蒲谷敏彦KOREA REPORT

蒲谷敏彦KOREA REPORT (4月号
<新連載:ソウルな女性達(おんなたち)>
 追伸 : 釜山墜落事故ニアミス

----- Original Message -----
From: "butani" <butani@kornet.net>
To: "H.Watanabe" <h.syncia@nifty.com>
Sent: Saturday, April 21, 2002 2:16 PM
Subject: KOREA REPORT 4月号<ソウルな女性達>

釜山で飛行機が落ちたと思ったら、ミラノで小型機がまたビルに突入し、アメリカでは列車が脱線事故だし、おまけに日本ではサッカー全日本のトルシエ監督の自宅に空き巣だそうで何とも物騒な世の中というか、世界です。

ソウルはケナリ(レンギョウ)の黄色い花が散り、チンダルレ(山つつじ)の赤い花も終わり、今はライラックの薄紫の花が綺麗です。春たけなわというより、もう初夏のような陽気、皆様いかがお過ごしでしょうか? 今月もKOREA REPORTをお届けします。

 

 さて、先月上海の駐在員が出張でソウルにやってきました。中国は北は満州から南は海南島まで動き回っている彼ですが、韓国は初めてだそうで見るもの聞くもの食べるもの、中国と勝手が違うので面白いやら驚くやらの連続だったようです。そんな彼が朝、地下鉄に乗って一言、

『韓国は元気がないなぁー』

『そう? 日本の3倍は元気があると思うけど』

『だって、皆地下鉄の中で朝から居眠りしてシンドそう』

『中国はどうなの』

『朝から目がギンギンに光っていて、あいさつもオハヨー!って感じ』

『ウーン。そうかも知れない...』

半分納得、半分納得しない気分でした。韓国の人も昔はもっと、もっと元気というか、ギラギラしていましたが、確かに今はよく言うと大人しく悪く言うと元気がなくなりました。でも、いつも日本人と比較していましたから、まだまだ元気があると思っていました。中国人と比べられると...

地下鉄の中で寝ていられるというのは、それだけ朝から疲れているとも言えるし、安全だからともいえる、夜遅くまで遊ぶことがあるともいえると思うのです。韓国も先進国の普通の国になってきたのでしょうか。

 

 話は変わって、元気なソウルの女性達を少しご紹介しましょう。不定期になりますが、『KOREA REPORT・ソウルな女性達(おんなたち)』シリーズを開始します。記念すべき第1話は、日本からの留学生、マキコさんとボミさんです。

マキコさんボミさん

マキコさんは、松山の某大学3年生、交換留学でソウルの建国大学の3年生に編入しました。1年間、こちらで語学研修と経済学課の勉強をします。
お父さんは今治でタオル工場を経営していましたが、この不景気に見切りをつけて工場をたたんで焼き鳥屋さんを開店したそうです。
お兄さんの方は地中海のマルタ島で魚の養殖関係の仕事をしていたそうです。
彼女もそんな血筋をひいているのか、この春単身ソウルにやってきました。

 

ボミさんは宝美と書く、韓国女性です。お父さんはソウルの企業銀行で働いていましたが、脱サラ(?)でカソリックの牧師さんになりました。(この辺の心境の変化はよく聞いてみたいものですが...) 一家で派遣されたのは、日本の京都でした。ボミさん小学校5年生の時のことでした。お兄さんは京都の大学に進学しましたが、ボミさんはやはり韓国に戻りたくて彼女も単身で建国大学に入学しました。
ご両親、お兄さんは日本の方が住みやすいと言って、今のところ韓国に帰る気持ちはないそうです。そんな彼女も日本関係の仕事がしたくて、大学では日本語学課に入りました。
 ソウルにはたくさんの大学がありますが、日本語学課があるのは建国大学ともう一校だけです。有名なソウル大学、高麗(コリョ)大学、延世(ヨンセ)大学(日本でいえば、東京大学、慶応大学、早稲田大学になります。
イニシャルを取ってSKY大学といっています。庶民には高い空の上の大学という意味ですね。)にもありません。
現在では日本語は英語の次に人気があり、企業でも中国語とともに奨励している有益な言語ですが、これまで日本文化を徹底的に排除してきた関係で、権威のある大学ほど正式な日本語学課設立にはまだまだ抵抗があるようです。
建国大学のような新しい大学の方が前向きに教育を開始しています。
でも、どの大学でも日本語教室(語学堂)はあるようです。
知り合いの日本人奥さんはソウル大学で日本語講師をやっています。
タテマエとホンネ、どこかの国と同じでこの国も複雑です。

 

二人は寮暮らしで、すっかり仲良くなりました。ファッションもお化粧もヘアーもソウル風になって、手をつないで明洞(ミョンドン)を歩く姿はまったく韓国アガシドゥル(娘さんたち)です。一人が今治弁、一人が京都弁を流暢に話す以外は。

 

 ここでマキコさんにメールで2、3質問をしてみましょう。

問1.どうして韓国に留学しようと思いましたか?

