2001年1月10日〜13日

ニューヨーク・レポート

思い出日記を書いています。

2月12日完結

写真集

1月10日〜13日 ニューヨークでの第28回IAJE International Conferenceに参加、
初の冬のニューヨークを楽しんできました。

第28回IAJE International Conference(冬のニューヨーク参加報告

 ニューヨークレポートその1
 9日の夜、デトロイトからニューヨークのラ・ガーディア空港に着きました。ニューヨークは世界の料理が集まっているところです。ホテルに着いたのが夜9時と遅かったし、ニューヨーク最初の晩餐は迎えに来てくれたガイドの男の子お薦めの韓国料理に決めた。要は焼き肉。(ニューヨークでちょっとブームらしい)。これからのニューヨークでの活動に備えて、焼き肉でも食べて元気をつけとこう(十分元気ヤン・・・)ということで早速出掛けました。ニューヨークの焼き肉屋さんは24時間営業なので、いざというときはここで食事すれば大丈夫、と心の支え的店になりました。
 焼き肉の後、とりあえず行っとかなー、ということでビレッジ・バンガードに。誰が出てるのかナー?と思ったら、テレンス・ブランチャード(TP)セクステットだった。ラッキージャン!(^^)/。11時半、2セット目が始まった。「枯葉」で始まった。何だかホッとした。
ニューヨークレポートその2

カメラがあってよかった!。
焼き肉屋のピアノで弾きました。
 ビレッジ・ヴァンガードに着いてカメラを焼き肉屋に忘れてしまったことに気が付いた私は、ブランチャードのライブの後、もう一度焼き肉屋に戻りました。「ある」というかすかな望みをかけて・・・・。
24時間営業の店ですが、1時過ぎの店内は女性客がひとり。カメラを忘れた、と英語で言いますと、店長らしき人が、「ああ!」と明るい顔でカメラを出してきてくれました。わおー!!\(^o^)/ニューヨークも安全で親切な街になったんだなー。韓国人だったのがよかったのかな?お店の人が見つけてくれたのがよかったのかな?。なにはともあれ、カメラが戻ってきてやれやれでした。
 安心したのと御礼の意味も含めて少しその韓国レストランで飲むことにしました。JINBOという韓国焼酎(日本では割って飲んでるけど)をみんなストレートで飲みます。その店にはピアノが置いてありました。一緒に行った友達が店の子に「彼女はピアニストなんだけどピアノ弾いてもいい?」
って聞いている。「お客さんは1人だしいいでしょ?」って。いくらニューヨークだからって、いきなり焼き肉屋で弾かなくても・・・と思ったが、彼女の好意に甘えて数曲弾かせてもらった。女性客が拍手をくれた。かくして栗田敬子のニューヨークデビューは焼き肉屋となったわけです。これで終わりとならないように、と固く心に誓ったのでありました。
 ニューヨークレポートその3

ミュージカル「SWING!」の看板
 さて、ニューヨーク2日目、ミュージカルを見に行きました。水曜は大抵のミュージカルが昼の公演(マチネ)をしています。昼はミュージカル、夜はジャズ、と時間を有効に使えます。「SWING!」というミュージカル。先月から始まった新作です。まずタイトルに惹かれました。ストーリーがなく、ダンスと音楽を楽しめる、とガイドブックに案内があったので、これに決めました。「スイングしなけりゃ意味がない」で幕が開きました。8人編成のバンドがステージの上で演奏していました。1940年代、50年代のスタンダードが次々演奏され、ダンサーは踊る、はねる、回る、飛ぶ、滑る。全米ダンスコンテスト入賞などの経歴を持つダンサーばかりということで、アクロバット的な動きもあり、まばたきする暇もないほどでした。
 シンガーも素晴らしかったです。歌は言わずもがな、スキャットのテクニック、表現力はこれまた素晴らしかったです。せりふがスキャットだったり、TBとディエットで、(これはTBが面白かったけど)TBの掛け合いが怒ったり甘えたりなんだか人の声の様に聞こえるのです。演奏、ダンス、歌、完璧なエンターティメントを楽しみました。エンターティナーというのはこういうものなのでしょうね。感動と同時に、きびしい世界も感じました。
 ニューヨークレポートその4

