(地球環境への提言応募レポート) 2002.7
ふるさと睦月島近海への産業廃棄物投棄で考えたこと松山東高校3年 渡部さやか
私のふるさと睦月島で起こった産業廃棄物の海洋投棄を契機に環境問題について考えたことを述べたいと思います。
母は、瀬戸内海の小島、睦月島で生まれ育ちました。現在も祖母が住んでいるので夏休みなどは家族で必ず里帰りします。
睦月島は、人口300人位の小さな島ですが、周りが瀬戸内海国立公園の海に囲まれた自然に恵まれた小島です。
みかん農家の祖母の暮らしは質素ですが、自然からの恵みを充分に受けた素敵な生活です。野菜類は、みかん畑の間に栽培していますので、お米の他は自給自足で生活できますし、魚も近所の漁師さん達が分けてくれるので買う必要もないそうです。
島の食事は、野菜は味が濃くて美味しく、魚は磯の小魚が中心ですが、新鮮で大好きです。
睦月島に里帰りする小中学校時代の夏休みの自由研究は、毎年決まって、父と磯に出て海に生息する生物や海草類の観測をしていましたので、磯の風景や生き物達にはとても愛着があります。
その年の夏に初めて行く磯で昨年のように活気に溢れた色とりどりの磯の風景を見ると何だか安心し島に帰ったんだと実感するのでした。
そんな睦月島の人々の自然と共生した生活を脅かすような出来事が起こりました。
産業廃棄物を満載した船が、大阪からやってきて睦月島の近くの海中に投棄しだしたのです。連日、たくさんの廃棄物が、ふるさとの海に投棄され続けました。
廃棄物は、1995年の阪神淡路大震災で倒壊した建物や港湾施設などの残骸だったようです。
悲惨な震災で被災し壊れた建物などの残骸ということで、気の毒な気持ちもあって、島の人たちは、困ったと思いながらも静観していたそうです。
今回、この提言を書くために役場に伺い出来事の経緯を聞いたところ、睦月島の漁業組合長さんが、漁礁を造る名目で大阪の産業廃棄物を処理する会社に産業廃棄物を海に捨てる権利を売ったとの事でした。
投棄は、島の人たちの陳情で、中島町議会が海洋投棄を禁止する条例を採択し、最終的に愛媛県が海洋投棄を禁止する条例を成立させ中止されたそうです。
私は、投棄が行なわれていた年の夏休みも島に帰り、例年のように引き潮時の磯に行きました。
投棄場所が、いつも観察している磯から少し離れた場所だったので、見た目には、それ程汚れている感じはしませんでしたが、水中眼鏡で、海中を覗くともう別の海でした。
いつも色とりどりの海草に覆われていた磯は、灰をまいたように白く埃っぽく濁っていました。イソギンチャクやウニ、ニナなどの貝類も少なくなっているよう感じました。
明らかに投棄された産業廃棄物の影響です。
祖母の話では、毎年、島の人たちが楽しみにしている磯のウニや貝類が採れる初夏の解禁日にも収穫は少なかったそうです。なにより活気溢れる彩りを失った磯の話をするのが、大変残念そうでした。
今回投棄された廃棄物のもとであるビルや道路、橋、湾岸設備などの建造物は、私達の生活になくてはならないものです。
しかし、これらの建造物は、自然災害でなくてもいずれは、壊され廃棄されます。
その時には、私のふるさとでなくても必ずどこかに棄てられます。
ふるさとの海でなくても他の地方の海や山に、日本でなくても他の国々にきっと棄てられるのです。地球というみんなのふるさとに廃棄されます。
地球の環境を守るために、私達は、50年、100年後の将来、建造物などが壊され棄てられる時の事をみんなが自分の事として考えていなければいけないと気づきました。
たとえ、余分な費用がかかっても鉄やコンクリート、木材などを廃棄物として棄てずに再利用し新たな建造物としてよみがえらせる事が必要なのだと気づきました。
また、同時に毎年のように掘り返して造り直しているアスファルト道路のようではなく、もっと長持ちするしっかりした道路や設備を造り廃棄物を少なくする努力も社会全体で必要だと思います。
最近、車やエアコンのフロンガスを廃棄するために新しく車を買う人が、先に車やフロンガスを再利用したり処分する費用を負担する法律が出来たそうなので、こういった発想を建造物にも取り入れることも有効な方法かも知れません。
私は、まだ将来どんな仕事に携わるか判りませんが、これからはふるさとの海を汚さないために、未来によりよい環境を残すために自分に何ができるのか、私たちの世代に何が求められているのかといった問題意識をもって、これからの学生生活の中で学び経験し、ふるさと地球の環境を守ることに貢献できる人になりたいと願っています。
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