続編
大人になってからのピアノ練習
基礎技術

50歳からの挑戦
No 1  Comping練習
No 2  トレモロの練習
No 3  筋力鍛錬
No 4  強弱(アクセント)
No 5  16分音符を弾く
No 6  低音キーの位置感覚
No 7  指・腕の重さを使う
No 8  ペダルの使い方
No 9  左手の練習
No10  正しい休符を創る
No11  右手で和音を弾く
No12  自分の音色に耳を澄ませて、美しい音色で弾く
 随時建設中
Smiley Tama Conping&Backing練習

No1

2002年1月19日記

ジャズ的なサウンドを創りたくてPiano Comping教本の練習を始めた。ピアノを始めて14年目だ。困難を極めている。 Comping練習の必要性を5年目に知った。取りかかったが、まったく歯が立たなかった。左手の位置が大きく変わる、右手は単音から4ノートまで組み合わせが激しく変わる、タイミングは様々で拍を完全に把握していないと弾けない、微妙なアクセントが必要等々の理由で、到底5年目のおじさんが立ち向かえるレベルではなかった。仕方なく”左手で2ノート、右手で2ノートの4ノート”のほぼ定型(いつも同じ和音)でバッキングするという便法を考え出して乗り切った。
10年目に再挑戦した。少しやれそうな感じだったが、練習に”とてつもなく時間”がかかり、その割には”すぐには役立たない”。フロントの演奏によって変化するし、なにぶんにも自分が主役(自分のソロ)のときの演奏ではない。ライブやセッションに参加し始めた頃だったので、”焦眉の急”(新曲を憶えるとか、イントロやエンディングの練習)を優先して沙汰やみにした。
14年目に入り、とにかく ジャズらしい和音が弾けないことにはジャズサウンドを創れないし、フロントに申し訳ないと痛感して再々挑戦している。日本人の書いたComping教本は見つからず、Jim Snidero著のJazz Conception Piano Compingを使っている。ほかに友人の持っている教本も見たが、どれも難易度はほぼ同レベルのようだった。私の使っている教本が初心者用なのだとしたら、Comping&Backingはピアノ初心者には弾けない技術だ。だから大人になってからのピアノ練習者がComping&Backingの練習に取りかかるのには”最低5年が必要だ”と思う。

今回Compingの練習を始めてみて”楽譜に書いてある”音使いの意味付け”を理解できる”ことは有り難かった。”右手はナチュラル系のテンション・ノートからオルタード系への移動しているのだ”とか、”左手はT+Z♭→トライ・トーンへの変化させている”などだ。Second Drop Method、 Spraed、 Chromachic aproachなどの応用がちりばめられている。バンドに入った当初は”とりあえず自己流でバッキングする”しか方法はないが、”知識は得ておく”のが良いと思う。知識なく弾き続けても、経験が蓄積にならないし、改めてComping教本を練習するときも”丸暗記する”しかない。50歳に近くなってからの丸暗記は難しい。
問題はこれを弾く技術と応用(現場での実用・適用)だ。バラッドなら考えながらでも弾けるが、テンポが早くなると一瞬の選択が必要だ。ピアノの技術の問題に集約される。今はまだテンポ120の基礎練習だ。50歳の私に修得出来るかどうかは分からないが、教本そのままの音使いが出来なくても、ごく一部にでも使えればジャズらしいサウンドになるようだ。とても難しいけれど、少しずつでも弾けるように努めたい。
   
