蒲谷敏彦のKOREA REPORT 4月号
KOREA REPORT (4月号)
---- 戦争と花嫁 ----
とうとう始めちゃいましたね、イラク戦争。
私はソウルで北朝鮮の金正日さんと同じように息を潜めて成り行きを見つめています。その間、大相撲春場所で千代大海が優勝し、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を受賞し、春の高校野球(広島の広陵が優勝!)が終わりましたが、どれもCNNの戦争報道の方が大迫力で、影が薄くなっちゃいましたね。
皆様いかがお過ごしですか? イラク戦争どんな気持ちで見られてますか?
日本までも偵察衛星を打ち上げたり、なんだか世界中が戦争に向かっているようで少し(大変)怖い感じです。
ということで、備えあれば憂いなし。我が家では懐中電灯、ラジオ、現金(ドルとウォンと円)、水のペットボトル、非常食、トイレットペーパーを入れたナップサックを用意していつでも逃げられるようにしました。
(どこに?)戦争が始まったら安全を確認(!)しながら、仁川国際空港に行ってどこでもいいから日本行き(別に日本じゃなくても良い)の飛行機に乗るのがいいのです。だけどそんな時は真っ先に空港が爆撃されるに決まっているので、次は日本人学校に集合することになっています。(たぶん)
自宅からソウル日本人学校への道
ソウル日本人学校は漢江の南にあり、幼稚部、小学校、中学校までの一貫校です。なぜ漢江の南かというと、朝鮮戦争の時には漢江の橋を渡れたか渡れなかったかが、第1の生死の分かれ目だったからだそうです。(イラク戦争でもユーフラテス川やチグリス川の橋の争奪戦が繰り広げられています。戦争はいつも同じ。)大抵の駐在日本人は漢江の北に暮らしていますが、子供の学校は避難場所として南に造りました。通学バスで毎日1時間かけて行きます。
私のアパートから日本人学校まで12km余りありますが、先日予行演習で歩いて行ってみることにしました。
天気の良い土曜日の朝、アパートを11時15分出発して、銅雀大橋を15分かけて渡ります。漢江の川幅はここでも1km余りあり、歩くと大きさを再実感します。万背大路を南下していると小学校の終業時とかち合いました。最近は車で迎えに来る父兄が多いので校門前は大渋滞です。なかには迎えが来ないと、背伸びをしながら公衆電話から電話をかけている小学生低学年に出会いました。
銅雀大橋からアパートを望む
腹が減っては戦はできぬ。(米軍も補給ラインが攻撃されて燃料や食料が底をついてひもじい思いをしているらしい。)パヂラク・カルククス(アサリ手打ちうどん)で昼食を取ることにしました。2人分が大きなどんぶりに入ってきます。殻つきアサリと野菜が手打ちうどんとともにニンニク味のお汁に浸かっています。浅漬けキムチと一緒に食べるとなんとも言えないおいしさです。残ったお汁にご飯を入れてネコマンマにすると、これがまたなんともなんとも。
戦争時にはこのうどん屋は営業しているのか? などとつまらないことを考えているともう1時です。大路の突き当たりを左に折れて東へ向かいます。国立国楽院、芸術の殿堂の前を通りメボン・トンネル辺りになると日が翳ってきて急に寒くなりました。ナップサックにしまったウィンドブレーカーを取り出します。
漢江の南は漢南(カンナム)と呼ばれる新都市区域です。瀟洒なホテルやブティック、レストランが並ぶお洒落な街です。ビルも新しくどれも高さやデザインを競っています。でもミサイルや爆弾が雨あられのように降ってくるとあちこちのビルからガラスの破片も落ちてきて、とんでもない状況になるでしょう。
イラク戦争開戦時は航空母艦から飛び立つ爆撃機や、ミサイルを発射する様子がテレビ放映されていましたが、そのミサイルや爆弾が落ちている所の人々がどうしていたか、どうなったかは希薄で現実感が無かったですね。
私たちは朝鮮半島が戦場になると、ミサイル、砲弾、爆弾が飛んでくる所を歩いていたのです。
日本人学校近くの高層ビル群
漢江の支流良才川を渡り、ソウル日本人学校に到着したのは3時を過ぎた頃でした。日本人学校は土曜日お休みなのでひっそりと静まり返っています。正門前の植え込みを整備している植木屋さんと、それに付き合っている教頭先生だけです。ここに来ても助かる保証はないなぁと思いながら乗った、地下鉄(大邱の地下鉄火災の影響で防災対策工事をしている駅も多い)での帰りは自宅まで1時間足らずでした。
翌日の日曜日は少し曇り空で今にも雨が降ってきそうでした。韓国では祝いの日に雨が降るのは縁起が良いそうで、文常務の娘さんのご結婚も良いお日よりのようです。ソウル郊外富川市のニューヨーク・ウェディングホールで行われた結婚式にはご両家、ご親族、新郎、新婦の友人、知人など300人が招待されて盛大に催されました。(結婚費用は日本円で400万円だそうです。)
新婦のムン・スジンさんはピアノの先生をしている27歳のしっとりした韓国美人。新郎のイ・サングンさんは消防署(韓国の新聞が調査した結果では、最も信頼のある職業が消防士、教師で、反対に信頼が無いのが政治家と警察、自動車のセールスマンだそうです。どこかの国と同じ?)にお勤めの29歳の現代的美男子(3男3女の末っ子!)です。
白のウエディングドレス姿の花嫁は、バージンロードを父親にエスコートされて入場です。父親の文常務は自分の結婚式のように嬉しそう。花嫁はもう涙ぐんでいます。私はデジカメで写真を撮るんだけど、天井一面のシャンデリアの照明が暑い暑い。
一緒にケーキ入刀
媒酌人が新郎新婦に結婚するにあたりのお説教をして、まずご両親に二人で挨拶するんですが、新郎はどちらのご両親にも土下座です。両親、新郎、新婦の6人でケーキ・カットをすると花嫁は泣きっぱなしのままでもう式は終わりました。これからは親族だけで韓式の結婚披露があるそうです。私はこちらの方が見たかったのですが、階下の大食堂でビュッフェ式の食事が三々五々始まります。
新郎側も新婦側も誰が誰だか判らないどころか、他の結婚式の参列者も一緒でなんだか雰囲気はない。
最近は整理券が人数分配られるので、近所の知らないおじさんとかはいないんですが、昔はただ飯、ただ酒を飲んで行く不埒者が大勢いたそうです。
会社の人とお酒を飲んでも、韓式海苔巻(キムパプ)を食べても、話題はイラク戦争とその後の北朝鮮問題です。
(韓国でも反戦運動が大変盛んですが、他の国と少し違ってイラク戦争が終われば、米国が次は北朝鮮を目標にするのではないかという、非常に切羽詰った反戦運動なのです。)
戦争になればソウル市内はどちらにしても安全でなく、少なくとも水原(スウォン;KOREA REPORT 2001年6月号参照)までとにかく逃げた方が良いらしい。
(でも水原までは自宅から50km!!)
非常携帯品のナップサックだけで良いのか?我が家の貴重品を持ってゆきたいけど...今自宅にあるもので一番高価なものは昨年パキスタン人から買ったペルシャ絨毯だけど、それを持って米軍の中を非難するのもなんだかなぁ...
久しぶりによく歩いたので足が痛いと言いながら、水原までの予行演習もした方が良いのかどうか、イラク戦争の成り行きを見ながら迷っているソウル駐在員でした。
歩き疲れたので今日はここまで。
また次回お話しましょう。
ソウルより 蒲谷敏彦
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