きまぐれ更新日誌(2002年8月)
<8月22日 木曜日>
 KOREA REPORTの蒲谷から夏休みを利用した沖縄でのレース
 レポートが届いたので、転載します。
 
毎々お仕事お疲れ様です。
ソウルは今日も大雨です。
 
昨日まで沖縄でしたので、南洋ボケです。
まだ少しボーっとしてます。
海外に行っても大概、ソウルに帰ってくると
あぁー帰って来た。ソウルの方が安心する。(気が落ち着く)
となるのですが(近頃は松山からソウルに帰ってもそうです)、
今回はもう少し沖縄に居たかった感じです。
 
天気が良くて、日向は熱いのですが、日陰は昔の夏の涼しさ
だったし、ゴーヤや豚料理の食事にもすっかり慣れてしまって...
(昼定食が小ビール付き!(沖縄も昼からよくビール飲むようです)
で650円のノリだし)
ゴーヤチャンプルーのチャンプルーは混ぜるという意味らしく、
ソーメンチャンプルーやトウフチャンプルー、フ(麩)チャンプルーというのもある。
ビビンパプ(混ぜご飯)と親戚のよう。
 
友人のヨットでレースに参加しましたが、
台風13号の影響で天気はいいのですが、
波が高く、風も強かったのでなかなかスリリングでした。
離島のフェリーが2日連続欠航したくらいです。
 
その、離島(伊是名島)に宜野湾から10時間かけて
航くレースだったんですが、ズーッと向かい風(ヨット用語では
クローズ・ホールドといって、風上に45度くらい斜めに上ってゆきます。
方向転換をしながらジグザグにスイッチバック式の汽車のように航行します。)で
夕方5時のタイムリミットにも間に合わず、正式なフィニッシュは出来ませんでした。
伊是名レースは朝7時スタートで直線距離44マイル。参加艇9艇。風速16〜20ノット。
(TREASURE(デヘラーの36)に乗せてもらいました。)
 
それでも島の港にヨットを舫って上陸しました。
夜は1000名の住民だというその島の夏祭りもあって、
これが半端な祭りでなく、大芸能大会(エイサー踊りや
沖縄太鼓の熱演、島歌に踊りなど)でした。
はとば旅館という民宿に泊まったのですが、
その部屋から打ち上げ花火も見えました。
(沖縄の花火は夜遅く、11時前から上がります)
 
沖縄本島では海軍司令部壕やひめゆりの塔、摩文仁の岡など沖縄戦の跡地を
見て廻りましたが、57年経った今でも生生しい光景でした。
戦争はダメだといいながら、21世紀の今でも世界のどこかで
戦争している、ダメな人類を憂う旅でもありました。
 
私の故郷は広島ですが、広島、沖縄、ソウルは第2次世界大戦(または、朝鮮戦争)の
被災地という面で共通する悲しく張り詰めたような空気があります。
(そんなところが私には、反対に落ち着くのかも知れません。)
 
追伸1;沖縄の風を写真付きでお送りします。
想像してください。
青い空、白い砂、蒼い海、
風にそよぐ椰子の葉、マンゴージュース
 
追伸2;那覇市のオリオン座でスターウォーズ・エピソードU
を見ました。(月曜日は男性だけ1100円だそうです モウカッタ♪)
昔の映画館で大ーきいのに観客がいない。
クライマックスの戦闘場面は米軍の海兵隊を連想したんですけど、
私だけでしょうか? クローン部隊は今回善玉でしたけど、
いつから帝国軍になるんでしょう? 
次回をまた観なさいと言うことでしょうか。
沖縄のヨットレースにて
拡大写真120k
沖縄の赤レンガの民家
拡大写真120k
  
 <8月21日 水曜日>
  どれも壁紙になりそうなきれいなクルージング寄港地の写真を公開しているホームページ
 を見つけました。

  ヨットBAGATELLE(ささいなこと)Wホームページ
  (PHOTOSの欄の日付をクリックすると拡大写真)

  ベネトウのヨット、オセアニスでフランスの大西洋岸から地中海をクルージングしながら
  撮影した写真を航海の日付順に公開しています。
  フランス人の夫婦?がクルージングしながら撮った2001年から2002年まで
 の写真が公開されています。
  フランス語なので文章は判りませんが、
  気軽なクルージングの思い出に撮ったような写真が相当きれいで、
 ちょっと感動しました。
 ヨーロッパの人々や歴史の豊かさみたいなものを感じます。