Smiley Tama トレモロの練習

NO2

2002年1月20日記

「12年目なのにトレモロが出来てない」と驚かれた。何年目であろうと「練習していなければ出来ない」という単純明快な証明だ。職業(家)的音楽教育を受けた人たちは自我を得ない時期に基礎的な練習を終えていることが多いので、単純な技術習得の端緒をいつ得たかを憶えていないことが多い。母国語の日常会話をいつどのようにして憶えたかを覚えていないのと同じだ。大人になってからのピアノ練習はそうはいかない。明確な目的意識(自意識)をもって練習しなければ、無我のうちに技術を得ることはない。
さてトレモロはハノンのNO1にも出ているので2〜3年目に練習を試みたことはあった。けれどあまりの手の痛さと疲労に降参した。トレモロはゆっくりと時間を掛けて練習することが大切と諭され、その後も時折試したが長続きしなかった。実際の演奏でトレモロを使う場合は、一定以上の速さがなければ有効ではない。ゆっくりのトレモロ(トレモロと呼ぶのかどうかも問題だが・・)は実践では役立たない。トレモロの練習は即効性に欠ける。私がトレモロ練習を後回しにしたのはある面合理的だった。5年目頃に再挑戦した。このときはかなり一生懸命に取り組んだが、2週間目に腱鞘炎を起こしそうになってやめた。治ったらまた始めようと思ったが、痛みを覚えてしまって嫌悪が先立った。教則本にも書いてあるがトレモロの練習には危険が伴う。
10年を越してアンサンブルに参加する最低限の技術が身に付くと、音色や音の色彩感といったピアノ表現が求めらる。冒頭の「12年目なのにトレモロが出来てない」はその一環として発言された。それで12年目に初めて本格的にトレモロに挑戦した。表現の幅を広げる必然性に迫られたことに加えて、以前トレモロを練習したときよりは手の痛みが少なくて続けられそうだったからだ。また、トレモロを実際の演奏のどこにどのように使いたいか、即ちトレモロを練習する目的も明確になっていた。実際の演奏では1分間ずっとトレモロを続ける必要はない。1小節だけでも効果的だし、4小節を越して使い続けるなんてやらなくてもいい。疲れたらやめればいい。トレモロの有効な使い方が分かると、練習の辛さもあまり苦にならない。私のトレモロはバラついてアクセントがヘンで、だんだんと弱くなる。要するにとっても下手なのだ。でも演奏中に使うように心している。演奏中に使うことが日頃の練習の一番の励みになる。下手なトレモロでも要所に使うと有効で演奏の楽しみが増えた。トレモロの練習は危険が伴う。ゆっくりの上達を目指したい。もっと早い時期に取りかかるべきという意見も多いと思うが、自分の経験からは本格的なトレモロの練習は5年目以降がいいと思う。
   
Smiley Tama 筋力鍛錬

NO3


2002年1月21日記

「ピアノを弾くのに腕や指の力は必要ない」と言う人がいるがピアノの鍵盤は結構重い。「鍵盤ほどに重い物を1秒間に8回以上押さえる」なんて行為は普通の日常活動ではありえない。腕の振りや体重の移動によって補うことが出来るにしても、結局は手内筋の筋力が求められるのは間違いないはずだ。ただ筋肉には「物を持ち挙げて維持するの使う筋肉」=(遅筋)と「早く細かく動かす筋肉」=(速筋)の2種類があって、ピアノに重要な筋肉は速筋だ。だから「手首の力を抜いて」だとか「手を丸くして手の中だけでひっくように弾く」とかの指導は、速筋が働きやすいようにするための方法なのだと思う。「速筋だから力は必要ではない」ということではなく、速筋を鍛えるのも筋力鍛錬だ。遅筋は若いときに鍛えると一本一本が太くなる(ちなみに筋繊維の数は生涯増えることはないのだそうだ)。重量挙げの選手の太い腕が遅筋を鍛え上げた肉体だ。また遅筋は若いときに鍛えると太くなり、その後細くなっていても、一度鍛えたことがある人は成人して再び鍛錬を始めると太くなる。しかし「若いときに鍛えてない人が成人してから鍛えると筋繊維は太くならずに硬く細くなる」と聞いた。強い力を出すためには筋繊維を「太くする」か「硬く強く張る」のいずれかだが、若いときに太くなることを遺伝子が覚えた人は「太く」なり、覚えてない人は「硬く強く張る」という理屈だ。真否のほどは確認していないが大人になってピアノを始める私には興味深い話だった。速筋は鍛えても見た目に分かるほどは太くはならないようだが、「速筋の鍛錬は遅筋よりも時間がかかる」と聞いた。また老化は「速筋のほうが早くて明確」なのだそうだ。若い人に負けない力自慢のおじさんは多いが、足の速いおじさんは少ないと言うことだろうか。確かに俊敏性は年齢と共に間違いなく衰える。
前置が長くなったが、ピアノを弾くために必要な速筋は「鍛えるのに時間がかかり老化がはっきりする」のならば、大人になってからピアノの練習は難儀が推察される。速筋が自然に最も速く動くのは「15歳から25歳まで」だそうで、経験より個人技中心のジャンル(水泳や体操等)の選手年齢と一致して興味深い。職業音楽家はこの年齢に集中的に訓練する。そこで得た筋力を維持して経験を重ねることで音楽性を完成させていると思われる。大人になっての練習は40歳で筋力鍛錬を始めなければならない。それがどの程度可能なのかどうかは検証されていない。
そんなこんなでピアノを弾くための速筋は鍛えるのに時間がかかるらしい。いちばん速筋が速く動く時期に鍛錬したひととは全く条件が違うので比較することが出来ない。「その人たちに習わないといけない。40歳にもなって筋肉鍛錬が出来てない人に教えなければならない」というのはお互いにつらいものがある。大人になってからの速筋の鍛錬効果が現れるのに5年かかると思う。自分ではそう感じた。10年目(47歳)から12年目まで集中的に速く弾く練習をした。少しは効果があったが、めざましいものではなかった。つらい。個人差があるから一般論ではない。さて私は今51歳だ。老化が明確になる。鍛えて向上を目指すのか、現状維持が目的になるのか、先達の実証もないし、自分も未経験なので分からない。「筋力鍛錬だけが音楽練習ではない」と信じながら「もう少し筋力がつかないかな」と念じつつ50代を過ごしてみたい。
   
