Amatua おじさん Jazz Pianist
Smiley Tama
大人になってからのピアノ練習
お読みになる前に 2003年7月記
この項は1997年(47才・ピアノ始めて10年)に、それまでに書き貯めていた文章(主に95年)に当時(97年)の考察を加えて脱稿しました。現在(52才・15年)に読み返してみると、上達しない焦燥と重ねた馬齢を諦めきれない40代男の主観が表現されていて、恥ずかしく感じます。専門家から見られれば、内容は間違いだらけでしょう。それを敢えて”書き直さず”にアップしているのは、”大人になってからのピアノ練習”は「共通する道程を歩み、同じ悩みをもつ”のではなかろうか?」と考えたり、「”自分が試行錯誤した道を残しておくこと”が後輩への道標になるかもしれない」と思ったり、どなたか専門家が「”大人になってからのピアノ練習のカルキュラム”を真剣に考えてくれるのではなかろうか?」と期待したりするからです。なにより「自分自身の試行錯誤を記録にしておいて、後輩達が何を迷い悩むかを忘れないでいたい。アマチュア同士がピアノ練習を語り合うときの”適切な指導や助言をするための資料”として残したい」との思いが主要です。なお、この項の文章を書くまでに私は”小学生時代の1年間”と”大人になってからの4000時間の練習”を終えています。クラシック系ではバイエル・ハノン・チェルニー30番の一部、ジャズ系ではコピー譜7曲、ジャズ理論中級版2冊の大部分、ヤマハの教本(10冊組)の1/3(50曲)、そのほか参考書を手当たり次第に囓りました。ですから「ご自身ではまだ適不適の取捨選択が出来ない超初心者の方々」には惑わすだけの有害な記載”である危惧は大きいのです。このHP全般を通して「大人になってからの練習時間が1000時間を超した頃」にお読み頂くのが適当かと考えています。50才を越してからの3年間は、技術的なことより「アマチュア・ジャズピアノを続けながら、どんな人生を送ろうか?」の方に興味が移りつつあります。

1997年記
私なりのピアノ練習法を書いてみました。独断と偏見が根拠ですが、正しいところもあると信じています。私の目的は「ジャズ・ピアノを即興で弾く」ことです。ですから「左手でボサノバのバッキングを指定し、右手でシンコペーションが入ったメロディーを弾く」という楽譜(私には相当に難しい)が弾けていても、最終的に本人が「ボサノバのリズムを感じて左手でそれを表現し、拍をきちんと把握したうえで、シンコペーションを弾けるようにならなければ意味がない」という考えです。楽譜通りならば弾けるけれど「左手が全く同じ楽譜なのに、右手のメロディーが変わったら一からやり直し」なのならば、私にとっては「その練習は有益ではない」のです。もちろん、練習に無駄というものはなく、ひとつひとつの地道な技術の修得が上達の唯一の方策であるのは自明ですが、限られた時間内で目的を達するための要領としての(私の独断と偏見が根拠の)助言としてお読み下さい。なお、感性やリズム感などのジャズ特有の音楽性修得に関しては言及せず(別項に記載)、ピアノを弾く基礎的な技術習得に限定しました。

その 1 基礎からやっていては間に合わない
その 2 3週間・12時間、練習してできない楽譜はそれ以上練習しない
その 3 出来なかった部分は覚えておく
その 4 壁に挑戦しない
その 5 自分の能力の変化を感じ取り、時期を見て必要な基礎練習をする
その 6 両手同時の指くぐりの技術修得は大人には困難
その 7 フレーズ練習は後ろ部分から始める
その 8 拍を数える脳を感じる
その 9 指の柔軟体操
その10 速いフレーズは手内筋だけで弾く
その11 親指は特殊、大人には最大の難関


基礎からやっていては間に合わない その1
ピアノを始めた年齢で、練習のプロセスを変えることが大切と思います。
20才ならば子供と同じように基礎からやってみるのも方法でしょう。
30才ならば基礎と曲とを同時に始めましょう。
40才ならば基礎は必要に応じてやりましょう。
50才ならば曲の中で弾けない部分は弾けるように作り直しましょう。どうしても必要なときだけ、必要最小限の基礎練習を見つけて練習しましょう。
60才ならば基礎練習はやめましょう。あなたの残りの人生は基礎練習をするには短すぎます。曲そのものが基礎練習であるように変えましょう。その楽譜は老人をよく知った教師に作って貰いましょう。
注:
私は50歳です。40代までは経験しましたが、50歳以降は未経験です。ですので50歳以降は推察です。