受け付け。間違って並びました。


イブニング・コンサート会場
 今回のニューヨークの目的はIAJEに参加することでした。INTERNATIONAL ASSOCIATION OF JAZZ EDUCATORS(IAJE)ジャズ教育者国際協会の年1回の協議会が、4日間に渡り、ニューヨークのヒルトンホテルとシェラトンホテルで行われます。いろいろなコンサートやクリニックもあり、コンサートはかなりいいメンバーが出演するということで、参加してみることにしました。ニューヨーク2日目の1月10日がCONFERENCE(協議会)の初日です。ながいイントロやったナー〜。やっとテーマだよ〜ん。
 ミュージカルの興奮冷めやらないその足でヒルトンホテルに向かいました。ヒルトンホテルの1Fロビーは楽器を持った人やIAJEの受付を済ませてネームカードを胸に付けた人達がウジャウジャ。3Fの受付のフロアへ行くと受付の長い行列が出来ていました。たくさんの参加の人に圧倒されてしまいました。行列の後ろに並んで順番を待っていると、この行列が当日受付の列であることをスタッフの人が教えてくれました。私はインターネットで既に申込済みだったので、受付場所が違っていたのです。教訓:「行列の後ろに並ぶときは何のための行列か、確認してから並ぶべし」。受付で4日間のプログラムをもらいました。
いっぱいあって何を聴いたらいいのやら迷います。とりあえず初日のメインコンサートである「イブニング・コンサート」へ行きました。3バンドの出演でトップがウォーレス・ルーニー・クインテットでした。
 ニューヨークレポートその5

マリア・シュナイダー・オーケストラ
 ウォーレス・ルーニー(TP)がデビューしたての頃、10数年前かな?サンパークであった「ジャズピクニック」に来たよナー。岩浪洋三さんのプロデュースでニューヨークで活躍中のなら春子(P)さんのグループのメンバーで来てた。何か待遇が悪かったとかですねてしまって、演奏が終わると、とっととホテルに帰ってしまった困ったヤツ、だった。あの時の演奏はあまり覚えててない。ヒルトンホテルで一番広いボールルーム満杯の人だった。座るところが無いのでサイドに座り込んでそんなことを思い出しながら聴いた。際立っていたのはベースだった。ステージが遠くてよくわからなかったが、最後のメンバー紹介でやっぱり!と思った。バスター・ウィリアムズだった。
 2つ目のバンドは高校生達のビッグバンドでゲストがウィントン・マルサリス。ウィントン・マルサリスを生で見て聴けるだけでももうけもん、と言う気持ちでいたら、なに、こいつらって高校生のくせに・・・だんだん腹が立ってきた。うまい・・・あとで知ったのだが、エリントン高校生ジャズバンドのコンペティションの入賞者ばかりで構成されたバンドだそうだ。エリートたちだったんだ。
 最後はマリア・シュナイダー・オーケストラ。若くてきれいな女性だった。音は現代音楽に近い感じ。細やかな表現の指揮が印象的だった。男性ミュージシャンで構成されたビッグバンドの音が彼女のしなやかな手の動き、激しい手の動きで七色に変わる。まるで美人猛獣使いのよう。3つのバンドを聴いて、もう少し聴いて帰ろうと、別の会場に向かったけど、すっごい人でとても入れない状態。その人の渦の中に伊藤けんぞうさんを見つけた。が、とても声をかけるような状態ではなかった。今日はこのくらいにしといたろう、と後ろ髪を引かれながらホテルに帰りました。
 ニューヨークレポートその6

地下鉄


New School


パット・メセニー(G)トリオ
1/11、ニューヨーク3日目は丸亀市出身のピアニスト馬場和子さんをたずねて、ビレッジへ行きました。馬場さんはニューヨークのニュー・スクールを卒業してそのままニューヨークで演奏活動を続けています。馬場さんお薦めのサミーズという中華レストラン(安くて美味しい)で待ち合わせでした。ホテルの最寄りの地下鉄の駅は42ndストリート・グランド・セントラル駅です。ビレッジへ地下鉄で向かいました。大昔にニューヨークに来たときよりずいぶんきれいになったような気がしました。地下鉄はストリート・ミュージシャンの演奏があちこちで聞かれます。きのう初めて楽器にさわったんじゃー?、という人から、つい聴き入ってしまうほどの人までいろいろです。食事をして買い物がてらビレッジを案内してもらいました。馬場さんが卒業したニュー・スクールも案内してもらいました。学校のビルの中の2フロアがジャズ科です。以外とこじんまりしているんだー、と思いました。実際、生徒数の割には練習室やリハーサル室が少ないらしく、場所とりに苦労した、と馬場さんが話してくれました。外に非常階段がある、いわゆるニューヨークのビレッジ〜ソーホーの景色を楽しみました。
IAJEの11日のイブニングコンサートのメインはパット・メセニー(G)トリオでした。このコンサートはホテルではなく、74丁目のビーコン・シアターというところであったのです。別の会場でやる、なんて思いもしてなかったので、ろくにチャックもせずヒルトンへ行くと別のことをやっている。「おかしいなー?」と思い尋ねると教えてくれました。プログラムにもちゃーんと書いてありました。急いでタクシーで向かいました。遅ればせながら会場にはいると満杯で、パット・メセニーがやっていました。LARRYGRENADIER(B),BILL STEWART(DR)。音を聴くというよりインタープレイする3人を見ていた、と言う感じでした。パット・メセニーが終わると席がいくつかと空きました。急いでコートをおいて席取りをし、一緒に行った友人を呼びに行きました。戻ってみるともっといっぱい席が空いていたので適当なところに座りました。さて、私のコートは・・・。ところが心当たりの席に無いのです。ありゃー無くなったー!オタオタ。ポケットにカメラは入ってるしお金も少々。弱ったぁ。
 ニューヨークレポートその7