Smiley Tama 強弱(アクセント)

NO4

2002年1月22日記

ハンマーの重さは変わらないのだから強弱(アクセント)はハンマーを振り下ろす速さだけで決まるはずなのだけど、実際には体重をかけたり腕の振りを上手に使うことで強弱を変えられる。実際指導通りにやってみると音色とともに強弱も変えられる。ちょっと不思議に思う。ピアノを始めて7年目に腕の振りや体重移動、掌の回転などの指導を受けた。指導は続かなかったが教本を買って見よう見まねをした。当時はすぐに忘れてしまった。13年を超えて「音楽的になりたい」と思って音色とアクセントに興味を持った。音色の改善にはまだ着手できていない。当初アクセントを意識的に大きくつけるようにしたが、盛り上がりたいところでフォルテすると突然汚くて自分がたまげるほど大きな音になり往生した。これは一呼吸おいて体重を載せてゆっくり目に弾くことでだいぶん良くなった感じだ。ppが全然弾けないが「ppは一番難しいのだ」と聞いて諦めている。教本で「超一流のピアニストは強弱を100通りに弾き分ける」、「プロは30通り」、「アマチュアでも最低7通り」という文章を読んだ。自分を試してみると「なんと3通りだ」。7通りというと「強強、中強、、弱強、強中、中中、弱中、弱」だろうか?。弱弱は難しい。「7段階を思い通りに弾き分けたい」が当面の目標だ。大きな流れの中での強弱はなんとか挑戦出来る感じだ。短いフレーズの中で一音一音のアクセントを変えたいと熱望するのだが、これが全然できない。一音一音に強弱をつけるのは体重移動や腕の振りではなく「掌内筋の動作の速さを変えること」で得られるのではないかと考えている。この速筋の運動を微細に制御する能力は誰にでも難しいのだろうが、50歳を過ぎてからではどの程度獲得できるのだろうか?。筋肉と神経制御そのものの課題なので、気持ちだとか弾き方だけで解決できる課題ではないように思っている。どうにかならないかな〜。
   
