きまぐれ更新日誌(2003年 8月)
   <8月17日 日曜日>
 
15日に睦月島里帰りで高速船に乗った時、バックパックの外人と乗合わす。
 短パン、Tシャツにビニール傘持参で、中島でキャンプでもしているのかと思ったら、中島町の小中学校の先生だった。
 8月3日にカナダから来たばかりで、学校が夏休みの今は、毎日、松山市で日本語の特訓を受けているとのこと。

 
松山市への宿泊は、気の毒にボス(日本国政府?)の命令で禁止されているそうで毎日、中島からフェリー通勤。
 

 
日本国政府のJETプログラム(Japanese English Teachingプログラム)は、世界30カ国から英語教師を2000人位日本に呼び日本全国、津々浦々の小中学校で英語を1年間教えるそうです。
 これから世界に道を切り開いていかざる得ない言葉のハンデのある日本人の子供達には、きっとありがたいプログラムなのだろう。
 堀江の海岸を埋め立て遊歩道を作るのに税金を90億円使うよりは、僕の税金が有効に使われるに違いない。

 彼、エリックは、京都・大阪を希望したそうだけど、めでたく瀬戸内の中島町に赴任となったそう。
 ちなみに彼のカナダの友人は、今治の沖にある岡村島(関前村平成12年で人口902名)に赴任だそうです。
 
 エリックは、23才で大学卒業後、この1年間、日本で英語を教えた後は、ブラジルの大学院に入学するのが決まっている。
 文化の違う外国で、仕事や旅をしてまた、大学に帰り専門の勉強を続ける環境が整っているのは羨ましい。日本でも次の世代の子供達には、そんな環境も希望すれば選べるようになって欲しいものだ。

 

 今月は、えらい、真面目な日記ばかりになってしまって・・・


 <8月16日 土曜日>
 
終戦記念日の翌日だからと言う訳でもないけど文庫本で「戦艦大和の最後」を読む。
 この本は、坪井平次さん著で戦艦大和の五番高角砲員として、マリアナ沖、レイテ沖海戦、最後の沖縄特攻出撃に赴いた著者の過酷な経験を綴った記録。
 戦記本では、過去に「失敗の本質(日本軍の組織的研究)」を読んだことがあるぐらいなので、この一兵士の戦争体験として、市民が徴兵され、敗北が決定しているような戦いに否応も無く参戦しなければいけない過酷さ、理不尽さを改めて知らされた。

 また、沈没し重油の海を漂流する九死に一生を得た大和の乗組員めがけ、アメリカ軍の戦闘機が何度も来襲し機関銃で掃射してゆく状景や大和の母港であった呉の空襲で、街の周りに焼夷弾を先ず落とし、火の壁を作り市民が逃げられないようにした上で、中心部に絨毯爆撃を加えて一般市民を虐殺してゆく著者の描く光景には、今年、イラクを占領したアメリカ軍が浮かんできた。

 <8月15日 金曜日>
  お盆で睦月島に里帰り。

 
夕方から灯篭流し。フェリー桟橋から和船で灯篭を少し沖に浮かべ流す。
 
幻想的でなかなか綺麗
 
翌朝は家の前の防波堤から子供と投げ釣り。キスを5,6匹。

 平成3年の台風19号災害以来、防災を理由に海岸線はテトラポットの山で醜い。
 海水浴場の沖の海中にもテトラポットを消波ブロックとして沈めており、引き潮になると醜いテトラポットの山が現れる。
 島の海岸線の住人もテトラポットなど家の前の沖に沈めないよう役場に陳情したが、決まったことだからと中止にならなかった。
 海岸線の住人が、止めてくれといっているのにいったい誰のためのテトラポット投入なのか?
 北条のスポーツセンター前の海岸工事、堀江海岸の工事と自然の海岸線が潰され、遊歩道とかになると見聞きする度に腹が立つ。ヨットマンはみんな同じ気持ちでしょうけど。