カメラがなかった!!
ビーコン・シアターで席取りにおいたコートが無くなりました。「エクスキューズ・ミー」と言いながら、人を押しのけるようにして周辺のイスも探したけど見つからず。会場の人に「コートが無いのだけど、コートは届いてませんか?」と聞きました。「今のところ届いてない。コンサート終わるまで待ってみそ」と言われて気もそぞろにコンサートを聴きました。3っつ目のビレッジヴァンガード・オーケストラは、コートのことを忘れさせてくれるくらい楽しかったです。ベースソロの時、1回フォルテッシモでペットのバッキングが入ってビックリさせられました。また同じ場面が来るとペットがまたその音を出すかのごとく勢いよく構えます。それを阻止するようにTBの人が「まあまあ」と押さえるようなパフォーマンスもありました。
さてコンサートが終わり、人が去った後の会場を探しました。なにやら荷物の下の黒いものは私のコートでは?私が席取りをした場所は思っていた場所より随分前の方で、しかも隣の人が荷物を置いていたのです。というよりそこまで探してなかった。(^^;;;
カメラも戻ってきた。それにしてもカメラを失いがちな旅です。一件落着。コートが無事戻ってきてやれやれと同時におなかすいていることに気づきました。
 ニューヨークレポートその8

BirdlandでのJam session
なくしかけたコート(よかったよー(^-^))を着てビーコン・シアターを後にしました。とりあえず腹ごしらえをして、ジャムセッションに参加しようとバードランドへ向かいました。
「ジャムセッションは12:30から」という案内が出ていたのですが、12時過ぎに行ってみると、ベニー・グリーン(P)トリオがやっていました。「今入ると20ドルだけど、ジャムセッションにだけなら5ドル、1時半においで」とあっさり言われ、ベニー・グリーンもそろそろ終わりかもと思い、出直しました。1時過ぎに行くと別の黒人のギター(知らないミュージシャンだった)のカルテットがやってました。今度は迷わず20ドル払って入りました。20ドル1ドリンク付きです。日本と比べると破格に安いのに、時々妙なところでケチくさーくなります。買っとけばよかったなーとか、行っとけばよかったなー、とときどき後悔します。ベニー・グリーンから入っとけばよかったなー・・・20ドルをケチった自分を恨みました。
ジャムセッションは2時過ぎにようやく始まりました。ジャムセッションのハウストリオがまず演奏を始めました。ステージに置いてある用紙に名前と自分の楽器を記入して呼ばれるのを待ちます。私は2番目に呼ばれました。ラッキーです。私の知人は3時間待ってようやく番が回ってきたと思ったら歌伴で、それもおぼろげな曲で、しかもキーも変わっていてよくわからない内に終わった、なんて話もあります。
ギター、サックスがいました。会場から「ボディ&ソウル!」というリクエストの声が掛かります。でもセッションでバラードはちょっとなー・・・。結局「ストレート・ノー・チェイサー」に決まりました。キーも「F」。よしよし。演奏が始まりました。不思議といつもの自分と違う感じです。ニューヨークの力かなー、と思いました。「僕、ご満悦(^-^)」。セッションはとにかく1曲が長い(それぞれがナットクいくまでソロをするから)。ジャムセッションがすべて終わったのは4時半を過ぎてました。
 ニューヨークレポートその9

