蒲谷敏彦のKOREA REPORT 12月号 後編
KOREA REPORT (12月号)
―― あるハルモニの死 (後編) ――
特機事業部の河(ハ)部長は仁川市でも名門一族の出で、市内ではずいぶん顔らしい。先月お金がたくさんかかるんですよ、というから、何が? と聞くと、結婚式と葬式だけで11月は35件もあって、お祝い金とお弔い金だけで300万W(約30万円)を越えたそうです。仁川のゴッドファーザーみたいです。10年後くらいに市長選挙に出馬すれば当選するんじゃないと言うと、満更でもない顔をしていました。
私も先月は結婚式が3つと葬式が3つでした。メンテ推進部の李嬢はめでたく漢陽大学の職員と結婚されて、新婚旅行はオーストラリアに行きました。韓国の経済的発展と共に近年の新婚旅行先は、韓国内の近場から済洲島、グアム・サイパン、バンコク(タイ)、オーストラリアと順調に足を伸ばしています。コアラとカンガルーの銀のスプーンセットがお土産でした。
先月は中旬までこれでも初冬!と思わせるほどの陽気で、昨年は厚いコートを着ていた時分にTシャツ姿の若者もいました。ところが下旬になって急に寒くなり、総務の宋理事が風邪をひいたらしく、しきりに咳き込んでとうとう声も出なくなりました。そうすると、ご老人の訃報が増えます。
経理部の田(ジョン)次長のお父さんが大邱市の駅で倒れられて、近くの病院に担ぎ込まれましたが、緊急手術中に亡くなられました。心筋梗塞だったそうです。田次長は三男で、長男は高校の先生、次男はソウル・アサン病院の先生だそうで、お葬式はこの大病院の別館の葬儀場で行われました。ホテルのエントランスのような瀟洒な吹き抜けのエスカレーターで3階へ上がると、35号室の前には花輪がいっぱいでした。
お弔い金を出して記帳がすむと、お棺の前で日本でいうところのお焼香をしますが、韓国では土下座の礼を2回します。新築工事竣工などのお祝いごとは豚の頭の前で3回です。ご子息3兄弟が腕に黄色の腕章を嵌めて横に立っておられます。黄色に黒い線2本が実子で、1本は婿どのらしいです。一般の親族は黄色だけで黒線がありません。女性は腕章なしの黒のチマ・チョゴリ姿です。
葬式は3日間続いて3日目の朝に出棺になります。日本のお通夜が3日連続しているような感じです。親族はいかに悲しいか、周りの会葬者は親族をいかに慰めるかの競走みたいです。お棺を前に寝てしまうと、とても怖いので寝ないように一晩中、花札(日本と同じで猪鹿蝶をします)をして焼酎を飲んで騒ぎます。親族はアイゴー、アイゴーと大きな声で泣きます。昔はわざわざ泣き女を雇ったそうです。
北出明著 孫戸妍の半世紀 『風雪の歌人』
もっと昔は実父が死んで3年は、死後の親孝行の為に墓の前に庵を庵で弔いながら住んでいました。高度経済成長の現世韓国ではそうもゆかないので、49日が終わるまでは黄色い腕章を外さず、慎ましやかな日々を過ごすといいます。お酒は飲んでもいいのですが、歓楽街などに行ってはいけません。それが段々と初七日までになり、葬式の間だけになったようです。中には不届き者が腕章を外して遊んでいるそうな。礼節が乱れてゆくのは、どこの国も時代の流れでしょうか。
奇しくも先日この病院で闘病中であった知人のハルモニ(おばあさん。おじいさんは韓国語でハラボジ。サンタクロースはサンタ・ハラボジという)が亡くなられました。享年80歳でした。孫戸妍(ソン・ホヨン)さんは、早稲田大学に留学中の韓国人の娘として東京に生まれ、生後まもなく帰国しましたが、17歳で再来日し帝国女子専門学校(現・相模女子大学)に入学しました。この留学時代に佐佐木信綱先生に短歌を師事し、韓国に帰国後も生涯をかけて短歌を詠み続けられました。
台湾では今も親日家が多く、日本の短歌や俳句を楽しんでおられる人が多いと聞きますが、反日感情の激しかったこの韓国では花札は残っていますが、短歌や俳句をされる韓国人は皆無のようです。女史は朝鮮戦争などの激動の時代を経て、短歌歌集を次々と出されました。そんな孤軍奮闘の女史の歌人生は、平成10年の宮内庁歌会始にチマ・チョゴリ姿で参内されたことや、韓国では2000年に文化勲章を受けられたことで報われたようでした。(女史の歌人生については、以前ソウル駐在員をされていた北出明氏の『風雪の歌人 ――孫戸妍の半世紀―― 講談社出版』に詳しく記述されています。またハングルが判る方は、ホームページ http://www.sonhoyun.com/ を参照下さい)
11月24日の朝、孫戸妍ハルモニの棺は厳かに葬儀場を出立しました。家内が葬儀に参席しましたので、彼女の葬儀参列レポートを引用します。
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北出さま
今朝ソン・ホヨンさんのご葬儀に行ってきました。夕べ遅くに判ったのですが、結局亡くなられた後3日間弔問の人々が次々と訪れるんだそうです。だから、昨日にでも行っても良かったようです。
それで、少しでも早い方が良いと思ったので、午前7時過ぎには到着して、イ・スンシン(ソン・ホヨン女史の娘)さんとも少しお話も出来ました。
