2004 蒲谷敏彦のKOREA REPORT 3月号-2
KOREA REPORT (3月号)
―― KOREAN IN AUSTRALIA (後編その2) ――
スペインでは列車同時爆破テロで多数の犠牲者が出ています。工事現場の音かと思うような爆音が響いたようですが、こちら韓国でも爆音はありませんでしたが、激震が走りました。盧武鉉大統領の弾劾訴追案が国会を通過したそうで、権限行使停止になるそうです。180日以内に憲法裁判所が弾劾の可否を決定するんだそうですが、その間は大統領代行を高首相が勤めるようです。何でもありの韓国ですが、大統領が実際に弾劾訴追されたのは史上初だそうで、大統領もおちおち寝ていられない物騒な世の中です。
さて、長〜く引っ張ってる豪州旅行の3日目です。昨夕はゴールド・コーストでキムチ鍋を食べたのですが、この繁華街にもスシ・トレインという名で何軒かの回転寿司屋があると後で知りました。今朝のブリスベーン空港ロビーではステッカー・プリントという名のプリクラを見つけました。世界に羽ばたくたくましい日本文化に出合ったようで少し嬉しかったです。
カンタス航空のシドニー行きではお隣がKTのお父さんでしたが、現地の英字新聞を悠然と読んでおられます。さすがテキサス奥様の旦那様だけのことはあります。ひょいと見るとワールド・ウェザーのページでしたのでソウルはどうですかと聞くと、雪で最低気温-16℃だそうです。さぞや寒かろう、漢江も凍ってるだろう。
漢江が凍る。昔は人も馬車も凍った漢江を渡ってたもんだと老人は懐かしみ、それは『虎がタバコを吸ってた頃(韓国で大昔のことをいうとき使う常套句。日本でいえば、昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました...)』の話だと若者は言うようになりました。70年代後半から漢江はあまり凍らなくなったそうです。12月になれば凍り、朝鮮戦争当時は戦車も渡河し3月になって溶けていたのに、最近は1月になって凍って、その月の内に溶けるようです。それでも20世紀で全く凍らなかった年は5回(60、71、72、88、91年)しかなかったそうです。
漢江が凍ったとどうやって判断するのか? 韓国気象庁では私が勤務先から帰宅するときに渡る、漢江大橋の南から2番目と4番目の橋脚の間が凍ったときを漢江凍結と記録するそうです。そして氷の厚さは近年特に薄くなりました。薄氷では普通の釣りも氷釣りも出来ないと太公望が嘆いています。
漢江が凍らなくなった理由は?
気象庁は、『気温の上昇は都市化が一番の理由』だといい、環境部は、『ダム建設で冬にも漢江の水量が増えて流速が速くなって凍らない』といい、建設交通部は、『漢江総合開発事業で川幅を広くし、川床を深く掘ったことも理由のひとつ』といい、大学教授は、『下水処理場からの温水が水温を上げている』という。庶民の間では漢江が汚くなったから凍らないと信じられている。
シドニーは気温+25℃、生憎の曇り空ですがソウルに比べれば夏の天国です。シドニー空港で出迎えてくれたのは、昨日観光バスが小さいと誰かがチクッタのか、超大型バスでした。15人の客では後ろ2/3がガラガラで途中から後ろに子供達が集まってトランプをして遊ぶようになりました。その大型バスと共に待っていたのは、私は国会議員や一流会社役員などのVIP専門のガイドだ〜 お客様の中でどなたがVIPですか?と、冗談なのか本気なのか分からないXXな現地男性ガイドでした。黒のめがねに黒のスーツで一昔前の日本の企業戦士みたいです。
豪州ではOKはオーカイ(OKAYの豪州訛り)で、韓国との時差は1時間だけど、シドニーはサマータイムがあって2時間違い、豪州の羊の数とサメの数を教えたと思ったら、南半球一の国際都市シドニーの説明をするでわけでもなく、その後はどうして自分(?)がVIP(相手じゃなくて)なのか?を延々と生い立ちから話し始めました。
曰く、父は陸士出身でお母様はチマ・パラム(教育ママのこと。韓国語でチマはスカート、パラムは風の意。)で一流幼稚園に入れてくれて、習い事はチェロとバイオリン、一流大学に入り、そこで大きな交通事故をして8ヶ月間入院して生死の境を彷徨ったので、人生観が変わってニュージーランドンに移民し、ゴルフとトローリングの遊び三昧の生活をした、9歳年下のスッチーの妻をもらったので、遊びにも飽きてこれではいけないと、豪州に移ったらここは天国、社会保障はいいし、高度な医療費も教育費も安い、それでも上の女の子は私立女子校に入ってて年間200万円かかる、明後日には3人目の子供が生まれるんだ。