デューク・エリントン・サークル

ハーレムの高級住宅街

マイアミ州立大学

”なら春子さん”の「おいかわ」にて
カメラに振り回されている感がある今回の旅です。初日に焼き肉屋に忘れーの、コンサート会場でコートと一緒になくしかけーの、そして極めつけは、友達がバードランドのセッションの私の熱演を撮ろうとしたところでフィルムが終わるの巻、でした。ということで、演奏している写真がないのです。トホホ。まっカメラが悪いわけではなく、すべて私の不注意ですな。(わかってます・・・(^^;;;)ジャムセッションで朝方ホテルに戻り睡眠不足の4日目は朝からハーレム観光へ。
六本木で「バランタイン」というジャズクラブをしていたトミー富田さんが案内してくれました。富田さんは店を整理してニューヨークに移り、ハーレムに住んで約12年だそうです。ハーレムや、ブロンクス、クイーンズなど自力で行きにくい地区の観光ツァーなどを主にされています。銀世界のセントラルパークの中を通ってハーレムへ向かいました。
昨年出来たというハーレムのニュー・スポット、デューク・エリントン・サークルから始まって、ハーレムの高級住宅街、(その昔はオランダ人の楽園と言われていたんですって。)ビリー・ホリディが出ていたクラブとかエリントンが住んでいた家(立派な建物です)とか、いろいろ案内して下さったけど何も資料がなかったので何がどこなのかよくわからず「ほぅー」とか「へぇー」とかただただ言ってました。富田さんは「ここは有名ですよ」とかやたら「有名」を連発する人でした。富田さん曰く有名なオルガニストに途中で会いました。車に乗せて「近くなら送るよ」と言います。彼は「今からリハーサルでブロンクスに行くところだけどお金がないから10ドルおくれ」と富田さんにくりかえし言っていました。富田さんは少し無視していましたが、しょうがないなーと言いながら彼に10ドル渡しました。有名であることとお金のあるなしは関係ないのね。
今ヤマハでゴスペルのクラスを持っているので、できれば本場のゴスペルを聴きたかったのですが、生憎日曜と水曜しかチャンスがないということでした。でも、翌日(土曜日)、教会でリハーサルを見せてもらえる、その後クリニックをしているから来たら?と誘って下さいました。ラッキー!。ハーレムの教会でソウルフードを食べて、125thストリート(ハーレムの目抜き通り)をブラブラしてからハーレムを後にしました。さて、IAJEはマイアミ州立大学のジャズ・ヴォーカルアンサンブルを聴きました。マイアミとジャズってピンと来なかったけど、コーラスも演奏も素晴らしかった。スキャットテクニックのレベルの高さに驚きました。ホントに驚いてばっかりです。夜はニューヨーク在住のピアノの”なら春子さん”をたずねて「おいかわ」という日本レストランへ。岩浪洋三さんに紹介頂きました。メンバーはヴォーカルの天野しょうこさん、ベースはオーストラリア人でした。ならさんとはほとんど初対面でしたが、気さくにニューヨークのことなど話ししてくださって、その上演奏もさせて頂きました。
 ニューヨークレポートその10
おいかわ」では、ついつい鯛の煮付けやら、おひたしやら、日本食も堪能して、「スモールズ」へ向かいました。割合気軽にセッションに参加できるということで一度行ってみたいと思っていたライブハウスです。着いてみるとビレッジ・ヴァンガードの近くでした。セッションの時間には少し早かったので、もう一度ヴァンガードへ行きました。実は一緒に行った友人がブランチャード・バンドのアルトのフレッチャーくん(21歳)にもう一度会いたい、ということでしたので・・・。初日の時より、ブランチャードは随分リラックスした感じでした。途中のMCでジョークを飛ばしているのか、会場から笑いが起こるのですが、一緒に笑えるほどの英語力がありません。悲しい〜。くやしい〜。心地よい酔いとジャズに包まれ、どうガンバッテも前へ後ろへ右へ左へコックリ、コックリが止まらなくなりました。
これだけ活動したらさすがに疲れるわな・・・。
スモールズへ行ってみると行列が出来ていました。地下の入り口への階段も通れないくらい人がいるので、とりあえず近くのバーへ行きました。帰ろうにも週末のせいか空車タクシーを拾えそうにない状態だったし。なんてことないバーだったけど、意外にそこで落ち着いてしまい、松山の行きつけのバーで飲んでる感じで友人と話し込んでしまいました。後ろ髪を引かれながら、スモールズは「また」ということにしました。ただ、行列の正体を確かめなかったことがちょっと悔やまれました(もしかしたら入れたかも、ってあとでNY在住の馬場さんに言われました)。教訓がじぇんじぇん生かされてない・・・。(^^;;;というか、行列に慣れてない。
 ニューヨークレポートその11