> 1番の理由は、英語以外に、あまり人が分からない言語を話せるようになりたかったからです。松山大学で第2言語を勉強していて、どんどん韓国語にはまっていく自分に気づきました。それで、先生が韓国の建国大学と松山大学が単位相互交換の提携をしているということを教えてくれたので、韓国にいってみようと思いました。でも、やっぱり隣の国韓国といっても、外国で生活したことが無いので、締め切りぎりぎりまで悩みました。お母さんに相談したら、賛成してくれたけど、まだ迷っていました。自分で考えたら、大学に入って勉強らしい勉強もしていなくて、遊んでばっかりでした。だから、そうゆう自分をかえたいと思ったし、韓国で親の助けを借りずに生活してみたいと思い韓国留学の願書を提出しました。それが、韓国に留学したいと思った理由です。

(おじ注.勉強しようと留学、エライ。でも日本の大学ではもう勉強できない?んですねぇ...)

 

問2.メールはどこでみていますか?

>メールは寮でみています。日本からノートパソコンをもってきたので、日本語でメールもうてます。接続料も寮が払ってくれているので、インターネットし放題です!!

(おじ注.NHK朝の連続ドラマのさくらがハワイに一生懸命メール打っている姿思い出します。でも無料とはうらやましい。)

 

問3.ソウルでの生活はいかがですか?

>最初日本人と違う韓国人の性格に戸惑いましたが、今はそれに慣れてべつに不便はしていません。寮のルームメートは外人だからか、最初必要以上に世話を焼いてくれていました。でも今は、韓国人と一緒の扱いをしてくれるので、気が楽になったというか、付き合いやすくなりました。困ったことは、まだ辛すぎる食事に慣れていないことです。今、私は建国大学の語学堂にかよっていますが、色々な国の友達ができました。留学しなかったら、こういう体験もできなかったし、来てよかったです。

でも、早く夏休みになって親に会いたいです(^−^)まだ親離れできてないみたいです・・・

(おじ注.カルビとチャプチェ(韓国風春雨)が好きで、辛ラーメンとポンテギ(KOREA REPORT(10月号)参照)が苦手な彼女は、韓国料理や韓国人と格闘しながら仲良くなって、元気にしなやかに成長してゆくんでしょうね。ご両親が読まれたら涙ウルウルものです。)

 

 可愛い息子さん、お嬢さんをお持ちの先輩諸兄、可愛い子には旅をさせよ。

ソウル留学で元気な日本人に育ててみませんか?

と、勝手なことを考える蒲谷でした。

 それでは今月はここまで、また来月お話しましょう。

 

ソウルより 蒲谷敏彦


Subject:釜山墜落事故ニアミス:
毎々お仕事お疲れさまです。
昨日、日本出張から無事帰ってきました。
 
ソウルは快晴です。
一昨日、昨日と金沢、大阪(ソウル〜富山〜金沢〜京都〜関西空港〜ソウルとラウンドしました。)は最悪の天気でした。
金沢はNHKドラマ『利家とまつ』の大ブームで盛り上がっています。
加賀百万石博覧会まであるらしい。
(天気が悪かったので観光もせずに真っ直ぐ帰ってきました。)
 
月曜日は仁川空港を12時5分に離陸でした。
同時刻頃の釜山墜落事故は、夕方日本の同僚に言われるまで全然知りませんでした。
日本側関係者の間では、蒲谷はてっきり来られないものと思っていたらしい。
(仁川空港も金海空港(釜山)も日本では区別がつかない?)
私の飛行機は富山空港に午後2時着陸したのですが、風のために左右に大きくローリ
ングしながら降りました。事故のことを知っていたら神様にお祈りだったでしょう。

昨日帰りの関西空港午後7時発の飛行機はもっとドキドキしました。
私の座席は31Cで、通路を挟んだ31Bに黒いベレー帽に黒の皮コートを着た、軍人
上がりのような怪しい白人が居たのです。
離陸前の韓国人と日本人で満席になった機内で、しきりにカバンの中を捜しまわった挙句、黒い円筒形の物を出してトイレに向かいなかなか出てきません。
ハイジャック犯が何かトイレで準備しているのか? 
サスペンス映画が目の前で進行しているようで、よっぽどスチュワーデスに連絡しよ
うかと思いました。
しばらくすると髭を剃ったらしく清々しい顔で男が帰ってきました。
(ハァー)
 
京都駅で買った柿の葉寿司が大変美味しかったです。
日本の味ですね。
 
それではまた。
 
 蒲谷敏彦  ソウルにて
e−mail; jmiura@kornet.net
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