世界一周旅行

末光清貞


 平成4年は私たち夫婦の結婚15周年にあたる年で、いわゆる銅婚式であった。
当時から新婚旅行はハワイというのが流行であったが、残念ながら我々にはそのお金がなく、瀬戸内海一周なるドライブ旅行が新婚旅行であった。

 平成4年の夏頃より15周年はどこかへ旅行に行こう、ということであれこれ考えていたが、どうせ旅行するなら子供の頃からの夢だった世界一周をということになった。
80日間世界一周やナタリーウッドの自動車世界一周の映画などを見て、いつかは世界一周旅行をとあこがれていたのである。

 そしてどうせ旅行するならファーストクラスでと決めた、というのはソウル発で世界一周の航空券が格安で発売されているのである。

 まずは東回りにするか西回りにするかを決めねばならない。
飛行時間は東回りの方が短いが、時差ボケは西回りの方が多少は楽だということで西回りに決めた。

 コンピュータ通信で世界のエアーラインの時刻を調べることができるので、スケジュールをたて、旅行社に申込み、いよいよ平成4年12月26日に松山から福岡へと最初の西向きへの飛行機に乗り込んだ。
真冬ということで荷物も多く、大きなトランクが2つになってしまった。

 福岡でJALのソウル便へチェックイン。
荷物はシンガポールまでスルーにしてもらう。
機種は767。
全席Yクラスとなっているが前の方にCクラス用の広い席があるはずで、それをリクエストしてみる。
うまくその席をもらうことができた。
機内食はサンドイッチとサラダ、ジュースの簡単なものが出た。

 ソウル金浦空港では入国はせず、次のUA台北経由シンガポール便のチェックインをしてトランジットロビーで3時間ほど待つ。
底冷えのするロビーは殺風景で免税店も品物も少なく、時ならぬキムチの臭いで振り向くと店員がキムチ山盛りのお弁当を食べている。
ファーストクラスラウンジもなく時間つぶしに苦労する。

 次のフライトはソウルから台北へ、機種はDC10。FクラスがなくCクラス。
まわりはほとんど韓国のビジネスマンである。

 すぐに食事が出る。
あまりおいしくはないがおなかも減っていたので全部平らげてしまった。

 台北空港では乗換で、ゲートを1つ移動のみでUAシンガポール便747ジャンボへ乗り込む。
今度は本当のファーストクラス。しかしお客は我々夫婦2人のみ。

 もう夜も遅いので食事のサービスはないと思っていたのが大間違い。
今度は本当のファーストクラスのサービスが始まったのである。

 シャンペン(ドンペリである)、キャビアから始まり次々と出てくる。
お客も二人きりなのでスチュアーデスもつきっきりでサービスしてくれる。
ところが残念ながら前のフライトで全部食べているので半分どころか4分の1も食べきれない状態であった。
ああもったいない。

 シンガポール着はもう深夜。
タクシーで深夜の高速道路を飛ばしてハイアットホテルへチェックイン。

 翌日はシンガポールの知人と会って、お昼は中華料理の飲茶。
食事の後はもっぱら女房のショッピングにつきあう。
年末のセールで町中がにぎわっている。

 午後8時にホテルをチェックアウト。
知人と日本食レストランへ。
シンガポールはすべてのお店が禁煙になっている。
スモーカーは廊下へ出てタバコを吸う。
いづれ日本もこうなるのかもしれない。
その後の機内食のことを考えて控えめに食事をする。

 今度の便はKLMのアムステルダム行きの747。
ほぼ満席状態で、離陸後さっそく食事のサービスが始まる。
既に時間は深夜である。
メインディッシュはオリエンタルフードというのをチョイスしてみた。
これがまたまた大間違い。
訳のわからぬ中華料理で食べられた代物ではない。
まわりの大柄なオランダ人はぺろりと平らげているが、我々はほとんどお箸をつけただけであった。
早々に眠り込む。
 まだ空けやらぬスキポール空港に到着。
パリ便へのトランジットで3時間待ち。
巨大な空港の免税店をのぞいたりラウンジでうとうとしてKLMパリ便737へ乗り込んだ。

 またまた朝食の機内食。

 既に時差は日本−シンガポールの1時間にシンガポール−パリの7時間。

 タクシーでジョルジュサンクのプリンスドウギャルホテルチェックイン。
さっそくパリビジョンという観光バスを使ってベルサイユ宮殿へ行く。
パリは寒波の襲来ですさまじく寒い。
ベルサイユの池も一面分厚い氷がはっている。