SHERRIEMARICLE(DR) AND DIVA


地下鉄116TH駅


116TH駅壁のタイルアート


MEMORIAL BAPTIST CHURCH 141
IAJEのCONFERENCEの最終日です。あすは朝早く出発して帰ります。残すところ1日となりました。午前中はヒルトンHへ行って、SHERRIEMARICLE(DR) AND DIVAという女性ばかりのビッグバンドを聴きました。ピアノとベースは日本人のようでした。女性と言えどもスピード感も音量もあり、ソロも完成されていました。私の女の子バンドとはまだまだ比較にはなりませんが、女性だけのバンドということで親近感が沸いたし、励みになりました。
ヒルトンHでは楽譜、CD、楽器、コンピューター音楽ソフトなどの展示販売コーナーが設けられています。楽譜コーナーでは見ている内に時間を忘れました。あれもこれも欲しくなる気持ちを本が山積みになっている自室を思い出して、グッと押さえました。この楽譜コーナーに来るだけでも価値があったと思えるくらい、充実してました。楽譜は厳選に厳選をして買ったつもり。でもちょっとした荷物になってしまいました。少し高くてもやっぱホテルは会場のヒルトンかシャラトンにするべきだった・・・後悔しながら、トミー富田さんが教えてくれた教会へ向かいました。
その教会は115THにあるMEMORIAL BAPTIST CHURCH 141です。富田さんが書いてくれた地図を頼りに地下鉄の116TH駅で降りました。壁には素晴らしいタイルアートが描かれてありました。エリントン、ビリー・ホリディなど黒人ジャズメンが描かれてました。ニューヨークでは駅の壁のタイルアート化をすすめているそうです。教会に入るとクワイヤーが練習してました。練習を見学していると、指導している人が手招きします。参加していいよ、と言ってくれたのです。参加させていただきました。メンバーはいわゆるおばちゃん達がほとんど。小さなテープレコーダを手元に置いて歌詞をメモしながら新曲を覚えていました。
ゴスペルは簡単な歌詞の繰り返しです。おばちゃん達は突然加わった私達にメモを見せてくれたりとても親切でした。バックから飴を出して手渡してくれたおばちゃんもいました。松山もニューヨークもおばちゃんは同じ感じやな〜。でも歌はただのおばちゃんじゃないんです。
黒人独特の声のトーンというか、これは骨格がそもそも違うからでしょうか?。太くてソフトな声質がゴスペルのメロディ合っています。一緒に歌っていて声が溶け合っている感じがしました。練習が終わると神の元で一緒に歌ったことを喜びましょう、という意味で、みんなそれぞれにHUG(抱き合います)。私達日本人はゴスペルを音楽の1ジャンルとして楽しんでいるけど、黒人にとってのゴスペルは純粋な賛美歌です。当然でしょうが、私達には理解できない彼らの歴史と心の世界がある、というのを痛感しました。
本当にいい経験になりました。教会のクワイヤーの練習の後、富田さんが主催するゴスペルのクリニックを受けました。留学中の若いお嬢さん達が十数名いました。講師はテレンスさん。小錦みたいな感じの人でした。たっぷり2時間テレンスさんの指導のもと思いっきり歌いました。日本人のは先程の黒人のクワイヤーとは声質がまるで違いました。特に若者はむりやり高い声を出そうとするせいか、ヒステリックに聞こえました。ちなみに受講料は1人15ドル(2時間)でした。
思いっきり歌った充実感と一緒に、ゴスペルを体験してゴスペルが近づいたような離れたような複雑な気持ちを持ちながら、教会を出ました。いったんホテルに帰って最後のIAJE(ジャッキー・マクリーンやカサンドラ・ウィルソンなど出演)のコンサートへ行く予定でした。ちょっと一休みとベッドに横になったのが運の尽き、友達が「時間よ」と何度も起こしてくれたのですが、起きあがれませんでした。ゴスペル教会で生気を吸い取られてしまったのでしょうか?。ウルトラマンのカラータイマーはとうとう消えてしまいました。夕方6時半頃から不覚にも寝てしまったので、朝方起きて荷造りです。デトロイトで4時間飛行機が遅れ、大阪1泊のおまけがつきましたが、無事帰りました。充実したニューヨーク五日間だったと満足しています。たったの五日間だったのに大阪のホテルで食べたおそばやおでんがおいしかったこと。やっぱ食べ物は日本が一番やね。