とVIPなガイドの半生記をだだっ広いバスの中で聞かされて、私は韓国語も半分くらいの理解力なので馬の耳に念仏でしたが、家内はかなり疲れたらしい。韓国人は初対面でも相手の氏素性を聞きたがり、話したがるものですが、今回の現地ガイドには閉口すると共に開いた口が塞がらないのでした。が、テキサス奥様はきっちりメモしてるし、お金持ち夫婦は、そうかそうかと聞いていたので、これにもビックリです。
男性ガイドから永住権と市民権の違いのレクチャーを受けたあと、バスは山深い渓谷にある重要文化財になっているという古い民家を改造したレストランに停まりました。観光バスが続々と駐車します。そこから出てくる観光客は全〜部やっぱり韓国人でした。ブッフェ形式のレストラン兼お土産屋ですが、経営者もアルバイトも客も韓国人で、出てくる料理はミオック(ワカメスープ)やチャプチェ(韓国風春雨)とブルコギ、キムチなのでした。ここのカクテギ(大根キムチ)は美味しいわ、と金持ち奥様が言われるのですが、私達はここでも閉口するのでした。
シドニーの西100Kmにある、シィーニック・ワールドはリトル・グランドキャニオンと呼ばれる山岳国立公園です。海抜1000m前後の山にはユーカリの木が茂り、木から発散される油分粒子が太陽光にあたり、山全体が青色に光ることからブルーマウンテンズと言われています。コーヒーのブルーマウンテン(こちらはジャマイカ名産ですね)とは一切関係ありません。
そう言われてみれば青いかなあ、と展望台で山々や奇岩を望んで、ここでトイレに行っておいてください、と言われてトイレから出てくると、スゴイにわか雨、南洋特有のシャワーというやつのよう。ほどなくやんでバスに乗って炭鉱時代に使っていた世界でも珍しいというトロッコに乗りに行きます。何が珍しいかと言うとギネスブックにも登録済み?の標高差300mで最大傾斜52°とかで、トロッコの4人掛けの席に着くと一直線に木々のトンネルを抜けて真下に向かって降りて(落ちて)行きます。下りだけのジェットコースターみたいです。
カトゥーンバ炭鉱は1800年代後半に開発され1945年に廃坑になりました。今はレインフォレストの自然散策に観光客が訪れています。うっそうと茂ったユーカリの木の間からライアー・バードの鳴き声が聞こえてきます。トロッコから降りてシダが繁茂する山道を歩いていると昔の炭鉱の紹介展示などがありました。男性ガイドは、日本のお客さんの前でナンデスガ、と話し始めました。
ギネスブックもののトロッコと現地ガイド
この豪州は英国植民地だったので今はこんなに(廃坑になった炭鉱の前でこの話もないだろう)栄えています。それに引き換え韓国は日本の植民地だったのですが、今はどうですか?ちっとも良くないじゃないですか。(韓国人のホンネなのかなあ) 豪州にはワーキング・ホリデーといって働きながら豪州で過ごせる制度があります。一番利用しているのは日本人だそうです。韓国人はもっと豪州に来て、この国のすばらしい発展、この国の良いシステムを勉強しなければなりません。英国人じゃなくて、どうして韓国人が資源豊かな温暖な豪州を最初に発見しなかったのか、私は残念でなりません。
男性ガイドはエライことを言ってるようで、なんだか支離滅裂な話なんですが、私達日本人が居なかったら、もっと日本の悪口を言って理路整然となったのだろうか? 帰りの絶壁を登ってゆく大型ロープウェイに乗って水量の少ない滝を見ながら考えるのでした。その後また大型観光バスはシドニー市街に向かって走り、男性ガイドの身の上話(豪州の健康保険は年収の1.3%程度で、一日に辛ラーメン15杯、ソジュ(韓国焼酎)24本を飲んだりして大病を患ってたが皆タダで治ったという。昨日の千種ガイドと話が違う)は佳境に入り、韓国語の苦手な私はシドニー市街の思ったよりずっと都会で美しい姿に驚いて、子供達は後ろの席でトランプに興じて、テキサス奥様は黙ってメモしていました。
シドニー水族館のサメ
