年に開催予定であった第1回が朝鮮戦争の為に

延期され翌年、ニューデリーで行われました。今年は数えて第14回

韓国釜山での大会となりました。

44の国と地域、選手役員数1万人は過去最大だそうです。

その中でも今回は北朝鮮選手の参加と

その応援団が特に注目を浴びています。

 

日本客へのサービスのつもりか、ケー・ウンスクの

歌謡曲(1番は日本語、2番はハングル)のカセットを

かけてくれたタクシーは釜山市内から西へ30分、

西洛東江(ソ・ナクトンガン)の漕艇競技場に到着しました。

朝から爽やかな風が吹き抜ける川面は絶好のボート日和。

早くも第1レースに出場する、かじなしフォア−のボートが、

上流のスタート地点に向かって漕いでゆきます。


スタート地点に向かう 武田・浦組

 

黄色いベストを着た警察の一団が次々とバスを降りてきます。

一体何の警備かと思っていると、いつのまにか北朝鮮の

応援団が大挙(ブラスバンドとチアリーダーなど120人以上)

やって来ました。中国やインドネシア、香港、もちろん

日本の応援団がこじんまりと座っていた川原の芝生観覧場の

一角に白一色運動着の女性陣が陣取ると、ブラスバンドの演奏で

♪パンガッスムニダ ♪パンガッスムニダ(お会いできて嬉しいです)』

と、カスタネットを鳴らしながら、北朝鮮の小旗を振って歌いだしました。


            これが噂の北朝鮮美女応援団

 

遅れて、会社の釜山支社の孫大虎(ソン・デホ)部長夫妻が

やって来られました。タクシーが間違えてボート練習場に行っていたそうです。

早速、お弁当のキムパプ(のり巻)やトゥック(お餅)で遅めの朝ご飯です。

芝生の上は天気も良くて、中国や北朝鮮、日本の国旗がはためいて、

国際的な町内運動会のようです。

 

川面では女子ダブルスカルの決勝が行われています。

全長2000mオレンジのブイで仕切られたの6コースに中国、タイ、日本、

北朝鮮、台湾、インドネシアの各ペアが漕ぎだしてきます。

なにせ、スタート地点がずーっと上流ですから、いつスタートしたやら

どんな順位なのか、ゴールライン近くに陣取っている応援団には

近くに来るまで判りません。7分以上掛かるようです。

中国ペアがダントツで通り過ぎます。日本はタイと2位争いです。

 

孫部長は、ちょっと北朝鮮の応援団(実は美女)を見てきます、

と言ってポリスラインと報道陣が囲む、白い集団に向かって行きました。

偵察報告によると、応援団は女性ばかりで白のナイキの野球帽に、

白のナイキのトレーナー、白のナイキのジャージに白のナイキの運動靴、

おまけに白のナイキの靴下で揃えているそうです。下着は見えなかったが...

とオヤジギャグ言ってます。韓国ナイキが贈呈したんだろうとも言ってました。

怖いのは、服が同じだけでなく、化粧も笑顔もしぐさも全く同じで個性が

無いことだそうです。でも綺麗とも。

 

後で聞いた、日本人応援団のおばさん(お嬢さん)評では、

応援団の前でチアリーダーみたいにしていた、『踊る3人娘』が特に

スゴイらしい。藤原紀香か、松嶋菜々子並みの超美人が一糸乱れず

バトンを振るらしい。その後ろではまた美女軍団が北朝鮮旗を一糸乱れず

振っています。機械仕掛けの人形が踊るディズニ−ランドの

リトルワールドのようで、笑顔が凍りついているというか、アイロンをかけて

一張羅にした笑顔です。(これは著者の感想)

 

『パリ オッパ (早く、お兄さん)

 パリ オンニ (早く、お姉さん)』

北朝鮮のボートが近づくと声援が飛びます。

これは万国共通。

 

風が強くなってきました。それも川下からの向かい風。

いよいよ、男子軽量級ダブルスカルの決勝です。

我が愛媛県代表(いや日本代表ですが)、武田大作さんと浦さんのペアが

出場します。少ない日本人応援団の方が一緒に応援しましょうと

日の丸を渡してくれました。(私たちは日の丸さえ用意していませんでした。

何というズボラ。)

 

愛媛県の中堅企業ダイキ鰍ヘ浄化槽の大手でもありますが、現在は

DIYのディックとして有名です。ここの会長さんは愛媛県体育協会の会長さんで

あるとともに、ボート、ビーチバレーの支援(サポート)をされています。

武田さんはダイキ所属です。先月欧州での世界選手権ではレース途中で

呼吸困難になって脱落したそうで、体調は万全ではない。というようなお話を

してくださいました。

 

大歓声が上がります。Bコースの日本ペアが中国、フィリピン、北朝鮮、香港、

インドネシアを大きくリードしてゴールラインに向かいます。ガッツポーズ!

