蒲谷敏彦のKOREA REPORT 6月号 -4
KOREA REPORT (W杯特別号 延長戦後半)
――― 土曜日の出来事 ―――
W杯もあと1試合残すのみとなりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
昨日はハラハラしたり、考えさせられたり、びっくりしたり、
感心したり、大変忙しい一日でした。
一体何があったのか?
今回のKOREA REPORTは、感嘆の土曜日を振り返ってみます。
6月29日(土曜日) 晴れ
土曜の朝はいくぶん車が少ないので、いつもより早く会社の駐車場に車を停める。
『オーライ、オーライ、オーライ、ストーップ!』
駐車場のアジョシ(おじさん)は韓国決戦日は必ず赤Tシャツ(赤地に白でBe The Reds!(赤くなれ)と書いてある、今は大変有名になった韓国チーム応援団レッドデビルのシャツ)を着るようになった。頼みもしないのに車を誘導してくれる。(誘導の言葉は日本と同じ)
『ハングッ(韓国) 3位』
助手席側の窓から3本の指をたてて、今夜はトルコに勝って世界3位になるんだと言っている。
『ナド クロッケ センガク ハムニダ(私もそう思います)』
私も韓国に有終の美を飾ってもらいたい。
社内の赤い悪魔
土曜日は休みの日と半ドンになる日がある。今日は半ドン。社員はいつもの制服やスーツを脱いで、ジーパンにポロシャツ姿などになって、土曜日はカジュアルデーと我社も洒落ている。慣れずにいつものスーツを着ているのは日本人駐在員二人と営業マンだけ。駐車場のアジョシも着ていた赤Tシャツを着ている社員もちらほらいる。
そんな一人、業務管理部の文代理(ムン・デーリ)が朝礼の当番で、モットー唱和のあと
『今日は韓国チーム最後の試合です。元気に応援しましょう。』
というなり、全員で
『テーハンッミング(大韓民国) チャチャッチャ、チャンチャン』
を2回した。和やかな雰囲気で朝礼が終り、赤Tシャツを着た事務員さんがお茶を入れてくれ、今日の仕事が始まる。
昼食は取らずに少し早く自宅に帰ると、TVで特別放送をしていた。
《南北 西海交戦 我軍 4名死亡 18名負傷 海軍警備艇 1隻沈没》
黄海仁川の沖でワタリガニ漁の漁船に伴走していた韓国警備艇と北朝鮮警備艇の間で銃撃戦(後で聞くと85mm砲を北朝鮮が撃ってきたらしく、これはもう銃撃ではなく砲撃だ)が
午前10時過ぎにあったそうで、世界が注目しているW杯期間中に北朝鮮が僕も忘れないでねと、ちょっかいを出してきた感じ。すぐ報道の字幕が4名死亡から4名戦死に変わったときには、戦死か?!
やっぱり戦死だよな。とそわそわ、ハラハラしながらTVを見ていた。
緊急国家安全保障会議?が大統領の命令で午後1時30分から開かれる。そこで韓国政府の対応を協議されるでその結果も知りたかったが、3時には行かなくてはならないのでそのまま家を出た。
地下鉄、バスを乗り継いで芸術の殿堂(会館)の中ホールに着いたのは3時10分前だった。ソウルの劇場はメインシアターにサブホールやら小ホールやらやたらにあって、道順表示も判り辛いのでいつも着いてからウロウロする。舞台ではすでに綺麗な桜を見ながらチマ・チョゴリの老婦が行ったり来たりしていた。3時から開演のはずなのにいつのまにか始まっているようだ。客席では韓国人がチケットと席の番号を見比べてあっちに行ったりこっちに来たり、騒がしい。
韓日W杯共催に合わせ、日本と韓国の演劇人が2年がかりで合作した現代劇 『その河をこえて、五月』 が東京公演のあとソウルで始まっている。劇は漢江(ハンガン)の河原で日本人と韓国人が花見をする設定。ソウル在住で韓国語を習っている日本人達(韓国赴任二度目の主婦、登校拒否だった学生、韓国駐在サラリーマン、フリーターの女性、在日韓国人の水泳選手とその恋人の韓国女性)が韓国語の金先生とそのお母さん、弟夫婦たち韓国人と桜の花の下で宴会を開くのだが、片言の韓国語しか話せない日本人と日帝時代の教育で日本語を学んだお母さんと日本のマンガが好きで日本語を良く勉強した恋人以外は日本語が判らない韓国人が、手振り身振りを交えながらもどかしいコミニュケーションを展開する。
『韓国人は何でもパルリ、パルリ(早く、早く)だからダメなんだ』
『そんなことは判っている。判っているけど日本人に言われる筋合いはない!』
日本人と韓国人が話すと自己紹介くらいは良いが、日本の問題や韓国の問題になると話と感情は行き違い、怒るか、中途半端に笑ってお酒を飲むしかない虚しさが漂う。
金先生の弟夫婦はカナダに移民する予定なのだが、母親に言い出せずにいる。その告白による大騒動を縦軸に日韓双方の身近な問題や違い、教育問題や、兵役の有無、夫婦の在り方、在日韓国人のアイデンティティー、韓国人のストレスと脱韓国(移民)願望などを時には感情的になりながら鋭く指摘しあう。散々笑ったり、怒ったり、慰めたり、泣いた挙句、日が暮れる頃にはそれまで離れて敷いてあった日本人グループのゴザと韓国人家族のゴザをくっつけあって、皆で夕空を見上げる。
なんだか、今の私達に余りに近いところの話なので可笑しい反面、つい深く考えさせられてしまう。
ソウル市庁前の赤い悪魔
劇場を出ると外はまだ日が高い。地下鉄で南大門市場に向かう。南大門から韓国サッカー応援のメッカになった市庁前に歩いて行く。赤、赤、赤、赤、赤(Be The Reds!)。学生、若者、アベック、家族連れ、ご老人。Tシャツ売り、飲料水、キムパプ(巻き寿司)の街頭販売。大きなカメラをさげたマスコミ。皆赤Tシャツでごった返している。ここでは午前中の南北銃撃戦はもう関係ないのか?