Smiley Tama 16分音符を弾く

NO5

2002年3月18日記

「速く弾けるに越したことはない」が欲はかき出したらキリがない。「速く弾けなくてもジャズらしい雰囲気は出せる」とは嘘ではないが真実でもない。修飾音は一定以上の速さがなければ別音に聴こえてしまうし、ブルーノート音列のブルースフレーズには音の方向性が必要だが一定以上の速さがなければが方向性は示せない。「最低でテンポ120で16分音符が弾ききれる能力が必要とされる」というのが私の独断だ。8年前から「テンポ140で1小節以上続く16分音譜フレーズを弾く」練習に取りかかった。8年前はテンポ80まで嫌気がさしてやめた。なんと情けない。「バラッドのテンポではないか」と思われるだろうが、そんなものなのだ。5年前に再挑戦した。テンポ100まで上がったが練習は本当にしんどかった。練習では弾けてもバンドの中に入ると出来ない。このときスイングで16分音符フレーズを弾くのは8ビートで弾くのと違う何かがあるように感じた。ドラムスのチーチキチーチキに逆らった割符だと思った。そして心底嫌気がさしてやめた。2年前に中級者向けの教本の中にふんだんに16分音符フレーズを見つけた。違和感があった。ヤマハの独り弾きの教本には見かけないフレーズが多く、16分音譜が(特に16分音符が1小節以上続くフレーズ)が盛りだくさんだった。この楽譜でスイング感が出せるのかどうか不思議に思って尋ねたら、ごく普通の楽譜との返事だった。目から鱗が落ちた感じだった。以後ときに触れて16分音符フレーズを練習している。1年ほど前からテンポ120の練習したフレーズが時折出るようになった。練習では140がどうにか弾ける。テンポ140まで上がると曲目も増えるので応用が出来るようになると楽しみにしている。
   
Smiley Tama 低音キーの位置感覚

NO6

2002年4月5日記

左手の低音キーの位置感覚を覚えたい。高いピッチを速いパッセージで弾きながら、そこに低音をタイミング良くフォルテで一発かます。なんてのをやりたいけど、その音をはずしてしまう。かなり惨めだ。左手の位置感覚が身に付いていないから目視しないと正しく弾けない。私の場合は正答率が50%程度だろうか。あたり半分はずれ半分。丁半の世界だ。この位置感覚は「大人になってからのピアノ」の悩みの1つだ。理解度や知性は関係なく、純粋に「身体が記憶する」作業だからだ。7年前にスライドピアノの楽譜を練習した。肩と目が凝った。「目が凝る」って分かるだろうか?。鍵盤を凝視して目が凝るのだ。疲れ切り肩痛に負けてギブアップした。薦めがあって目をつぶって左手を弾く練習もしてみた。横で見ていた妻に「気持ち悪い」と言われて、効果を確かめる前にやめてしまった。結局左手の位置感覚は身に付かないまま、低音をほとんど弾かない習慣が身についた。1年前、低音を実に効果的に使う若手アマチュアピアノを見て真似を始めた。タイミングが難しい。そして音をはずす。決まると効果的なだけにハズすと寂しい。彼に訊ねた。曰く「低音は必ずしも音程を聴き取れない。音の正確さより、とにかく必要なタイミングに低音が鳴ることのほうが大切だ」。「もちろん正確な音を弾くことを軽視するのではない。しかし弾くことが経験になるだろう」。とりあえず納得している。正しい位置感覚は獲得できなくても音楽表現を多様化することは大切だ。低音を効果的に使うように心がけたい。
   
