Amatua おじさん Jazz Pianist
Smiley Tama'
どしろ〜との音楽雑学と考察
目次
 禿げる その1
 禿げる その2
 ピアノ・フォルテと電気楽器
 中世の音環境と現代人の音感覚
 老人皇帝と室内4重奏
 音源と音方向感覚
 中世エレキ大合戦
 実用ピアノ演奏
禿げる その1

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO1
一般的に老人性難聴は60歳以降で表面化する。老人性難聴は個人差が大きいので、生涯(思いっきり長生きしても)難聴にならないひとも多い。だけどである、歳をとると音を聞き分けるセンサーの内耳有毛細胞は間違いなく減る。有毛細胞というのは、毛が生えた細胞で、毛の振動を感じ取って電気に変換する機能を持っている。この毛が歳をとると確実に禿げる。平均で60歳の有毛細胞の数は乳幼児の100分の1になるのだそうだ。うろたえるなかれ。100分の1になっても必ずしも難聴にはならない。幸い有毛細胞数は余裕があり、100分の1になっても間に合う。僕は人並みより髪の毛(有毛細胞ではない。頭髪)の多い中学生だった。いまはきっと10分の1くらいだ。見かけは実数ほどには目立たない(と本人は思っている)。だが頭頂部の禿は隠しようがなくなった。たぶん100分の1以下なんだろう。こうなるとゴマカシが効かない。それが老人性難聴の始まりだ。まだ部分禿なので周りから寄せたり、残った部分の髪の毛を短くカットしたりして目立たないように気を付けている。だが10年後にはどうにも補いはつかないだろう。頭髪の禿は男の悩みだが内耳の禿は誰にも避けられない。
Smiley(^-^)Tama 2002年7月16日記
禿げる その2

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO2
中学生時代はエレキギターが大好きだった。大学生の頃アンプ類の性能が向上して大音響のロック・コンサートが盛んに開催された。腹に響くベースのうなりが心地よかった。リードギターの耳をつんざくワイドバンドの高音にしびれた。子供達はいつの時代も大音響の音楽に驚喜乱舞する。若者は大音響を心地よく感じる耳を持っている。それを失った老人との差違化を無邪気に表し集団をなして特権を誇る。老人の内耳有毛細胞は着実に禿げ続けている。難聴の自覚・無自覚に関わらず禿げている。100分の1まで禿げても社会生活上の難聴は感じない。だが強大音が襲ったとき、僅かに残った毛(有毛細胞)は、草原にポツンと1本立つ立木のごとく、大風に煽られ揺ぎ翻弄される。倒木の怖れに風を楽しむ余裕はない。大風も密生した木々で受ければ、倒木の不安はなく、むしろ僅かに揺らぐ根元の感触は心地よいかも知れない。前者が老人の耳であり、後者が若者の耳だ。老人がロック・コンサートを「うるさい」と忌避するのは音楽の好き嫌いではない。聴覚生理機能の防御反応だ。心地よく聴くことの出来る音圧の幅は老とともに確実に狭まる。40年の時の流れはモヒカン刈りを楽しむ若者から頭頂部の毛髪を奪うだろう。40年後彼はどのような髪型を選択しているだろうか。
ロックコンサートを聞くか否かは自己選択できる。しかしどうだろう。展示会・スーパーマーケット・安売りの電気店、人の出入りするところ、至るところで、電気増幅された音楽が老人の耳をいたぶる。あたかも「ここは老人の来るところではない」と宣言するがごとくだ。現代社会は老の生理を逆なでする。無知がなせる業なのか、無批判の若者文化賞賛の隘路なのか。むごいことだ。
Smiley(^-^)Tama 2002年7月16日記
ピアノ・フォルテと電気楽器