3週間・12時間、練習してできない楽譜は
それ以上練習しない
その2
大人になってからのピアノ練習は上達が困難です。私は、大人の体は通常しない運動の機能が衰退しているだけでなく、抑制がかかっているように思います。子供にとってはさほど困難なく克服できる基礎的な技術でも、大人では大層困難という楽譜はあるはずなのです。現在は子供と大人の修得能力の相違は配慮されていません。だから、3週間・12時間、練習しても出来ない場合は「さっさと諦めます」。私の経験では、それ以上続けても出来るようにはなりません。苦心惨憺の末になんとか出来たような気がしても、1ヶ月後には弾けなくなっています。そんな時間と体力があったら、出来る能力の範囲でより音楽的に完成させることのほうが大切と思います。出来ない技術を習得して、なおかつその部分を音楽的にするのは無理があります。

出来なかった部分は覚えておく その3
出来ないことは速やかに止めます。でも、出来なかった部分は覚えておいて時々試しに練習してみます。出来る日が来たときに、時機を失せず会得するためです。技術が完成しなくても、練習したことは無駄ではないのです。ほかの練習を続けていくうちに、急にスラスラできるようになるときがあります。抑制がとけたような不思議な感覚です。この時機を失せずに克服しましょう。出来なかった部分をときどき思い出して1〜2時間練習してみます。できなければさっさと諦めます。よい感じがあったらチャンス到来です。衰えたとは言え、まだ記憶力はあるし、体の中で自然に反復してくれる不思議な力が脳の回路の中には存在しているように思います。

壁に挑戦しない その4
大人にとって1曲を仕上げることは至難の業です。1曲を仕上げたら次の曲はその曲のテクニックだけで出来る曲を選んでいます。たとえば調の違う同じレベルの曲を探します。たて続けに新しいテクニックに挑戦してよかった思い出はありません。同じテクニックで弾ける曲を3ヶ月で3曲弾きます。1曲目が3ヶ月かかったら2曲目は2ヶ月です。3曲目は1ヶ月で出来るはずです。もし3曲目が1ヶ月越しても出来ないならばその曲は難しい曲、即ち新しいテクニックが入った曲だと判断しています。私は見極めを早くすることが大人の大切な知恵と思っています。「壁に挑戦してならない」ということが、「安易に楽しむ」という意味ではないと思います。記憶力は衰えています。せっかくに出来るようになったテクニックも、立て続けに次のテクニックの練習に進むと、どんどん忘れてしまいます。だから同じテクニックを覚え込むためには、子供時代以上に同じテクニックを繰り返す必要があると思うのです。次々と壁に挑戦していては折角体得したテクニックも失うことになると思います。

自分の能力の変化を感じ取り、
時期を見て必要な基礎練習をする
その5
子供は連続的に上達するようです。大人の私はゆっくりと階段状に上達してきたと感じています。子供が連続的に上達するのは抑制がないからだと私は考えています。真っ白な画板に絵を描くのなら次々と塗っていけばいいです。大人の画板には既に色々な色や傷が付いていて、それを消しながらでないと絵は描けないという感じです。出来るテクニックだけでたくさん弾いているうちに「画板のどこかに白い部分が出来る」って感じです。その変化を自分で察知することが大切です。自己分析が大人の強みです。
 壁に挑戦するためには、目的の壁を越すための基礎練習が必要と思います。ですが、やみくもの基礎練習は子供には有効ですが大人には不向きです。やみくもにならないためには分析が大切です。たとえば右手の2拍に遅れて左手の2拍半に音を弾きたいとしましょう。練習を始めて1時間しても出来ない場合は、まず右と左を交互に、右手1拍左手1拍半、右手2拍、左手1拍半と交互に弾けるかどうかを確かめます。出来る場合のことは次項で述べます。出来ない場合は、右と左を交互に弾く基礎練習が必要です。曲の場合は指使いや前後との関係があって、いろいろな要素が絡み合います。基礎練習は「右左を交互に弾くという目的に限定した」最も簡単なフレーズを練習をします。弾けない理由を分析して見つけだし、出来るだけ「本質部分だけを取り出して」、単純化して基礎練習としています。