Smiley Tama 指・腕の重さを使う

NO7

2002年2年7月15日記


「私のチンドンリズムを直して」とホームページに求めたら「よりおしゃれなノリにするためには強弱の差をつけること」、特に「ひとつひとつのフレーズの中でのアクセントのつけかたに工夫をすること」、そのためには「裏拍に重さがのるように、逆に表拍はそっと。」「一回腕を上げて上から落とす感じ。」とのアドバイスがあった。結局はピアノを弾く(鳴らす)最も基本的な技術に戻る。その中でも「指の重さ、腕の重さを使ってピアノを弾くこと」は、音色にしろ、アクセントにしろ、多岐に共通する重要ポイントだと意識せざるを得ない。「指・腕の重さを上手に使うこと」はいま初めて聞いたことではない。何度か挑戦したが要領を得なかった。一方で「自分のチンドンリズムを直したい」という切望はこの3年間どんどん大きくなり「直すために何かしなければ自分を納得させられない」とまでに切羽詰まった気分になった。助言の練習をしてみた。なんだか出来そうなのだ。僅かに音色も良くなるし聴きぐるしいハネが緩和される。鍵盤に指が吸い付く感触が心地良い。「指・腕の重さを使う」ためには、指を素早く抑えるべき鍵盤の上に移動し終えることが必須と思う。知らず知らずのうちに早い位置決めが出来るようになっているらしい。チンドンリズムが直らないとモダーンなジャズ感を表現できない。ひょっとするとモダーンに弾きたい切迫感が不可能を可能にしてくれるかも知れない。50男はなかなか素直になれない。「チンドンリズムを直したい」切迫気分のときと「指の重さ、腕の重さを使ってピアノを弾く」助言とは運命の巡り合わせなのかも知れない。そう思って挑戦する心を決めた。
   
Smiley Tama ペダルの使い方(ペダルは使わない)

NO8

2002年2年8月5日記


ペダルの使い方を習ったことがない。4年目にヤマハの教本に「スウィング曲はペダルを使わないこと。バラッドはペダルを使う」と書いてあった。それまではスウィングでもペダルを踏んでいた。以来スウィング練習ではペダルを踏まない。ところが本番の演奏、特に店で独り弾きするときなどは、思わずペダルを踏んでいる。音が切れてカスカスになるのが怖いからだ。昨年その間違いを指摘されて「一切ペダルを踏まない」と決めた。バラッドもよほどの大切な場面でなければ使わない。「ペダルの使い方」の基礎指導書を読んだ。「弾いた指を置いたままでペダルを踏む」「弾く前に踏む」「弾いて指を放してから踏む」「一音毎に踏む」「半分踏む」等々仰天する多様なテクニックがある。試しにやってみて、その違いと表現の豊かさを確認した。ペダルの使い方をマスターしたい気持ちが湧いた。が、きっぱりと諦めた。決意したと言ってもいい。右手・左手で弾き、左足でテンポキープ、それに加えて右足でペダル・テクニック。身体各所でバラバラな動きを同時に行う修練は大人になってからでは難しい。右足まで意識する鍛錬はもう限界を超えている。年齢を超してしまったと考えた。しかし「ペダルは音を伸ばすために使うのではない。音色を創るために使うのだ」という教えは心に置いた。ペダルを使わないためには「音を残す」必要がある。ペダルを極力使わないように心がけて、僅かながら音が残り始めた。無意識に指を残す努力をしているのだろう。息づかいが感じられるメロディーを弾くためには、音が途切れずなだらかに続くことが必要だ。和音も求められる。右手が疲れる。低音域の鍵盤の抑え方に苦労している。低域の響きを残して素早く和音に移動する左手の移動の速さが求められる。ペダルの使い方を憶えようと思いたって、ペダルを使わなくなった。ペダルの練習は沙汰やみになったが、思わぬ成果を得た。頑固にペダルを使わないでいると「あ〜、ここでペダルが欲しい」と感じるときがある。そのときには自然に踏んでいる。いまの段階が終わったら、ほんの少しペダルの使い方を学んでみたい。
   
