蒲谷敏彦のKOREA REPORT 6月号
KOREA REPORT (W杯特別号 後編)
日本は燃えているか!
韓国は燃え続けています。延焼している感じ。
KOREA REPORT (W杯特別号 後半)をお届けします。
『蒲谷さん、日本16強(シンユッカン)進出おめでとうございます』
『ありがとう 勝ったよ(イギョッソヨ) 勝った』
『お祝いに飲みに行きましょう 蒲谷さんのおごりで!』
『明日ね 明日、今夜韓国も勝ったら』
『はい、韓国も勝ったら、1次会は蒲谷さんのおごりで、2次会は僕達がおごります』
トルコVSコスタリカ(仁川文鶴スタジアムにて)
小泉首相も涙が出てきたという、日本のW杯2度目の勝利は堂々とした試合でしたね。私は勤務中でしたが、天安工場(チョナン・コンジャン)の寮の歓談室で一人でTVを見ていました。生産部の羅次長(ナ・チャジャン)が買って来てくれた紙のようなビーフジャーキーと干しぶどうを肴に缶ビールをチビチビ飲みながら、これまでの試合のような興奮が妙になく、冷めた絶対勝つという確信のようなものを味わっていました。前半0−0は作戦かと思わせるような、後半始まってすぐの森島のシュート、ダメ押しの中田のヘッドも良かったですね。
でも、私は試合終了のホイッスルが鳴ってもまだ何か、残っているようなモヤモヤとしたすっきりしない気分でした。韓国の人がお祝いを言ってくれるのですが、彼らにとって世紀の一戦が今夜待っているのですから。工場の事務員さんを始め、社員は皆で天安のバスターミナル前の街頭応援に出かけるらしい。
私も誘われましたが、万が一韓国が負けるようなことがあれば、どういうリアクションをすれば良いのか? また、彼らの落胆振りを正視できる自信がありません。例えば、自分の子供は有名大学の入試に合格したのに、同い年の友人の息子は試験を受ける朝に交通事故で死んだようなときにどんな慰めの言葉があるのだろうか?
お誘いを丁重にお断りして汽車でソウルに帰りましたが、通路もデッキも乗客で一杯でいつもの通勤・通学列車にしては妙に人が多いのです。それはソウル駅に到着して判りました。赤いTシャツがいつのまにか溢れています。ソウルでの街頭応援に行くために集まってきた、サポーター(赤い悪魔団)や一般見物客が列車から次々と降りてきます。地下鉄の中はもちろんのこと、私の住んでいるニ村洞(イーチョンドン)の駅にも赤い服を着た人々がウロウロしています。前を歩いていた落ち着いた感じの妙齢のご婦人が黒いハンドバックから、やおら赤のTシャツを出して着始めた時には、ブルータスおまえもか!の気分でした。ゾンビに占領された街に取り残された人間の気持ちというのはこんなでしょうか。あわてて自宅に駆け込みました。
今、パク・チソンが1点入れました。どこかで花火が上がっています。
この前の月曜日、小学校は休みになるし、大学の期末試験は延期になるし、ほとんどの企業は昼から休んで韓国VS米国戦を観戦すると(スタジアムの周りには対空ミサイルが配備され、上空には戦闘ヘリ、韓国沖には米軍の空母も待機しているとも)報道されました。当社は朝の会議で対応を検討した結果、天安工場は3時から休みになり、本社も全員でTV観戦と決定しました。昼過ぎから総務部はTVの手配におおわらわでした。大型プロジェクターを会議室に用意しようとしましたが、アンテナとの接続がうまくゆかず、社長室の14インチのTVを出して来ましたが、それでは余りに寂しいと、金代理(キム・デーリ)の家から大型液晶TVを持ってきました。前半ファン・ソンフンが右目の上を切って血まみれになった後、1点を失い直後のPKも失敗して、イヤーな雰囲気になりました。それまでテーハンミング(大韓民国)!の大合唱をしていた事務所もしーんとしてしまいました。0−1でハーフタイムになりましたが、男性社員に混じって静かに観ていた女子社員が入っていった、女子更衣室や女子トイレではロッカーや扉を蹴る音がしていました。その事務員さん達がうれしい嬌声をあげたのは、イタリア・ペルージャで活躍しているアン・ジョンファン(なかなかの美男子)が後半ピッチに入ってきた時と、ヘディングで同点にしたときでした。あぁー負けないで良かったと、当社で二人きりの日本人駐在員は明日からの仕事を考えると胸をなでおろしたのでした。
後半ロスタイムにチャンスとピンチが交互にやって来ます。9人に減ったポルトガルも必死です。でも今!試合は韓国の勝利(1−0)で終了しました。
『日本が勝ったより、そーとーうれしい!』
家内は韓国が負けたらエアロビ教室にしばらく行けないと言っていましたから、本当に嬉しかったんでしょう。私も明日は気持ちよく天安工場に行けます。アパートの周りも前回ポーランドに勝ったときを遥かに上回るはしゃぎようです。テグキ(太極旗)を持って走り回るやら、テーハンミング!を車のクラクションでやってます。
今夜韓国が16強進出を決めた仁川(インチョン)文鶴競技場は、3日前にフランスがデンマークに負けて1点も取れずに1次リーグ敗退したところですが、その2日前にはこれから日本が決勝トーナメントで対決する、トルコがコスタリカと引き分けたところでもあります。私達は先週の日曜日、この試合を観るためにスタジアムに向かいました。トルコやコスタリカのサポーターがスタジアムの周りを取り巻いています。入場ゲートは外国人専用と韓国人用に分かれていました。当然、空いている外国人用から入ろうとすると、家内がボランティアのアジュマ(おばさん)から韓国人はそっちじゃない、と何度も言われてムッとしていました。入場検査ではバックに入れていたデジカメをカメラか?と聞かれて、カメラだと答えたら写してみろとまで言われました。それも韓国語で。(どこが外国人専用口なんだ?それでも最後にはハバ ナイスデイ!とは言われた。) 初めてトルコの民族衣装を見ました。ちょっと夏には暑いような、綺麗な毛布を着たような山岳衣装です。コスタリカの民族衣装はスペイン風でした。試合前には初めて両国の国歌を聞きましたが、トルコのはなかなか重厚でした。(という説明のように私にも大変マイナーな国同士の対決でしたが...)