 夕食は近くのしゃれたイタリアレストランで海老料理。

 2日目のパリでは半日ブラブラする。
ここも年末のセールで女房に引っ張られていろんなお店をのぞく。
カフェでランチの後パリビジョンのオランジェリとルーブル日本語ツアーに参加する。
ルーブルはツアーでなければチケットを買うだけで2時間の長蛇の列。
すんなり入れてそれだけでも元がとれた様な感じである。
モネやピカソ、ルノアールを日本語で解説してくれ、結構楽しいツアーだった。

 夜は再びパリジジョンのディナーとリドのショー。
ショーの間はほとんど時差ボケとの戦いであった。

 翌朝パリからアムステルダム経由KLM便でロンドンへ。
それぞれの便で同じ機内食2回。
時差1時間。
 ロンドンではタクシーでハイアットホテルへチェックイン後すぐに大英博物館へ行く。
10年前に丘村先生と見たロゼッタストーンの前の同じ場所に立った。
目をつむると丘村先生の顔が瞼に浮かんだ。

 リージェント通りを歩いてホテルで遅目のアフタヌーンティー。

 夕方になるとホテルにタキシード、イブニングドレスを着た人々が集まり始めた。
大晦日のパーティーの様子である。
レストランのメニューはすべてパーティーのビュッフェになっている。
気後れのする我々はピカデリーサーカスまで出て日本食レストランを見つけて大晦日の食事をとった。

 あけて1月1日、元旦は英語の電話で起こされた。
UAのオフィスから、ニューヨーク便がキャンセルになったのでBAに乗り換えて欲しいとのこと。

 ホテルをチェックアウトしてヒースローへむかう。
BAのターミナルでチェックインをしようとすると、このチケットでは乗換はダメだという。
いろいろと事情をはなし,UAへ問い合わせてもらってやっとOKが出た。

 BAの747、ジャンボのニューヨーク便ファーストクラスはまたまた我々二人きり。
ほとんどのファーストを使う人はコンコルドを利用するようである。

 広いキャビンで二人きりで食事のサービスを受けるのはなんとも優雅で気持ちがいい。
しかしあの大きなローストビーフの残りはどうするのか多少気になるところである。

 1月1日午後、ニューヨークJFKに降り立った。

 グランドハイアットホテルへチェックイン後さっそくエンパイヤステートビルへ行く。
既に暗くなりかけた夜景を楽しんでニューヨークの1日目は終わった。
ロンドンとの時差5時間。

 翌日は地下鉄でバッテリーパークへ、そして自由の女神のクラウンまで2時間の列をならんで上る。
ピア17でオイスターのランチ、そして五番街の探索をする。

 近代美術館でマチス展をやっていた。
またまた寒波の中で2時間の列である。
ダフ屋がいて、12.5ドルを30ドルですぐに入場できるという。
寒さに弱い我々はすぐに飛びついた。

 夜は日本食レストランを探して、やっとお雑煮にありついた。

 明けて1月3日はラガーディア空港からひとまずシカゴへ、乗り換えて今度はデンバーへ。
デンバーは大雪で機内で長らく待たされた後、ラスベガスへ着く。
時差3時間。

 巨大ホテルヒルトンラスベガスのカジノは意外とすいている。

 紅花での食事の後ショーを見てカジノで少し遊ぶ。
例によってすぐ負ける。

 翌日は近くのサーカスサーカスホテルでサーカスを見たり輪投げやダーツのゲームをして遊ぶ。
近くのショッピングモールでショッピング。三浦カズと設楽りさ子もショッピングしていた。

 1月5日、世界一周もいよいよ最終日となった。
ラスベガスからサンフランシスコ経由で成田へむかう。
ファーストクラスも満席。

 UA自慢のドンペリのシャンペン、そしてジョニーウオーカーのブルーラベル。
キャビアの後今回の旅行はじめての日本食の機内食がサービスされる。

 日付変更線を越えて定刻に成田へ到着。
時差8時間。
羽田から大荷物をかかえて松山へたどりついたのは午後8時。
 ひたすら西へ、西へとむかって合計15回飛行機を乗り継いで約4万キロ。
元の位置へ降り立って、本当に地球が丸いことを体験できた。
時差は合計24時間。
時差調整のための時計の針はついに2回転してしまった。
体内時計はもうがたがた状態。

 11日間の銅婚記念世界一周旅行はこうして終わった。

忠告!!  
世界一周旅行はできるだけ若いうちに行きましょう。
少なくとも銀婚式では絶対に無理です。
期間は最低でも3週間以上は必要です。
でないと後で寝込んでしまうでしょう。
我々の様に。