 

睦月島の灯篭流し

睦月島のテトラポット群

 <8月10日 日曜日>
  
MPROも儀装が終わり久しぶりに瀬戸内をセイリング
  リフレッシュの1日でした。
 
 セイリングのあと8時から三津の花火大会
 梅津寺の高台にある岡本オーナー宅から鑑賞
 昨年は、MPROの艇上から見たが、海面は無灯火の小型船など観覧船がひしめいて危険だったので今年は洋上からの見学は中止。
 5000か6000発の花火が1時間に渡って鳴り響いてましたが、僕は酒を飲むのに忙しく花火はほとんど見逃す。
 昔から花より団子ですから。
 

 <8月9日 土曜日>
 8月2日に世界一周ノンストップの航海に出かけた米子さんのエミューが、ウインドベーンなどの航海装置の破損で、ハワイに寄港するとの新聞記事を見かけました。
 8月5日にMPROのキール取付を手伝ってもらった池川ヨット工房の池川さんが、8月1日に出航を明日に控えた米子さんのエミューのウインドベーンを雨の中、8時間かけて取り付けたと話していました。
 やはり簡単には順調に航海させてくれないものですね。

 ほとんどヨット経験のなかった米子さんが、片腕のハンデのために受験資格さえ与えられない日本の小型船舶免許制度に物申すため、初めてフランスから日本までシングルハンドで、航海したときの艇は、MPROを建造したフランスのアーションボー造船所建造のSURPRISE26です。
 このワンデザインボートはシーホースの原さんが外洋航海に耐えれるよう建造段階から造船所に補強するよう特注したそうです。
 米子さんのことは、原さんが米子さんから艇の発注を受けた時以来いろいろ聞いていましたが、こんなに有名なヨットマンになられるとは!

 米子さんは、造船所近郊の港町ラ・ロッシェルのヨットハーバーで、艇に宿泊し地元ヨットマンからヨットの手ほどきを受け日本に向け出航、見事日本までの航海を成功させました。
 片腕で船外機を軽々持ち上げる日本のヨットマンはラ・ロッシェルでも話題になっていたと後に造船所の人から聞きました。
 そして今回は、30FEETでノンストップ世界一周の航海に出発された訳です。
 
 無事な航海をお祈りします。

  <8月5日 火曜日>
 
今日のアンカレッジマリーナでのMPROJECT儀装風景スケッチです。
 昼から会社を休みちょこっと手伝。
 キールの取り付け / ラダーの取り付け / 船台の組み立て・・・・をほぼ完了し明日はマストを立てる予定。
 
キールの付け根をポリパテで整形してくれている池川ヨット工房の池川さんは、現在32Feetガフケッチを建造中で、完成次第、リタイヤし奥さんと世界周航の旅に出るそうです。
 「行ったことのない場所は全部行きたい」そうですが、「ヨーロッパの運河クルーズなんかももいいなあ」とのこと。  
 ヨーロッパの運河クルーズは、僕も是非、行きたい場所です。
 体力的にクルージング可能年令が70歳として残された時間は、18年間なので世界中すべてはとても見きれないだろうとのことでした。18年間は短いのか充分な時間でしょうか?!
 


 <8月3日 日曜日>
 MPROJECTがアンカレッジマリーナに到着したので整備に行く。
 5月3日にフランス西海岸北部のカンペールでのレースが終わり、一旦ラ・ロッシェルまで回航しキール・マストを解体後貨物船に積載、シンガポール経由で、神戸まで帰ってきました。神戸からフェリーと陸送で8月1日の金曜日にアンカレッジマリーナに到着。
 3ヶ月ぶりのご対面です。
 埃で薄汚れていたのを水洗いと雑巾がけで綺麗にリフレッシュする。
 今回フランスの造船所で、アウルグリップで全面塗装したので濃紺のハルが鏡のように光り気持ちよい。
  

 
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