両手同時の指くぐりの技術修得は大人には困難 その6
前章の続きです。右左は交互に弾けるのに、出来ないフレーズの理由を考えてみました。多くは指使いやリズムに原因が隠されています。この章では指使いに限定します。指使い、特に指をくぐらせる指使いは困難の大きな理由です。指をくぐらせるというテクニックは、両手で弾く場合は大変難しいテクニックです。3段階くらい上のランクと思っています。特に左の指くぐりと右手の指くぐりが別の拍で行う行為は、大人になってからでは「出来ない」と決めてもよいかと私は思っています。よく「右だけ練習して、それから左だけ練習したら出来るようになる」と言われますが間違いです。大人は片手で出来ても両手では出来ません。このハードルは「子供のときにそれを越してしまった人達(即ち音楽の指導者)には分からないハードルです。子供の時でも「このテクニックは難しかった」が練習して克服した。だから「大人はその2倍、時間をかけたら会得できる」という考えは間違いだと思っています。例えますと、子供の時のハードルが1メートルだったとしたら、大人の場合は2メートルと仮定します。1メートルのハードルは練習でほとんどの人が越えられますが、2メートルのハードルは一生かけても超えられるかどうかは分かりません。大人の挑戦とはそういうものだと理解しています。
 解決方法として、そのフレーズ内での指くぐりはどちらか一方の手に限定するとうにしています。両手の指くぐりのあるフレーズは書き直しています。実は機会を見ては、両手指くぐりに挑戦してはいるのですが、出来るようになりません。たぶんもし出来ても「応用はきかないな」と思っています。

フレーズ練習は後ろ部分から始める その7
6章の続きです。連続する難しいフレーズの練習は、後ろ部分から始めるるよう心がけています。気持ちでは前から始めたくなりますが、後ろからです。例えば速いフレーズが出てきたとき、後ろが出来なければ前が出来ても結局は使いものになりません。後ろが出来る自信がつけば前のフレーズに余裕が出来ます。また、後ろ部分が出来るのに、前の部分が出来ないときは、できない理由は「前部分」にあると確信できます。が、後ろが出来ない場合は、「前」が崩れるから後ろが出来ないのか、後ろだけが出来ないのかが分かりません。練習は後ろから始めて、後ろが出来なければそのフレーズは練習を止めることにしています。

拍を数える脳を感じる その8
前章の続きです。拍を数える自分の脳の状態を確かめるという話です。指使いは難しくないのに出来ない場合があります。そのときは、そのフレーズを弾きながら拍が数えられるかどうかを確かめます。多くの場合は拍数を数えることが出来なくなっています。拍を数えると言うことと手を動かすという2つの操作を同時に行なえないのです。大胆な仮説ですが、子供のときから音楽教育を受けている人とそうでない大人とでは拍を数える脳の場所が違うと私は考えています。子供の時からの人は、拍を数える脳の場所が出来ていて、時計のように一定のテンポで脳がクリックが鳴らします。一方大人は手を動かす大脳と同じ場所で拍を数えようとしています。脳の同じ領域を同時に使うので、手を動かすことと拍を数えるという2つのことを同時に行うことが出来ないのだと考えています。でもこれは8年目くらいから大分できるようになりました。運動能力と数を数える思考という脳の働きでは違う分野なので、脳が整理を行えば同時に別の場所で作業が出来るようになるのだと思います。「リズムをお腹で感じる」とか「お尻で感じる」とか音楽の専門家は言いますが、多分海馬などの原始的な脳に近い部分でリズムを数られるようになった、という体感表現なのでしょう。大人になってからでは、なかなか得られる能力ではないと思います。拍を大人に練習場の実地で体得させようと指導者はしばしば努力しますが、その方法は適切ではないと私は思っています。大人の脳は瞬時に反応することが不得意です。
 話しがヨソにそれました。この問題の解決は私の練習の最大の悩みでした。拍が数えられないと練習のしようがないからです。まずは、「拍が数えられない」という状態を確認することが大切と気づきました。拍が数えられないフレーズは、その中に拍を数えることを妨げている手の動きがあるはずと考えて探します。場合によっては、見つけだして取り除くか、または数えられる拍に移し変える作業をします。多くの場合は左手に弱拍や連続する裏拍が書かれている場合が多いと思います。ほかにも理由はいろいろとありますが、要は「出来ない理由は拍が数えられなくなっていることだ」ということを知って、その後にどの様な練習をするかを決めることが大切だと思います。そのフレーズの練習だけを必死にやっても、拍が数えられない限り、身につきません。まずは拍が数えられる曲を沢山やって、拍を数える脳を育てることの方が先決だと思います。