Smiley Tama 左手の練習

NO9

2002年2年9月18日記


クラシックからジャズへ転向した若手ピアニストから「ジャズやってるとさ〜、左手が情けなくなるだろ〜。ときどきクラシック楽譜を引っ張り出してきて練習するんだよね」と聞いた。右手と左手をそれぞれに練習して、それから両手での練習をする。楽譜の練習の場合は1曲毎に必ず経る過程だ。クラシック・ピアノのひとは見事に左右を使って弾く。左右に同じ時間を使って練習し、かつ両手で弾くことが強制される。ジャズの場合、アドリブを憶える時期は特に右手の旋律弾き練習に偏重する傾向がある。私の場合はクラシックの素養がなかったにもかかわらず右手偏重が極端だった。演奏中に左手が入らない。入れるとリズムが乱れ音が濁り突然の強拍に音楽性を失う。タイミングがおかしい。アクセント・音量の調節ができない。この1年間気が付き始めていた。
初期の頃コピー譜の練習は右手だけだった。右の速いフレーズの隙間やフレーズ中に左手を入れることはとうてい出来ない業だった。尋ねると「適当でいい」「フレーズの合間に入れればいい」との助言だった。当時の技量からすれば致し方がなかった。クラシックなどで基礎があるひとは、どこかの段階で左手のバッキングを練習して解決するだろう。が、基礎のない私にとって左手はずっと重荷だった。そのためにヤマハの教本を練習したが、独り弾きの教本は根音を入れる楽譜が多い。1拍目に根音、2拍裏に和音と言うパターンが基本なので、3拍裏と4拍裏とにバッキングを入れてコードの流れを提示するコンボ系の左手とはいささか違う。初期にガーランドのCジャム・ブルースを練習したことがきっかけで、いつのまにか2拍裏と4拍裏のバッキングで間に合わせていた(実はその4拍裏がデタラメだ)。
テンポ200以上の練習を始めたら左手が全く入れられなくなった。8分音譜のテヌート感を練習しても左手が入ると途端にハネてしまう。リズムが乱れスウィング感を失う。左手に技術がない、速さがないと痛感した。左手を練習してみたら僅かに音楽がカラダが軽くなった感じがした。左手が僕のピアノを一層貶めているらしい。今まで練習時間は右手を8としたら左手は2くらいだろう。しばらくの間、この比率を5対5にして左手を鍛えてみたい。
思いのほか近道かも知れないと期待している。
   
Smiley Tama 正しい休符を創る

NO10

2002年2年10月4日記

小学生で習ったとき、次の音がなくても、音符の長さが終わったら指を上げなさい(音を切りなさい)と教えられた。出来なかった。というより全然分からなかった。中年になってからのピアノ練習で時折思い出して、音符は音符の長さで終わろう(指を上げよう)と何度か意識した。が、修得できない。音楽的でありリズミカルであるためには、音符の長さを正しくすることが大切だと思う。けれど次の音を弾くためではなく、次の音符がないのに正しく音を切り、正しい長さの休符をつくることが私には大層難しい。私のピアノ音が妙に途切れたり濁ったサウンドになる大きな要因だ。
「正しく音符の長さを弾き、正しい休符を創る」ためには、テンポを維持するだけではなく、流れる時間空のどこにいるかを、いつも正確に認識できていなければならない。また、表拍の8分音符の長さと裏拍のそれとの長さの違い、3連符と16音符の長さの違い、それらを正確に身につける必要がある。「16分音符と3連音符を一音だけ弾き比べて違いを表現する」ことが私には出来ない。指を落とすタイミングは正しくても、離すタイミングは「いい加減」だ。弾いているときに考えると訳が分からなくなる。「正しく音符の長さを弾き、正しい休符を創る」はこれからも意識したい。が、当面は諦めている。生涯の目標だろう。上手の演奏を聴いてフレーズなどを真似ていると、思いのほか正しい音符の長さに近づくような気もする。
   
Smiley Tama 右手で和音を弾く(フレーズの中で)

