私の趣味「ジャズ・ピアノを弾くこと」 2014年5月20日記

1951年生まれ、63歳です。ジャズ・ピアノを弾くことを趣味にしています。
小学4年生(1960年)4月から15ヶ月間、ピアノを習い、「エリーゼのために」を発表会で演奏しました(写真 小学生)。
中学2年生(1964年)のとき、ビートルズのShe loves youに感動し、1年後に同級生のSuemitsuくん(リードギター)とベンチャズ&ビートルズ・バンドを組み、文化祭に出演しました。大学入学後も2年間はバンドを組んで、学園紛争たけなわの大学祭で軟派のダンス喫茶を開くなどしましたが、専門部へ進級(1970年)して以降、音楽をする機会と意欲を失って、私の青少年時代の音楽ライフは終わりました。
36歳(1987年)開業3年目。ジャズ・ピアノを弾きたい!。ジャズライブ・ハウスで感じた小さな衝動に突き動かされて、ジャズピアノを習い始めました。以後27年間、思いがけず、後戻りしませんでした。辛かったのは、ピアノを始めて4年を過ぎた頃でした。松山に小編成のアマチュア・ジャズバンドが見当たらず、ジャズ仲間が集まる定例のイベントもなかったからです。その後、幸運に恵まれてバンドに入れましたが、3年間ほどは出口が見えない暗闇を手探りで歩く孤独感を味わいました。
1997年に「ジャズピアノ10周年記念ライブ」を自主開催しました。たくさんの友人が祝ってくれました。
10周年記念ライブを終えて、「節目を越えた」と得心しました。10年目以降は現在28年目まで、いろいろな編成のバンドで年5〜6回のライブ演奏して楽しんで過ごしてきました。
2003年ジャズピアノ歴16年目に「松山おいでや!ジャズ・ストリート」を代表世話人として立ち上げました。年1回新春に開催して、2014年で第12回になりました。松山近郊で活動しているジャズ・ミュージシャンだけで運営し、演奏し、地域のお客さんに聴いて頂く、「地産地消のジャズ」を謳うイベントで、「プロ・アマチュアを問わず、ジャズにひたむきな気持ちで自主参加するジャズ生涯教育イベント」と定義づけました。毎回5〜8の開催店に、20〜25バンド、60〜100人のミュージシャンが、夕方5時から10時の5時間にわたって演奏し、400〜600人のお客さんが聴いてくれています。ジャズ・ストリートを始めたときには「私がジャズを始めた頃の孤独感を後輩に味わせたくない」と言う気負いがありました。ジャズ・ストリートのために費やす時間や心労は多いのですが、本業と異なる 業態に関わる鍛錬と経験が、補って余りある財産になっています。

私は「ジャズ・ピアノを弾くこと」を趣味にしています。けれども、ジャズや音楽にさほど熱心ではないようです。年に30回程度、ライブやコンサートに足を運びますが、「世界的ピアニスト」とか「日本屈指のジャズ・プレイヤー」とかのコンサートにはあまり行きません。ビンボー耳なので、世界サイコーの演奏を聴いても「豚に真珠」なのです。「プロ・アマを問わず、ジャズやクラシックなどのジャンルに関わらず、松山に在住で活動している演奏者たちの、入場料がお手頃価格な音楽会」に、気の向くままに出かけています。

私は、松山で、松山のひととともに、松山の演奏を楽しむ時空が好きです。遠くない将来に「松山に居て、音楽を傍においたノンビリとした老いのときが、やって来るだろう」と楽しみにしています。