<12月31日大晦日>
シドニーホバートレースは、イアン マーレーの乗った62ft艇 Bumblebee5が、修正タイムで優勝。
イアンは、このレース12回目の出場で初めての優勝です。
艇も彼のデザインスタジオが設計したものでした。
イアン マーレーは、彼が18フッターで活躍していた頃から僕の好きだったセイラーの一人です。
Volvo Ocean Raceは、スウェーデンのAssa
Abloyがライバル艇よりいちばん北よりのコースを取り,
Volvo Ocean race第3レグのこのレースで優勝。
<12月29日土曜日>
A HERO OF SAILING ピーター・ブレイクが死亡した。
彼の120ftセイリングボート「シーマスター」でアマゾン探検の旅の途中、海賊に襲われ殺された。
享年53歳
The Seamaster stops in Antarctica,
and Blake poses with the penguins.
Photograph courtesy of Blake Expeditions
1995年アメリカズカップにおいてニュージーランドのブラックマジックで、初めてアメリカからカップを奪った男。
1994年、カタマランENZAで、世界一周レコード74日22時間17分22秒を樹立しジュールベルヌトロフィを獲得した男。
1995年にクイーンエリザベス二世からナイトの称号を授かった男。
妻PIPPAと二人の子供、SARAーJANE、JAMESを遺し逝った。
<12月26日水曜日>21時43分
第57回シドニーホバートレーススタートから、10時間41分経過
今年のレースは、山火事の多いオーストラリアでも稀に見るシドニー近郊での巨大な山火事の中で、異様な雰囲気の中、スタートしました。
また、1994年の50周年記念レース時には、371艇参加したが、1998年には115艇、そして今回はわずか75艇の参加になったとCNNニュースで報道していました。
参加艇減少の最大の原因は、98年のレースで荒天のために6名死亡、55名がレスキューされ、5艇が沈没し、7艇は船体放棄される大惨事となったため安全規定などが厳しくなり、安全装備に相当費用が係るようになったこと、レース出場の為のヨット保険が、高くなりすぎ一般のセイラーにはもはや保険料が払いきれなくなったことの2点です。
伝統のこのレースも、一握りのプロフェショナルセイラーのためのレースになってしまったようです。
今回の参加75艇の内、8艇はVolvo60クラスが占めています。
では、サラリーマンセイラーは、パソコンの前でレース経過を楽しむとしよう。
<12月25日火曜日>
ヨットマンのための今日の格言:
We don't stop playing because we grow old
;
we grow old because we stop playing.
−George Bernard Show (脚本家 1856-1950)
年を取ったから遊ぶのをやめるのでない。遊ぶのをやめるから年をとるのだ。
<12月24日月曜日>
Mprojectの完成がいよいよ近づいて来たので、Mproの岡本オーナーは、年末にフランスの大西洋岸に位置するラ・ロッシェル近郊の造船所まで最終打ち合わせに、SPRINT51のプロジェクトマネージャーであるSEAHORSEの原さんと行ってきます。
3泊5日のハードスケジュールですが、オーナーの目で最終確認を行いたいのとデザイナーのJoberl Niverltに会って意見交換を行うためです。
日本にいてもメールで随時進捗状況の写真が送られてきますが、やはり実物を見て確認をするのは楽しみなようです。
SPRINT51のテストセイリングも行いたかったのですが、ビルダーのArchambault造船所は、新艇のバックオーダーを沢山抱え忙しそうで残念ながら年末までには、間に合いませんでした。
<12月23日日曜日>
忘年会を岡本オーナーの海の家で開催する。
ベランダから見る瀬戸内海に沈む夕日の美しさにあらためて感動し、しばし見とれてしまいました。
裕次郎の心のこもった料理も美味しかった。
いつもながら、素敵な時間と空間を提供して下さるオーナーに感謝でした。
シンシアのメンバーたちも久しぶり集まり、気の合う仲間と好きな話題で、これで盛り上がらないはずがない最高の忘年会が出来ました。夕方4時スタートから1時まで延々9時間飲みっぱなし。
デジカメを忘れて、宴会の模様をホームページに残せないのが残念!
2月に2度にわたる開頭手術をした高部氏も軽快し、みなの前に元気な姿を見せ、一緒に楽しい酒を飲みながら手術の話題に花が咲きましたが、この人に「ハンニバル」観たと原さんが聞いたときにはみんな絶句。
忘年会でも話題になったのが、このホームページのリンクで紹介させていただいたカリブ海のヨットマンからのEメールだより「貿易風の吹く島から」
日本人ヨットマンが、水上生活20年の経験を軽やかにまた爽やかに綴っています。
日本人にもこんな方がいらっしゃったんですねえ。
ヨットマンの皆さん是非、読んで下さい。
<12月15日土曜日>
アメリカに行ったMproject(SPRINT50)が、なんと同じ艇名で2002年のPACIFIC CUPにエントリーしているのを発見!オーナーの名前が、Manouchehr Moshayediさんなので、Mprojectの艇名が、気に入ったかな?
パシフィックカップは、トランスパックと交互に2年に1度開催されるサンフランシスコからハワイまでの外洋レースです。
Mprojectも是非、出場してみたいレースの一つです。
2001年のトランスパックレースには、日本のベンガルが出場し、レースレポートをインターネットで中継していました。
中盤までは、1艇のみ北よりのコースでぶっちぎりのクラス1位、毎日、応援していました。
途中、南下し順位を落としてしまったのが大変残念です。