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO3
ピアノをpfと略することからピアノ・フォルテが正式名と知った。小さな音から大きな音まで広い音圧が出せる楽器の意と聞いた。個人的には楽機と呼ぶが相応しいと思う弦打楽機械が、なぜ近代前期の西ユーラシア音楽世界に広く素直に受け入れられたのか、いささか不思議に思う。欠点は多い。その1、重すぎる。持ち運びが出来ないから音楽を提供する場所が固定される。その2、高価だが消耗が早い。16世紀の製鉄技術では防錆やフレームの強度を維持するには苦労が多い。その3、息使いを感じさせない非生物学的な金属製の音色と打楽器特性の減衰性。木管楽器の柔らかい息づかいとバイオリンのたおやかに伸びる音が中心だった音楽世界の人々にはピアノの音はさぞかし異質・異様だったろう。その4、フレット楽器特有の非音楽性。人の聴覚感性を究極まで突き詰めていた当時の人々は、音程に融通性のない不器用な楽器をどのような気持ちで迎えたのだろう。少なからず批判を受けたらしく、その記述はの断片を見聞きする。にも関わらずピアノは発明から200年音楽世界を席巻し、多くの天才達がこの楽器のために作曲をした。ピアノの楽器としての特性や革新性は聞いている。が、ピアノが音楽界を席巻した理由は音楽上の利点だけではないと思う。いつの時代にもある「なんでも新しもの好き」、文明への無批判の賛美、音楽の大衆化と統一規格化の社会的要求、経済・産業としての国家戦略など非音楽的な要件も少なからず影響したと思う。「押せば音が出るという気楽さはお嬢様の手習いとして適していた」とか「ピアノをもつのが金持ちのステータスだった」とかの、もっとお気楽な理由も考慮に入る。
翻ってエレキギターの出現から以降、電気楽器の普及はめざましい。が、その音楽的意義を哲学した論説を見聞していない。ピアノの発明は功罪取り混ぜてその後の音楽世界を大きく変えた。電気楽器の発明は200年後の音楽世界をどう変えるだろう。ピアノは周波数を固定した。音階感を単純化して人の聴覚感性の理論値との乖離を招いたが、グローバル化には貢献した。電気楽器は周波数は可変だ。人内耳の生理との理論的合理性を追求できる。だのに一般的にはピアノ調律を踏襲している。真の革命楽器としては活用されていない。電気音楽発祥の歴史的音楽的意義と将来の音楽像などはどこで学問されているのだろう。私は電気楽器が嫌いだが感情反発的嫌悪論はつまらない。電気音楽発明が導く200年後の音楽世界を問う音楽理論家や哲学者の賢明な論説をもっと伺い、夢をみたいと思う。
Smiley(^-^)Tama 2002年7月16日記
中世の音環境と現代人の音感覚

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO4
中世はどんな音環境だったのだろう。山中では湧き水のせせらぎと風に揺れる木立のざわめき、鳥のさえずりと動物の語らい。生物と自然の営みが静寂を演出する。嵐は木々を打ち鳴らし、雨は間断ない連続音を創り、雷の轟きが自然界の最大音圧を誇示する。山中は現在とも大きくは違わないだろう。人が住む平野部はどうだろう。中世になれば平野部の多くは開墾され、うっそうと木々茂る森や洋々と草萌える平原は、荒れ地や入会地として田畑を囲むように残されただけだったろう。山野の境界に住む狸や狐の声は聞こえても、咆哮する狼や熊の滅多には聞こえないだろう。鳥の声はまだかしまかったかもしれない。それでも播種された植物は高さも成長も統一化され、多種の植物が触れ合う思いがけない音はもう聞かれなかっただろう。治水により洪水や崖崩れの轟音は日常ではなかっただろう。落雷は平等だが、避雷用に整備された高い木々は頻繁な落雷を回避し、身近に落ちる落雷の轟音はだいぶん遠くの記憶になっていたかも知れない。。前置きが長くなったが、中世の音環境を現代の騒音環境の中にいて思い浮かべるのはなかなか難しい。けれど、いま聞こえている音をひとつづつ消してみる。クーラーを止めると隣のラジオが聞こえてくる。ラジオを消すと車の音、車が走り去ると道の人声、そして一瞬の静寂にコンピューターの冷却モーター音。もっと耳を澄ますと遠く道路を行き交う車の音がゴーとうなりになっている。学生時代、試験勉強のため田園地帯で合宿した。そのときの自分の耳を思い出す。小鳥のさえずり、木々のざわめき、遠く人の話し声、それが透明に耳元で聞こえていた。静寂の中で研ぎ澄まされる音感覚。中世のひとの耳は終生その音環境にあった。人は聞き取るべき音以外は無視する脳の働きをもつ。内耳からは絶えずの音刺激があっても、脳はそれを無視して音として認識しない。けれどその騒音が途絶した瞬間、自分が騒音に晒されていたことに気付く。シーンという静寂音表現は体内血液流動音であることは有名だが、現代騒音環境に生きる者が田園にいて鳥や稲穂のざわめきに静寂を感じるのは、自身の住む騒音環境の自覚である。中世人はそれを静寂とは認識しない。繰り返すが中世のほとんどの人々は現代人が静寂と呼ぶ音環境にいた。都市部においては雑踏、声高な人々の声、轍の轟音などがあっただろう。それとても人々が立ち去ったあと、夜の憩いの時間には静寂が戻る。現代、独り居てさえ絶えないモーターやラジオの音、そして磁場が生ずる人耳には聴取しない2万ヘルツの音は中世にはない。その人々の耳と現在の音感覚を並べて論ずるのはあまりにも乱暴だ。一流のコンサートホールは外部の音を遮断するのはもちろんのこと、室内で生ずる電灯の磁場音やアナウンスのマイク音に心を配る。それでも中世の人々の耳とは同一になれない。コンサートホールに入る直前まで現代人の耳は騒音に晒されている。人の耳はどのくらいの時間、静寂に身を置いたら、静寂を常態と感じることが出来るのだろう。私は3日間、中世田園と同じ音環境に身を置いて音楽を聴いてみたい。中世の音環境を思い浮かべながら、機を見て現代の音楽、特にジャズ、ときにロック・電気音楽について考えを続けてみたい。
Smiley(^-^)Tama 2002年8月19日記
老人皇帝と室内4重奏

