KOREA REPORT (10月号)
----- ソウルで先月読んだ本 -----
初夏には郷ひろみの『お嫁サンバ』がかかっていたと思ったら、西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』になり、ハイファイセットの『フィーリング』がカーラジオから流れるようになった今日この頃、(日本の歌かと思っていたら、みな韓国語バージョンです。オリジナルも日本じゃなかったかな? 郷ひろみ、西城秀樹とくれば、野口吾郎でしょ普通! とも思う’70s世代です。) NHK朝の連続ドラマ『さくら』が終わったと思ったら、いよいよ、釜山アジア競技大会が始まりました。皆さん先日の開会式ご覧になりましたか?(選手入場のカナダラ順って判りましたか?ハングルのあいうえお順です。) 聖火台への点火かなり期待させられましたが、いまひとつでしたね。(私はあの空中に上がった仮設大聖火台が落ちたりしないか? 他人事でなく、かなりハラハラさせられました。シドニーオリンピックで聖火台が止まってしまって、慌てて手動で動かしたとか...を思い出しました。)
釜山といえば、こちらの友人の李さん(KOREA REPORT(6月号楽しい韓国応援の法則)参照)が7月から、釜山勤務になって少し寂しいソウルです。転勤といえば引越し。韓国のマンションは、近頃みな高層アパートで20~25階建が普通。日本のマンションよりエレベーターは比較的大きいのですが、それでも荷物で占領されると他の住人が大変。こんなのあったらいいなぁを実現する韓国では、引越屋さんが専用のはしご車(韓国語でサダリ・チャ)を持って来ます。
グォー、ガァーと日曜日の朝から騒々しいと、8階の我家から外を覗くとはしご車のハシゴを伸ばして16階の窓に設置するところでした。
このはしご車のデッキにダンボール箱くらいだといいですが、重そうな家具を載せたりするとかなり、他人事ながらハラハラドキドキさせられます。
はしごといえば、日本のアミダクジのことを韓国ではサダリ(はしご)というらしい。そういえば、はしごにも見えなくもない。クジのやり方は日本と全く同じ。先日事務員さんが下に1万Wとか5千W、2千Wとか書いてあるアミダクジを持って来て、上の空いているところに名前を書けというので適当に書いたら、つーっ、つーっ、とはしごを降りていって、1万W(約千円)ですと言う。なにが?と聞くと、私が1万W払って皆におやつをおごるらしい...と言う具合に使います。
ハラハラドキドキといえば、日本の原子力発電所のひび割れもかなりハラハラドキドキですね。今頃言われてもねぇーとも思いますが、バケツで放射性溶液を計量していた3年前の事件もかなりびっくりしましたが、今回はあれだけ安全だと言われていた原子炉本体ですから、かなりびっくりです。そういう、韓国も電力事情逼迫に対応する為、2010年までに原子力発電所を9基増設する計画らしい。現在でも電力の40%は原子力だと言うのに。ましてや、悪の枢軸と言われる『北朝鮮』の隣で安全も何もありゃしない。(日本も距離的には、あまり変わったものではありませんが)
安全といえば、先月読んだ『壜の中の手記 ジェラルド・カーシュ著 西崎憲 他=訳 昌文社』の中の短編で、『狂える花』には次のような科学批判が書いてある。
『ヒューイッシュ博士のような理論的思考の持ち主には、結果を考えないという子供じみた面がある。いい例がアインシュタインの原子爆弾や、ノーベルが発明した「安全な」ニトログリセリンだ。ロケット開発者たちの<人工衛星>も然り、強力殺虫剤の開発過程で生まれた猛毒の神経ガスや、フィラデルフィアの癌研究者が炎症の生じた細胞から取り出した危険きわまりない結晶――試験管1本につきかかった研究費は百万ドル――もまた然りだ。こういう手合いは、あなたの発明は戦争に使えますかときかれると、さも意外そうに答える。
「ああ、使えるとも。だがこれはそういう目的のものじゃない!」 彼らは人類にとって天の恵みなのか災いなのか、いったいどっちだろうね。』
韓国(北朝鮮)に造られる原子力発電所が天の災いでないことを祈る。
北朝鮮といえば、なんといっても日本では拉致問題。先月読んだ『朝鮮通信使紀行 杉洋子著 集英社』には次のように通信使の役目を書いてある。
『日本と朝鮮の文化の交流の歴史は古い。なかでも対馬と朝鮮の関わりは特別に深い。九州よりも朝鮮半島に近いという地理的条件もあるが、室町時代から明治維新まで、対馬の島主宗氏は、日本と朝鮮の友好に心を砕いた。特筆すべきは豊臣秀吉の朝鮮出兵、すなわち文禄の役(1592年)、慶長の役(1597−98)後、あらゆる外交手腕をふるって日本と朝鮮の国交回復に尽力したことだろう。その甲斐あって、朝鮮側は戦後処理のための使節を日本へ派遣することになった。慶長12年(1607年)正月12日。名称は「回答兼刷還使」で、文禄・慶長の役で日本に拉致された人々を連れ帰る任務を帯びていた。これが江戸時代12回に及んだ朝鮮通信使の最初だった。』
歴史は時と場所を換えて、繰り返す。あぁー神よ。(沈思黙考)
神といえば、先月読んだ『神々の山嶺 夢枕獏著 集英社文庫』
エベレストにとりつかれた二人の男の話で、夢枕獏氏が構想20年執筆3年を掛け、柴田錬三郎賞を98年に受賞した大作である。
『よく考えてみれば、あれは、私の姿なのです。そして、あなたのね。この世に生きる人は、全て、あのふたりの姿をしているのです。マロリーとアーヴィンは、今も歩き続けているのです。頂にたどりつこうとして、歩いている。歩き続けている。そして、いつも、死は、その途上でその人に訪れるのです。軽軽しく、人の人生に価値などつけられるものではありませんが、その人が死んだ時、いったい何の途上であったのか、たぶんそのことこそが重要なのだと思います。わたしにとっても、あなたにとっても。
N.E.オデル 1987年1月 ロンドンにて』
酸素は地上の3分の1、気温はマイナス40℃以下、8000mを越える極限の地エベレストで、人は何を考えるのか? と秋のソウルで考えた。
灯火親しむ秋、食べたり飲んだりばかりでなく、読書もいいですね。
そして、スポーツの秋。
釜山アジア競技大会は次回、取材して来ます。
それでは、次回またお話しましょう。
ソウルより 蒲谷敏彦