更新日誌('05年7月〜8月)

<8月25日 金曜日> 
 
仕事もだれかけた午後3時頃、オーストラリアのブリスベーンに出張中の原さんから、こちらの様子を見透かしたような電話が入る 
 「今,ブリスベーンから車で1時間ほど、北に来た街で、きりっと冷えた白ワインを昼飯に飲みよるとこ。うまいなあ!。ここは最高にええとこじゃなあ。」
 「そんなにええんなら、そのまま永住したらどう。」
 「ええとこでも仲間(自分の属するコミュニティ)がおらんと1人では、面白ないよ。」とちょっと本音も。
 
 原さんの出張は、ヨットの輸入販売といった仕事柄、世界のリゾート地のマリーナへ出張が多くなるようだが、そん場所は、どこへいってもうまい地の酒と食い物があり、ますます最高にええとこになるだろう。
 「さっき、地元のカタマランのディーラーと彼らの納艇した60フィートのカタマランをオーナーのプライベート桟橋で見てきたが、艇はもちろん、プライベート桟橋もすごい.桁外れ。」

 
60フィートカタマランが、何艇も売れる市場に羨望のため息のようだ。
このディーラーは、このサイズのカタマランをもう6艇売ったそうだ。
客の一人は、追加でもう一艇このカタマランを購入してくれたそうだ。
60フィートだと2億円近くするらしいが、地元のディーラー曰く、このくらいのサイズのカタマランを買うお客さんの方が,決定がはやく売りやすいそう。
 
このディーラーは、イギリス人で奥さんはフランス人。
 7年程前香港からパソコンと体一つ(二人だから二つかな)できたばかりだが、今は豪邸に住んでる。

 こちら松山のやや息苦しい事務所で、原さんとブリスベーンの安くて美味いワインとロブスターや羊の柔らかくてジューシーなステーキの話など10分ほど聞いて、生唾を飲み込みながら電話を切る。
 反射的に友達に、その晩ワインを飲みに行くお誘いの電話をしていた。

 <7月31日 日曜日 三津の花火大会>
 
5時から船釣に出かける。
 4時30分に枕もとの携帯電話のメールで起こされ、三津のマリーナに浮かぶベイライナーに直行。
  ベイライナーのエンジンルームを覗いたら、水が20cmほど溜まっている。
 なめてみると雨水のようだ。海水の浸水ではないので一安心し、ビルジポンプを作動させ排水、出港
 
後で確認したところ、デッキの2箇所の排水パイプに汚泥が詰まり、雨水が溢れ、エンジンルームに漏水していたようだ。整備は、大事だよ!・・・。
 中島周辺で潜り、今夜の花火大会用に「あわび」をとる予定だったが、前線に伴う豪雨で視界悪く、予定変更。
島のフェリー桟橋で金メバルをバケツ一杯釣り帰港。
 
 5時からMPROJECTの黒岩別荘に、恒例の三津浜の花火大会見物に出かける。
 今年も飲むぞ!タ〜〜マヤ〜〜
 以下割愛、写真館でご想像下さい。
 

 動画 3.65MB
 写真クリック
 '05年7月31日三津の花火from黒岩 写真館  写真追加



 <7月18日 海の日>
 
堀江沖をセイリング
 池川ヨット工房池川さんの世界周航用自作艇「花丸」のテストセイリングに出会う。
 微風の中、機走7ノット位で軽快に走っていた。
 ヘルムをとりながら、お茶を飲み、何かしら満足そうな笑顔でした。
 世界周航の旅をあれこれ想像し楽しんでいるのでしょう。
 

 池川オーナーヨット、コーラルリーフも阿波踊りレースに向け、練習中のようだ。(海の日に出会ったヨットは、結局この2艇のみ)
 やはり、満面の笑顔は、一昨年優勝のこのレースのことを考えているのでしょうか?

 <7月10日 日曜日>
 水軍レース(来島の大島を拠点にした村上水軍を記念する和船レース)
 7年目の挑戦で、ついに決勝進出WestMonkBrothers楽団チーム(2艇参加のAチーム)。80チーム余りがエントリーした中での快挙。
  気合いの入った近隣のたくさんの漁協チームなどを破っての決勝進出は、少しの幸運とメンバーのポテンシャルの高さの賜物か。
 1回戦で、元高校ボート部キャプテンが、自分のTシャツを櫓に引っ掛けたまま、櫓を押しそのまま勢いあまって、落水。伴走中の取材艇に救助されるハプニング。
 それにもかかわらっず、すばらしいタイムを出し、2回戦に進出。
 そのままの勢いで、悲願の決勝進出を果たした。
  決勝は、早い逆潮をまともに受ける1番沖のコースからのスタートではあったが、最後まで、デッドヒートを繰り広げ、4位であった。決勝に残ったチームの実力を見ると上出来であろう。
 表彰式では、技能賞獲得。(13年目のレースにして初めて落水者を出したことが受賞理由かも?)
  優勝は、地元、鵜島のチーム(大島の隣の小さな島で、子供の頃から伝馬船を足舟に使うような環境の人が集まっているそうです。)
 宇和島遊子漁業協同組合チームも平均年齢70歳は、あるように見えるが、軽快に櫓を操り、それほど息切れもしてない様子だったのは、さすが。