『昨夜も北出さんのご本、そしてお二人の共著のご本をもう一度、読んでみましたが、本当に美しい日本語ですね』
と、お話したら、
『私には日本語は判らないので、訳す時にとても苦労しました。日本語が判れば、もっと良かったのですが』
と、おっしゃっておられました。
娘さんとの共著で出した、韓国語短歌集 『戸妍恋歌』
8時前から建物内のホールで、『謹弔 故詩人孫戸妍女史 永訣式』があり、牧師さんのお話で始まり、賛美歌斉唱、経歴紹介、聖歌隊の賛美歌、そしてご長男のご挨拶がありました。
『君よ吾が愛の深さを試さむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
父が亡くなった時に母が詠んだ歌です。そして今、私共遺族の心にもこの歌が響きます...』
とお母様の歌の紹介から始まり、
『家族を愛し、祖国を愛し、共に歩んだ日本を愛し、そして人生を愛した母を永遠に愛しています』
と言葉を結ばれました。
最後に、牧師さんのお話があり、
『死は終わりや悲しみではなく、新しい出発である...』
といわれた言葉が心に残りました。
ソン・ホヨンさんも天国でご主人と再会され、また新しい歌を詠まれていることと思います。そして、パリン(出棺)といって、8時半には霊柩車に乗せられ墓地へと逝かれました。簡素でしたが心のこもった良いお式でした。
北出さん始め、多くの日本人がソン・ホヨンさんの亡くなられたことをとても残念に思っていることを、ご遺族にお伝えすることが出来たとすれば、参席して良かったと思います。
取り急ぎ、ご報告まで。
追伸;こちらの新聞(朝鮮日報、中央日報など)にも和歌詩人ソン・ホヨン女史死去の記事が大きく取り上げられておりました。
蒲谷慶子
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『何でも便利屋』の姜さんは、シャワーカーテンから冷蔵庫まで何でもすぐ買ってきてくれるので、日本人駐在員家族から引っ張りだこです。我が家のテレビも日本〜韓国を往復すること2回ですから、少々疲れてきているみたいでずいぶん映りが悪くなりました。でも韓国放送はしっかり見えて、日本のNHK・BSの映像が薄いのが何とかならないかと相談しました。
もう、テレビが悪いです。一部二重になっていますよ。目が痛くないですか。私は痛いです。慣れているんですか。(ほっといてくれ!) 新しいテレビを買った方が良いと言うのだが、その手には乗らない。あちこち触っていたけど変わらない。それにこのテレビは日本のソニー製だから韓国のSBS(ソウル放送)が観えないのだが、どうにかならないか? 韓国製のテレビだと映りますがね...ビデオでも... あっ、韓国のサムソン製のビデオがあるじゃないですか! こうしてまずビデオに受信コードを付けてそれからテレビに繋げば良いんですよ。ほら、SBSが映るようになりました。
ソウル駐在も3年目が終わろうとしている頃になって、やっとそんな事が判るなんて。韓国製ビデオと日本製テレビが協力すれば、韓国の放送も日本の放送も見えるようになりました。おまけにAFN・KOREA(米軍放送)も見えるようになりました。
寿司や刺身、そばなど日本の和食のことをこちらでは日式(イルシク)というんですが、日本の和食とは姿形は少し似ているが味は少し?、微妙に?、全然違うものです。韓国式日本スタイル料理だと思って食べないと大変がっかりします。それも韓国純粋の料理より数段高いですから。
天安工場の近くに日式食堂『成田(別なところに青森も)』があって、アルタン(明太子の辛子鍋)が美味しいんですが、こんな和食はもちろんありませんし、日式だからか、この明太子を鍋から出して食べる時わさび醤油をつけます。コリコムタン(牛テールスープ)でも、にんにくの細切れがたくさん浮かんだフグちりでも高級といわれる食事には何故かわさびと醤油が出てきて、いちいちつけて食べます。
日式食堂『成田』のアルタン 手前が問題のわさび醤油
これまで、このへんてこな日式(韓国)料理を私は嫌悪し軽蔑していたのですが、最近やっと許せるようになりました。イタリア料理やフランス料理、中華料理や果てはベトナム料理までごっちゃにしたフュージョン料理がこの頃流行りですが、この日式はそうではなく、孫戸妍ハルモニの短歌のように永らく寂しく韓国に残され、それでも逞しく孤高に生き残った日本文化の孤児だったのだと思うようになってきたのです。
もう一つの祖国を胸に秘めながら日の丸の旗振りし日のあり
目鼻立ち変わることなき友と吾れ唯異うのは国籍のみなり
孫戸妍
日本と韓国が日本製テレビと韓国製ビデオのように互いに手を取り合って、新しい時代を切り開いてゆけるよう切に祈りながら2003年のKOREA REPORTを終わりにしましょう。
何かとお忙しく、世界的に忘年会(韓国では送年会)の季節柄、皆様お体大切に良いお年をお迎えください。
セーヘ ポン マニ パドゥセヨ (新年、福を多くお受けください)
ソウルより 蒲谷敏彦
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