特殊警察の警備
席は報道席の近くで、隣り合わせになったのはなんと日本の大宮から来られた方でした。日本ではチケットが手に入らなかったので韓国までやって来たそうです。FIFAのチケット販売の不手際や拝金・営利主義などしきりに批判していました。客席がまばらに埋まってきた試合開始30分前にふと上を見ると、テント張りの屋根裏に照明やスピーカーを設置しているキャット・ウォーク(金網通路)を歩いている2人がいます。黒ずくめの2人は小脇に黒い小銃を構えて何か探しているようでした。兵隊ではなく、特殊警察というらしいです。恐る恐る怪しまれたデジカメで写真を取りました。映画のワン・シーンを思い出します。『シュリ』という韓国映画で、南北朝鮮のサッカー親善試合に北朝鮮のスパイが大統領暗殺のためにスタジアムに潜入する話です。ドキドキハラハラしていたのは私達だけでしょうか?
観客席の応援はトルコが圧倒的に多いようです。もちろん韓国人が応援しているのですが8割方がトルコ側です。迷彩服を着た韓国軍人OBも目立ちます。朝鮮戦争の際に国連軍として参戦したトルコは韓国の友軍だったんです。トルコは5000名を派兵し、米英に次ぐ3番目の犠牲を出したそうです。そんな50年前の恩を忘れず、韓国市民はスタジアム全体でトルコを応援していたのです。この辺は対米国戦でアン・ジョンファンが得点したときのゴールセレモニーで、今年のソルトレーク・オリンピックのショートトラックで金東聖が反則で米国に金メダルをさらわれた様子を再現して溜飲を下げたのと対照的でした。韓国の若者の反米感情は相当なものらしい。日本でいえばアンポ・ハンタイ時代でしょうか。韓国チームはサッカーの練習時にこのゴールセレモニーも一生懸命練習したそうです。
ハーフタイムにビールと飲料水を買いに行きましたが、
『メッチュ ハゴ コルラ ジュセヨ』
と韓国語で言ってもなかなか売ってくれません。
そこで、
『ワン・ビアー アンド ワン・コーク プリーズ』
と言うとすぐ対応してくれました。これは私の韓国語が通じないのではなく、外国人に親切にしましょうが昂じて何でも外国人優先になっていたようです。韓国人には、少し待ってくださいね 外国の人が先だからと言いながら、コスタリカ人やトルコ人に売っていました。(なんともなんとも)
トルコが先取点を入れ、大宮の人たちが日本VSロシアを観にホテルに帰ります、と後半終了10分前に帰ってゆかれましたが、その後すぐにコスタリカが1点取って引き分けに終わりました。後ろの韓国人が、
『クロッチ、クロッチ! (そう、そう!) アァー? チンチャ パボヤ (あぁー ほんとに ばかだなぁ)』
を連発したような見ていて歯がゆい攻防でした。
試合が終わって、大変な混雑になるだろうか? 昨夏宮島の水中花火大会を観た後、大観客が一斉に移動して、宮島桟橋のフェリーに乗るだけで1時間30分かかりました。その後、JR宮島口駅のフォームが人でいっぱいになり、線路に落ちるんじゃないかと怖かったのです。そんなことを思い出しながら仁川地下鉄1号線の駅に向かいましたが、警察が人垣(ポリスラインというらしい)で交通規制し、3分間毎に地下鉄もやって来て何事もなくスムーズに帰れました。それでも、帰宅したのはロシアのゴールに稲本がボールを流し込んだ1分後でした。あーあと残念がる韓国人の声が他の部屋から聞こえていました。実は大半の韓国人は、日本だけ16強になって韓国がなれないのには耐えられないと思っていましたから、日本の対戦相手を応援する人が多かったのです。試合日程が日本の後に韓国だったということも影響していますが...
深夜1時を過ぎましたが、TVは放送時間を延長して韓国津々浦々(パンパン・コクコク)での応援風景や祝!16強進出の様子を延々と映しています。一体いつまでやるんだ?
日本では青ならどんなTシャツも売れていると聞きますが、こちら韓国では赤のTシャツが売れに売れています。でも、試合終了後の韓国と日本選手の様子は対照的でしたね。日本選手は淡々としていましたが、韓国選手は全員で手をつないでゴールラインからゴールラインへ走って、ヘッドスライディングを観客に披露して喜びを表しました。嬉しいときと悲しいときの起伏が大きいのです。(日本が世界的に小さいといえるかも知れない。) ともあれ日韓共催国がどちらも決勝トーナメントに進出して一安心。
翌日約束どおり、社員達と補身湯(ボシンタン 犬肉鍋!やっぱり)を食べてお祝いしました。
『日本はトルコで楽勝ですね』
『韓国はイタリヤなので...』
『そんなことないよ。こうなったら、横浜(決勝戦)か 大邱(3位決定戦)でマンナジャ!(会おう!)』
と話し合った楽しい夜でした。
韓国人と日本人、韓国と日本、いろいろまた考えさせられるW杯でした。まだ終わってないけど...
それではまた来月お話しましょう。
ソウルより 蒲谷敏彦
バックナンバー02.6月号前編