7分ちょうど。2位と11秒もの大差をつけての貫禄勝ちです。

それまでの決勝レースでは、1位中国、2位日本、3位はいろいろ、という

中国常勝パターンで面白くなかったので、なおさら会場が沸き立ちます。

(実はこの武田さんのレース以後は、またまた中国1位、日本2位パターンになった。)

 

私が学生時代から現在も暇があればやっているヨットも、このボートも水の上を

移動する競技としては同じですが、レースコースが区分されているのが、ボート。

自由に走り回れる反面、衝突することもあるのがヨット。と思っていたんですが、

表彰式が随分違いました。ヨットはレースが終わって、マリーナ(ハーバーまたは砂浜)

に帰って、ずいぶんしてから(衝突や交通ルール違反の審問や裁定がでるまで待つので)

陸上で表彰状やカップをもらいます。今回のボートの表彰式前にはもう一度

1750m地点まで1〜3位のボートが戻って、ゴールに向かって

凱旋漕艇(ウィニング・ローというらしい)をします。もちろん、順位とおりの順番で。

観客の歓声に祝福されて、文字通り至福の時でしょう。

 

勝利の雄叫び(武田大作さん)

 

そして、表彰台の前に造られた桟橋にボートを着けて、選手は表彰台に

エスコートされます。

『1位 イルボン(日本)』

会場アナウンスに呼ばれて、武田さんと浦さんが表彰台の一番高いところに

上がりました。日の丸を掲げて雄叫びを上げています。

本当に嬉しそうです。金メダルと今回のアジア大会のマスコット・かもめの

ぬいぐるみを頂いて、国旗の掲揚と国歌の演奏を受けます。

中国、フィリピンの旗を従えて、日の丸が誇らしげに洛東江(ナクトンガン)の

河辺に翻ります。青い空に緑の山、どの国旗もきれいです。

(山は今年4月中国国際航空CA129便が衝突した、金海空港近郊の山です。

KOREA REPORT(4月号)参照)


これが金メダルだ!

 

武田さんが表彰のあと、応援団の方々にご挨拶に来られました。

日に焼けた優しそうな顔に笑顔が似合います。

皆で記念写真を撮って、金メダルも見せていただきました。

思ったより軽いんですが、きれいです。一番いい色ですから。

まだ、これからエイトに出場するのでと、早々に帰ってゆかれました。

中国は種目別に専任の選手を用意しているそうですが、日本は

寄せ集めでやるんだそうです。ご苦労様です。

 

エイトが中国、日本、ウズベキスタンという順位で終わったのを見届けて、

ダイキさんのご好意で海雲台(ヘウンデ)海水浴場で行われている、

女子ビーチバレー観戦に貸切バスで移動しました。

遅めの昼食にムルネンミョン(冷麺)をとった後、会場に入ると

準決勝の2試合目でした。午前中、韓国を2−0セットで破った

日本の徳野・楠原組(ダイキ)は、中国の王露・尤文慧組(中国)に

大苦戦です。砂浜のコートにひとまわり大きな中国選手の赤の

ビキニから強烈なスパイクが放たれます。日本選手の青のビキニも

サービスエースを取ったりして、一時壮絶なシーソーゲームを展開しました。

しかし、地力に勝る中国が24−22で2セット目も取ってしまいました。


ビーチバレー 日本VS中国2

 

それでも、日本女子は翌日行われた3位決定戦でタイを2−0で破り、銅メダルに

なったそうですが、日本男子の金メダルのほうが大きく報道されたようですね。

女子ビーチバレーの決勝は、中国1チームと中国2チーム(日本に勝ったほう)

で決勝をして、中国1が金だそうです。

 

アジア大会観戦一日目は、こうして暮れてゆきました。

孫部長夫妻に先々月から釜山転勤になった友人の李さんを

紹介して、釜山市内で一緒に夕食を取りました。

フェ・チプ(刺身屋)でルイベのような美味しい刺身や

メウンタン(魚のアラ鍋赤からし風)にひぃひぃ言いながら...

競技では常勝の中国恐るべし! 応援では完全同期の北朝鮮

恐るべし!とアジア大会談義に花が咲くのでした。


 

アジア大会観戦記−−後編−−につづく。

 

                           ソウルより 蒲谷敏彦


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