指の柔軟体操 その9
指の柔軟体操は有効でした。ある時期はピアノの練習より効果的でした。大人のピアノの練習には指の柔軟体操は大切と思います。「音楽の指は音楽の練習で作れ」という助言がありますが、大人の場合は間違いだと思います。子供のときは「柔軟体操って何のためにしてるんだろう?」って不思議に思いました。でも40才になると柔軟体操の意味がよく分ります。大人になるまでピアノを弾かなかった手は関節が堅く一部は骨化し癒着しています。硬い手ではピアノは弾けません。癒着した関節は、弾きながら(即ち自分の動かす筋肉の力だけで)柔らかくすることは困難です。「指を高く上げて弾きなさい」と言われますが、その意識やピアノ練習だけでは上がりません。筋肉や神経が弱いだけではなく手が硬いのです。筋肉や神経はピアノの練習でしか作れませんが、柔らかい手は柔軟体操で作れます。そのために柔軟体操が欠かせません。ピアノの指導書に書かれている指の柔軟体操は役立ちませんでした。妙に難しい指の動きを指定しています。ピアノが既に弾ける人のための指の体操と思われます。学問的にどのような運動が良いのかは分かりませんが、私は5年目から毎日、指1本1本の伸展屈曲、手首の回転、手指を動かす柔軟体操を繰り返しました。いつでもどこでも手癖のように指を強く屈曲伸展させました。指を反対の手で強く外へ伸ばしていると、指の付け根の皮膚がまず変色しました。皮膚が伸ばされて内出血したのです。構わず続けていると黄色く変色して硬くなりましたが3ヶ月くらい立つと皮膚が指を引っ張る感じがなくなりました。手首も最初は回すと痛かったのですが、1年くらいで随分と自由になりました。同時にピアノが弾きやすくなり、練習も変わりました。指を高くあげるよう心がけることが出来るようになりました。それまでは指を高くあげるようとすると音が乱暴になるだけでした。硬い手で指を無理にあげようとする気持ちから、手首に力が入り一層手が固まっていたようです。
 残念ながら、この体操は一生続けなければならないようです。子供のときからの人は手を柔らかく保つよう体が覚えているようですが、大人はすぐ硬く戻ります。柔らかい手を維持するためには、繰り返しずっと手の柔軟体操をする必要があるようです。

速いフレーズは手内筋だけで弾く その10
「卵を上から持つように掌をまるめる」とか「鍵盤を手前に引っ掻くように弾く」とか指導されます。これは「手内筋だけで指を動かしなさい」という指示です。私は「手内筋だけを使う」という教えを整形外科医から聞きました。その瞬間「目からうろこ」でした。手内筋は手首と指の第2関節を繋いでいる筋肉です。屈筋といって曲げるだけの働きの筋肉です。指が戻るのは伸筋の働きですが指の場合は伸筋の働きは受動的(意識しないでもバネのように戻る)です。ですから指は曲げるだけの意識で動かせます。手首の運動は曲げるのも伸ばすのも能動的(意識しないと動かない)です。だから手首を使うと曲げる伸ばすという2段階の意識が必要になり動きが遅くなります。だから速いパッセージは手内筋だけで弾く必要があるのです。手内筋だけで弾くのを知って、だから「手の中だけで弾く」という意識だけを大切にしようと心がけると、割とスムースにできるようになりました。試してみて下さい。手の中だけで弾こうと意識すると、自然と引っ掻く感じになりますし、掌も丸くなります。手の筋肉の解剖図を理解して練習する、大人にだけ出来る上達法です。

親指は特殊、大人には最大の難関 その11
続きです。手内筋の話しをしましたが、親指は例外です。親指とほかの4本の指は附いている向きが違います。素直に手を広げてそのまま指を曲げると親指は内転(内側に回る)します。ですから親指だけは屈筋では弾けないのです。親指の回転する便利な特性を使ってピアノでは指回しをするのですが、これは生理に反した特殊な技術と思われます。なにしろ人間の自然な動作では親指は内転するのですから、、。親指が内転するのは物を掴むときには絶対に必要な運動の方向です。ピアノ以外でどんなときに親指を縦方向に動かして使うことがあるでしょうか?。指回しは親指を縦方向に動かしながら(鍵盤を弾く)と掌の移動(指を換える)と親指の屈伸(親指を残す)という3つの作業を瞬時に行う動作です。平常ではない運動なので練習でしか獲得できません。40歳で始める人は、40年間一度もしたことのない動作です。しかもこの3動作を意識せずに出来るようにならなければ、両手同時または時差の指回しはできません。大人になってからの指換えはたいへんに困難な技だと言えます。けれども指回しが出来なければ連続できるフレーズはあまりにも少なくなります。頑張って練習しましょう。けれども私の考えではそう多くは望めません。大人の親指回しの目標は片手だけの指変えです。「両手同時または左右が連続した指換えは大人になってからでは出来ない」と勝手に決めています。
Smiley(^-^)Tama


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