NO11

2003年9月6日記

永く右手のメロディーラインは単音でしか弾けなかった。バッキングでは弾けるのだが、フレージングの途中では弾けない。単音を弾き始めればずっと単音、和音を弾き始めればずっと和音だった。「テーマを美しく弾くこと」を意識して、「右手のメロディーも和音を混ぜて弾きたい」と思った。最近まで「素早く和音を掴む」ということは至難の業だったが、だんだんと出来るようになってきた。そろそろ右手で和音を弾こうと思いたち練習開始したが、妙なアクセントになる。フレーズの途中で右手で和音を掴もうと思うと慌てる。それでなくても和音の音量調節がうまくいかず和音は大きくなりがちだのに、慌てると一層大きな音になる。そして、その直後の単音は”和音を掴んだ手のままで指を動かす必要がある”ので、情けない小さくてキレのない音になる。それで妙なアクセントになる。
右手で和音を弾くための課題が分かったので、解決のための練習を始めた。第一に和音を素早く掴む練習。まずはテーマのメロディーを和音で弾く練習。バラッド(Misty等)から始めて現在ミディアム・スウィング(Satin Doll等)を練習している。第2が和音を掴んだ手で、次に単音をキレ良く弾く練習。ハノンとチェルニーにそのための練習項目を見つけたが退屈なのでやめにして、これもテーマのメロディーで練習している。
和音を素早く掴む練習は単純・簡明だ。音楽的な思考をあまり遣わなくてもよい。むしろ和音と単音を交替で弾く練習のほうが音楽的に色々と考えさせられて頭が煮える。アクセントや表現、サウンド選びや音数選択に音楽性が求められる。後者の方がより音楽的で実用に近いのだろう。いまのところ個人の基礎練習の段階で留まり、バンドの練習時に役立つところまでは至っていない。またアドリブの途中では使えていない。実用で役立つためには、”トップノートがなんであろうが瞬時にコードを抑えられる能力”と”音楽的に有効に和音を活用できる感性”の両方を鍛える必要がある。とりあえず予め用意できるテーマを、右手で和音を多数織り交ぜて弾けるようになりたいと思う。
   
Smiley Tama 自分の音色に耳を澄ませて、美しい音色で弾く

NO12

2006年3月14日記

基本は音色だ!。なんて言って、最近とみに”音色に拘り”たくなった。早いパッセージも弾きたい。良いハーモニーも選びたい。でもやはり音色が大切。
音色と言っても色々あるようだ。いままでも”自在な音色表現”については意識してきたと思う。ジャズらしいピアノ音色とか、おしゃべりするような音色とか、可愛い音色とか・・・・。でもいま一番に欲しいのは美しい音色!。伸びやかで透明感があって優雅で上品な音色。ゴムまりのようなピチピチのギャルもいいし、かすれ声の悪女もいい、キャッキャと笑い転げる女子学生も可愛いだろう。だけどやはり基本は貴婦人の磨き上げられた気品ある美しさ。まずは貴婦人の音色を体得して、それからキャッキャと笑い転げたり、ヒシャゲ声にしたり、甘いつぶやき声にしてみたり・・・・。そんなピアノの音色を自在にしてみたい。
「打鍵をして鍵盤の底を感じたら、直ちにわずかに指を上げて鍵盤の底からハンマーを離す感じにする。そうすると”つぶれた音色”にならない」と教わった。僕は高音域をフォルテで弾くとキンキンと耳に響く。低音域をフォルテするとグワンと潰れた音がする。「高音域はバネのように手首を柔らかく使って打鍵し、低音域は打鍵してすぐにハンマーを弦から浮かすように」と助言された。。要領が分からなかったが、しばらく練習をしてみた。特に「低音部は直ぐに効果が出る」との助言にて試してみた。確かだ!。明らかに違う。たちまちに効果が出て良い音になった。嬉しく面白くなって練習を続けてみた。
「自分の音色を聴きなさい。色々な角度から聴きなさい」。立ってみたり、横に体をずらしてみたり、のけぞってみたり・・・・。蓋を全開にして楽譜立てをどけて、弦の響きが直接耳に聴こえるようにして弾いてみている。とにかく自分の音を耳を澄ませて聴きながら、色々に打鍵を試してみた。
美しい音色を得たいがために始めた試みだけど、続けているうちに、打鍵の工夫で”うねり”を創ることが出来るように思えてきた。「ピアノ音は減衰するだけだ」と思っていたけれど、管楽器が息でつくる裏拍のビート感をピアノ音でもつくることが出来るような気がするのだ。どうだろう。裏拍を感じられるような打鍵を試みていたら、リズム感も良くなってきたような気さえする。いまのところ”自己満足の思い込み”の域を出ないが、”自分の音色を耳を澄ませて、良い音が出るような弾き方を工夫する”ことはとても大切なことのように思う。
   


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