試合開始1時間30分前なのでポリスライン(警官の人垣)で地上からも、地下鉄の駅の出口からもすっかり封鎖されていて、大サッカーボールのある中心に近づけない。一計を案じて地下街のプラザホテル入り口に向かう。回転ドアは封鎖されていて係員が警備しているが、通行禁止ではないらしい。普通(赤Tシャツを着ていない)の日本人観光客の振りをして(別に振りをする必要もないのだが、何となく気持ち的にはそうしたい)、ホテルの地階に入る。女子トイレの前には赤い長い列が出来ている。トイレ前のこんなに長い列を見るのは、93年の大田(テジョン)万博以来だろうか。1階に上がってもトイレ前は同じ状態。しかし、プラザホテルはエライ、太っ腹。こんな大群衆に取り巻かれても、ロビーやトイレを開放し全ての市民を顧客と思っているようで、安全を確保しながらしっかりホテルの機能を果たしている。2年連続顧客満足ベストホテルに選ばれただけのことはある。第2次朝鮮戦争になっても、ここに避難すれば大丈夫そうだなどと考える。
ホテルの玄関口から市庁前広場(普段は回転式車道になっていて広場でもなんでもない、ただの道路だが、レッドデビルが占拠していつの間にかサッカー応援の広場にしてしまった。)を臨む。
『...すごい...』
しばし見とれる。まだもちろんトルコとの試合は始まっていないが、ヒップホップの歌に合わせて何十万の人々が手に持った応援グッズ(赤や白のビニールの棒。何ていうんだ?)を振っている。これは異様だ。赤いTシャツを着ていないと完全に異邦人である。皆が何だこいつは?(赤になれ!)見たいな顔で見ている。それでも世界に名だたる日本人観光客の振りをして、せっせと記念写真を撮る。
南大門市場でスンドゥブ・チゲ(KOREA REPORT 10月号参照)を夕御飯にして自宅に帰り着いたのは、韓国VSトルコの前半7分過ぎだった。なんともう1点トルコが先行している!キックオフ直後にバックスの洪明甫から奪ったボールをハカンシュキュルが入れたらしい。おまけにW杯史上最速記録までついたらしい。でも、韓国も負けずにゴール前のフリーキックを李乙容が直接決める。ここまではいい試合に見えたのに、韓国守備陣が右往左往している間にたて続けに2点入れられて勝負は決まってしまった。後半必死に攻撃を続け、ロスタイムに宋鍾国がロングシュートを決めるが勝敗は変わらなかった。トルコは強かった?仁川スタジアムでトルコVSコスタリカを観た限りではそんな風に見えなかったのに、日本を破り今日また韓国を下したトルコは本当は強かったんだ。試合終了後、韓国選手とトルコ選手はユニフォーム交換し、肩を組んで声援に応えている。韓国サポーター達は両者の健闘を称えて、両国の大国旗を展開し、小旗を振っている。負けても堂々としている韓国を見た。
自宅の赤い悪魔
韓国とトルコは朝鮮戦争で血を分けた関係(トルコは国連軍の一員として北朝鮮・中国軍と戦った)、土曜日は友情のこもった対決といわれ、どちらが勝っても応援しようとのキャンペーンが張られていたのだ。スタジアムは真っ赤に染まっていたけれど、右手にトルコ国旗、左手に韓国国旗を持って応援している姿がTVに映っていた。午前中の北朝鮮との銃撃戦と夜のトルコとの友情対決。戦死した4名はそれぞれ20代でサッカー代表選手と同じように、前途ある若者達であったはず。なんともやりきれない土曜日になった。
それにしても、日本と韓国とでこのような友好的なサッカーの試合が出来るまで後何年かかるのだろうか?まだまだ、すれ違いの言葉足らずの話を何年も、し続けなければならないのだろうか?
あれやこれやで、書ききれず語りきれずに今回は終わってしまいました。
なにせ、いろいろあった土曜日でしたのでご容赦ください。
来月また、W杯のその後、追憶と反省でも語りましょう。
もういいって? そう言わずお付き合いください。
それではまた。
ソウルより 蒲谷敏彦
バックナンバー02.6月-3号w杯特別号延長戦前編