  今年、全員初挑戦の僕も乗ったトライアスロンのメンバー主体のS × L エス・バイ・エルチーム(2艇参加のBチーム)は、目標のスタートラインまで、漕いで行くことは、難なくクリアー。
  というのも、スタートは、桟橋に横付けした状態からだったため、漕ぐ必要がなかった。
  スタート直後、やはり焦りからか櫓の一丁が、2度も船から外れてしまい出遅れ、前半は、最下位の5位となるが、後半皆の呼吸が合い、猛烈な追い上げの結果、3位フィニッシュ。
  来年のリベンジに燃えながら宮窪から帰った。
  

決勝戦スタート 決勝戦ゴール前 1回戦 取材
動画ファイル(写真クリック) 動画ファイル(写真クリック)

 
 


WestMonkBrothers(Aチーム)
水軍レース写真館へ
S × L(Bチーム)

←WestMonkB, 2回戦スタート
動画

2回戦A動画

2回戦B動画


 <7月3日 日曜日>
 
第1回中島カップ(レース情報から松山フリート、中島カップを)にMPROJECT出場
 前日土曜日の夕方、昼から整備。整備といえば聞こえはいいが、ブームの中の鳥の巣を洗い流し、デッキも清掃。儀装類をチェックし,レース用にセイルの引っかかりそうなところにテーピングしたりしているうちに5時になり、中島に出港。途中クローズで30分練習し中島の大浦港に到着。
 知り合いの専用桟橋が空いていたので、そこに係留する。後で、参加全艇の泊地をきちんと確保して図面もできていたのを知りびっくり。
 レース運営の方が、車でわざわざ出迎えてくれ、レセプション会場の長師港に10分ほどで到着。
 さっそく、レセプションに参加。宿泊施設の海の家を借りきり庭で、海鮮バーベキューパーティー。
 食事は、豪華で、各チーム毎に鯛、サザエ、あわび、肉など大盛りの大皿が用意されている。
 炭火の前で、汗を流し鯛を焼きながら呑み放題の生ビール。
 各艇腕自慢が参加しての腕相撲大会やら500円投資の勝総取りのジャンケン大会など盛りだくさんの趣向で楽しむ。
 中島町の海の家の人も、百数十名以上の宴会で、村おこしに喜んでいるとのご挨拶であった。
 松山フリートの田内キャプテンはじめ運営の人たちは、10年分の活躍をされたことでしょう。ありがとうございました。
 
 
夜半から激しい雷雨で、明日のレースはどうなることかと、同部屋の原さんのいびきと雷鳴に悩まされながらうたた寝をする。
 岡本オーナーは、いびきを避け、MPROJECTで寝るが、蚊の大群との戦いで寝れなかったそうだ。
 翌日は、6時に目がさめると幸い雨が上がっており、食堂で昼食のあと、運営の送迎車に送られて、泊地の艇に向かう。
 
 8時20分のスタート時間にむけ、レース海面に向かう。雨も上がりよい風が吹いていいコンディションだ。
 
 寺山さんのヘルムで、ジャストスタート。
 第一マークの鹿島に向けクローズで、快走する。すぐ後続艇を引き離し、ぐんぐん前にでる。
 霧で、鹿島が視認できないので、チャートに記入したコンパス角度とGPSを見て走るが、GPSの角度と20度も誤差がある。
 フィニッシュ後にGPSに鹿島の位置を設定ミスしていた事が判るが、スタート後しばらくは、オーバーセイルでかなりロスしたようだ。設定したのは、自分であったので、反省。
 鹿島の水道をでる辺りで、スピンアップ。フリーの帆走でぐんとパワーを増す。GPSの速度で、MAX9.1ノット程度を出していた。
 すぐに第二マークの小安居島に到達し、ゼノアアップし、スピンを取り込み。風速があがり、オーバーパワーとなったので、ゼノアをNo2ジブに交換。風が強くなる時の50Feet艇のセイルチェンジは、しんどいが面白い。 ゼノアの取り込みは、2人で手におえないので、4人がかりで、真新しく硬い巨大なケブラージブを艇内に収納。
 フィニッシュ1マイル前で、再びゼノアに交換用意とヘルムの寺山さんに言われた時は、ドキッとしたが、クルーには、幸いそのままセイルチェンジなくフィニッシュ。10時38分


ヘルムの寺山さん

レース終了後の原さん
レース途中からの雨で、合羽の下もびっしょり濡れてしまった。
きびしい表情でメールチェックの岡本オーナーと神田くん


 フーストホームとクラス優勝でした。
 中島カップレース成績表

  
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