更新日誌('09年6月〜7月)
  <7月22日 火曜日>
日蝕 solar eclipse
渡部さま

 ご無沙汰しております。
暑中お見舞い申し上げます。
さて、7月22日午前11時、先ほど皆既日食が雨の中終わりました。
生憎の大雨で太陽そのものは厚い雲と雨に隠れていましたが、皆既日食の5分ほどは真っ暗になって夜のようでした。
道路や当社工場の外灯も自動的に点灯しました。
鶏が鳴いたり馬が暴れたりはありませんでした。
今はただの曇りのち雨模様です。
急ぎご報告まで

  蘇州から蒲谷でした。

蘇州で日蝕:9時33分

蘇州で日蝕:9時39分

<7月12日 日曜日>
 久しぶりにマリーナに。
 シンシアも長い間乗ってないので、マストからの漏水が気になり覗いてみた。
 床板ぎりぎりまで、水が溜まっていたが、幸い床板は濡れていない。
 さっそくビルジポンプで排水しすっきり。
 壊れていたソーラーベンチレーターにプラモデル用マブチモーターを付け直していたが、一度止まると、次に廻り始める力不足で止まったままの状態であった。しかし、このかんかん照りの太陽で順調に稼動している。ソーラーパワー回復!。


<6月27日 土曜日>
 コロンブス最初の1492年8月の航海は、3隻の船で行われた。「サンタマリア」「ピンタ」「ニーニャ」である。今回の「ニーニヤU世号」は、「ニーニャ」をそっくり複製したものだが、大きさは半分の40フィート程。1962年10月、このバランスの悪そうな復元船に9人が乗り込み、コロンブス最初の航海である、カナリヤ諸島からバハマ諸島まで航海した。
  コロンブスの時代の天文航法を使い、コロンブスと同じ食料を積み込み、服装も同じに。出発の日も同じにこだわったため、かなり準備不足でぶっつけ本番の航海となり、やっぱりトラブルの嵐に見舞われる。50年前とはいえ、こんなんでええのと心配するレベル。
 乗組員は、著者の水中考古学者の他、ほとんどは公募で集まったスペインの人々だが漁師はいても帆船の経験者はいない。で、やっぱり、困難・苦難の連続。経験不足、食糧不足、水不足、嵐で沈没の危機、乗組員のトラブル、木造船が腐り始める、位置をロストする。トラブルのかなりの部分は、準備不足が招いたものと思うけど、最後には、幸運が味方してなんとかアメリカのバハマ諸島に到着し盛大な歓迎をうける。航海は、まず、出航してしまう思い切りも大切。?

<6月15日 月曜日>
先週日曜日のアンカレッジマリーナのクラブレース結果。
J29シンシアは、ヤマハ31Sスケアクロウと同じレーティングなのでに着順、修正時間とも1分44秒遅れの2位でした。
スケアクロウの本船前をギリギリで横切る根性が勝因でしょうか?風上から見て、ああ・・衝突したと思ったのですが!

<6月7日 日曜日>
アンカレッジマリーナのクラブレース。
マリーナのクレーン沖にブイを打ち、クレーンとブイを結ぶ線上をスタートライン兼フィニッシュラインとし本部艇は無し。
9時50分スタート、鹿島、野忽那島をアンチクロックで回航しアンカレッジマリーナ前にフィニッシュする島周りのコース。
スタートから終始よい風に恵まれ、午後4時のタイムリミット設定にもかかわらず、2時間後の11時50分にはフィニッシュする。
7名乗船していたので、潮をかぶりながらも何とかヒールを起こし、よく走った。
鹿島回航で、防波堤をクリアーするのにオーバーセイルし、31Sに抜かれ残念。
IMX38コーラルリーフがファーストホーム。

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