 <bagatelleのクルージング航跡マップ>
 航跡マップ
 
 <8月10日 土曜日>
 
ヒーブーツー   メインを降ろし、ストームジブ1枚で帆走中のFortissimo
 それでも、6ノットから7ノットのスピード。
 少し落ち着き余裕が出来、キャビンから撮影。
 この時は、まだオーパイが、稼動中で余裕があった。

 スターン左側のパルピットに付けた黄色いのがアルゴス
(拡大写真110k)
レース中のFortissimo(リスボンの沖200マイル)

 8日木曜日に原さんがPORT SANTOから帰国
 早速、会うが過酷だったレースの割に痩せてない。
 (本人は、10kg痩せたとのこと)

  詳細な、レースレポートは、布田さんが、舵に掲載予定とのこと。
 
   原さんが、レース中、もうだめだと思ったのは、2度
 
 無風で霧のため、数十メートも視界が利かない中、
 スペイン、オルテガル岬沖20マイルで本船航路に突入したこと。
 霧の中、無風で、沖出しもできず、突然、現れる本船の陰に怯えつづける。
 VHF無線で、レース中のヨットであることを叫びつづけるが、全く応答なし。
 エンジンは、スタート前にレース委員会が、針金でぐるぐる巻きに縛り、
 スクリューを回せなくされていた。
 (このエンジンのドライブ部分を縛った針金は、フィニッシュ後、
 レース委員会が、ボートで船に乗り込み確認のうえ切断した)

  ペラを使用のためエンジンの針金を切れば、レース失格の恐れもあったが、
 針金をきることを真剣に検討していたとき、やっと風が出て本船航路から非難でき一息。
 (この状況は、Fortissimoのホームページでもアップされている)

 もう一つは、リスボンの沖200マイルでのヘビーウエザー
 この強風が、ほとんどレースフィニッシュまで続いた。

 電柱の高さ位の波が、前ばかりか、左右、後ろからも押し寄せ、
 ヘルムでコクピットにすわっていても、背中から突然の大波で、飛ばされそうになる。
 サーフィングし走れば、波にバウが突っ込み艇は、潜水艦状態となる。
 ライフラインで何とか、落水を防ぐ状態であった。
 
 もし、落水すれば、ライフラインでヨットに繋がっていても
 高速で走る船から落水者を引き上げる体力は、
 2人とももう残ってなかっただろう。

 漆黒の闇夜続きで、ウインデックスを見てかろうじて舵を取る。
 オートヘルムは、早々にオーバーワークーで動かず。
 舵を1時間交代で持ちつづけ、慢性疲労のため目がかすみ
 航海計器はおろか、コンパスもまともに見えなくなる。
 
 舵の交代と同時に、ずぶぬれのままキャビンに倒れこみ、
 1時間後には、また舵を持つ為コクピットに這い上がる。
 
 この頃から、幻聴、幻覚も現れだす。
 演歌や、歌謡曲が聞こえ出し、キャビンの後ろの方で
 2,3人がヒソヒソ話している幻覚が見え出す・・・。
 
 以前のファストネットレース参加の時は、フィニシュ後、スグ、ビジネスジャケットに着替え、
 ブリーフケースも持って、さっそうと艇を降り、ガイジンクルー達にあきれられていましたが、
 今度は、相当参った様子。

 このレースに参加したフランス人のヨットマン達のタフさと卓越した航海技術や
 ヨットマンの層の深さを痛感した。
 しかし、このレースは、自分の生涯の財産となった。

 
スタート地点に向かう原
(拡大写真80k)
スタート後まだ余裕の原さん(拡大写真100k)


 <8月2日 金曜日>

  PORT SANTOにフィニシュしたFortessimoは、
 レースでは地獄の3丁目まで行ったようだが、
 今は、大西洋の真珠と呼ばれるマデラ諸島のリゾートで、安くて新鮮なシーフードとワインで
 極楽しているらしい。
  パリなんか目じゃないとのこと
 <マディラ諸島のライブカメラ>
 
 アーやっぱり、レース中の心配しただけ損した気分。

 <8月1日 木曜日>
 Fortissimoは、オーパイ2000が25日頃にぶっ壊れて、
 しけの中、フィニシュまで二人で交代で、ティラーをもち続け大変な目にあったよう。
 特に夜間は、1人1時間ももたない荒れ模様だったようだ。

 (Fortissimoのホームページにレポート)
 吹きすぎて何日もセールがあげれないサバイバルレースはすごい
 ストレスなんでしょう。
 いろいろ想像しますが、こちらは、部屋のパソコンの前ですから。

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