バスは豪州最大のシドニー水族館に到着し、146mのガラスの海底トンネルを通り、無数の乱舞するサメを下から眺めて、国民銀行家族と写真の取り合いをして、コバンザメは韓国語でセキサンオというなどとお嬢さんに教えてもらってたら集合時間に遅れそうになって、無類の水族館好きな私はお土産店で絵葉書ひとつ買えずに出てしまいました。あとでカモノハシのぬいぐるみ(クチバシが黒革でできてる)をテキサス奥様の上のお兄ちゃんが買っていて、無性に欲しくなったのですが、もちろん分けてくれとも言えず地団太踏むのでした。
夕食はカジノのレストランに用意しましたというので、ソウルのシェラトン・ウォーカーヒル・ホテルを連想したのですが、連れて行かれたビルの2階は軽いくだけた食堂街でJAPANESE ? KOREAN RESTAURANTは案の定韓国人の主人と韓国人アルバイト達の韓国語が飛び交っていました。ビュッフェ形式で韓国料理(もちろんキムチあり)、中国料理と日本料理があるのですが、日本料理の一口盛ソバとサーモンの寿司はすぐ無くなるほど人気がありました。私もここで食べないともう日本食にはありつけないとばかり、ソバと寿司ばかり皿に取ってきましたが、これであのXXXXビールを飲むと美味いよなあと思うのですが、注文しようにも店内にビールがありません。
後で読んだ豪州旅行ガイド本によると、次のとおりでした。
『オーストラリアのレストランでよく見かけるのが、B.Y.O.の表示。これは“Bring Your Own”の略でアルコールの持ち込み可の意味。オーストラリアでは、酒類の販売が認可制になっているため、レストランでアルコールを出せる店と出せない店がある。B.Y.O.の表示の出ている店でお酒を飲みたいときは、好みのものを近くのボトルショップ(酒屋)で買って持って行くこと。』
よく見れば、くだけた食堂街はB.Y.O.だらけ。メニューがご大層に入り口に展示されているような高級レストラン?以外はB.Y.O.制みたいです。男性ガイドがバスの中でお酒のお好きな方はコンビニで買っておいてください、みたいなことを言っていたようなのですが聞き逃したようです。先日来の豪州ビール好きの独身アガシはビールが飲めない埋め合わせか、山のようにブッフェ料理を皿に盛り上げて次から次へと平らげてました。
世界有数の夜景を眺める夜の観光コースを有料!でご用意しました、と男性ガイドがのたまい、全員一致で行きます、一人でもご反対の方があればホテルに直行します、と言われるので、疲れてるのに有料のオプショナル・ツアーはイヤだと思うのですが、韓国人だらけの団体旅行で日本人が言い出すわけにもゆきません。それがガイドの作戦だったのか、全員一致!で70豪州ドルを払わされて、行きたくもない高さ304.8m(南半球一なんだろうなあ)のシドニー・タワーに上らされるのでした。
まあ、行けば行ったでどこの都市でも夜景は綺麗なもので、記念撮影をするのですが、デジカメでは綺麗に撮れません。中国人と日本人と韓国人の団体旅行が鉢合わせになって、なんとなく国際的なつばぜり合い(男性ガイドは、中国人は海外に出ると品がない騒がしいと批判するのですが、目くそ鼻くそのアジアのような)をして、夜も更けてから郊外のホテルに着きました。
このホテルは、かのクリントン前大統領がシドニー訪問の際に宿泊したという超一流ホテルというガイドの触れ込みでしたが、あとでそのホテルチェーンということが分かりました。超大型観光バスがロビー正面に着けられないので、皆旅行カバンをひこずってホテルに入ります。何か威張ってるのに様にならない韓国旅行団です。部屋に入ると抜け目無く、男性ガイドが後からやってきて何かご不自由なことはありませんか? と言ってくれましたが、部屋に備え付けの冷蔵庫は鍵がかかっていて風呂上りのビールも飲めません。
男性ガイドの話によるとこのスタンフォード・シドニー・エアポート・ホテルは名前の通り空港に近く、朝早くチェックアウトするときに冷蔵庫の飲み物の精算もしないで出てゆく不届きな者も多く、団体旅行者は冷蔵庫使用禁止なんだそうです。それは韓国人か(日本人も中国人も同じだろうなあ)と聞きたかったのですがそれも聞けず、しからばガイドのあなたがどこぞで冷えたビールを買ってきてもらえないかとも言えず、小心者の私は黙って眠ることにしました。
ということで、豪州三日目はブルーマウンテンとサメと夜景だけで、唯一の楽しみのビールも飲めないのでした(休肝日?)...トホホ。
もちろん明日?につづく・・・
ソウルより 蒲谷敏彦
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