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO5
名前は忘れたが、室内4重奏は有名な音楽好きの皇帝が老境の時期に名曲が多く残されたと聞き、内耳の生理に一致していて興味深かった。老人性難聴は「耳が遠くなるのだから大きな音なら聞こえる」という認識は間違いだ。老人性難聴は内耳機能の衰退だ。小さな音が聞こえなくなると同時に”大きな音の聴き取りも出来なくなる。「小さい音は聴き取れず、大きな音は割れてワンワン響く」のが老人の耳だ。だから耳が遠い老人に耳元で大声で怒鳴るのは間違っている。「口元が見えるように1メートル程度離れて、ゆっくりと少し大きい目の声で話す」のが要領だ。老人が一度では聴き取れず、もう一度繰り返し話す場合には「別の言葉で言い換えず、同じ文章を繰り返す」のがよい。余談になった。老人の耳は大きな音も小さな音も聞こえない。「快適聴力閾値が狭まる」と表現する。気持ちよく聞こえるのは「やや大きめで大き過ぎない」音だ。
次に、一般的に老人は高い音から聞こえが悪くなる。バイオリンの中音域は聴れても、研ぎ澄まされた高音部分は聴き取れない。低い音は聞こえるが音楽的には多用しがたい。というわけで、周波数で言うと500H〜2000Hzがよく聞こえる。また多くの音源を聴き分ける能力が低下する。あちこちから同時に音が鳴ると「ワンと一塊り」になってしまう。あ〜あれがバイオリン、あ〜これがチェロとは聴き分けられない。更に、音と音との感覚が狭まると聴き分けられない。分離能力が低下して速いフレーズに耳がついていけない。少ない音をゆっくりと伸ばすのがコツだ。
音楽好きの老人皇帝の時代に室内4重奏が興隆した理由にお気づきだろう。音圧は大きからず小さからず、音域は500HZ〜2000Hzの範囲でゆったりと高低し、音源は4カ所。皇帝から遠からず近からずに位置して、たおやかに流れて音圧の激変なく、チェロを中心にしてゆっくりとしたフレーズを繰り返す。音楽家の殺生与奪は皇帝にある。皇帝が聞えない音楽は作曲しても評価されない。老人皇帝の要望に応える作曲と演奏。中世ヨーロッパの作曲家の必死の工夫と知恵と知識に思いを馳せる。老人皇帝の音楽好きは室内4重奏に大きな功績を残した。
Smiley(^-^)Tama 2002年8月20日記
音源と音方向感覚

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO6
大きなホールにいて司会者の話し声が会場の天井から聞こえてくる。それに違和感がない。音色を分析して「マイク音だ」と認識しているからだろうか?。もし自然界で音が聞こえる方向に音源がなかったら、戸惑い、音の発生源を探すだろう。自然界においても、必ずしも音の聞こえてくる方向に音源はない。反響音「こだま」があり、ダクトを通った伝導音もある。音の方向と音源とが一致しなくても、パニックにはならない生理が準備されている。しかし、もし1対1で会話していて、彼の声が彼の口からではなく別の方向から聞こえてきたら慌てるだろう。「音の方向と音源とが一致しているかどうか」、「一致しない場合にはその理由の確認の作業」を無意識に繰り返している。
現代人は、電気音は音源を確認できないことを憶えてしまったようだ。電気音ならば音源を特定できなくても気にしない。耳内に音源を挿入するヴォークマン式の音響システムがその典型で音源の方向性は全くない。
ジャズのコンサートで、ピアノの音が後ろから聞こえてきたとき、私は強い生理的な違和感を憶えた。ピアノをマイクで拾った音は電気音なのだろうか、アコースチック音なのだろうか?。私は瞬間アコースチック音と認識したらしい。すぐに生理的な違和感は消えたが、音楽的には後ろから聞こえるピアノ音は終始悲しかった。
音の方向性の確認作業は、音源が電気音であるという認識で自己解決できる。しかしその音源が電気音であるという確認は「アコースチックのピアノ音ではない」という認識でもある。そう考えると、ピアノ音をアコースチックと認識して聞くためには、たとえそれが(実際には音響システムを使っているのだから)音響技師がつくる錯覚の世界であろうとも、音源の方向から音が聞こえてくることが大切なのかもしれない。
Smiley(^-^)Tama 2002年9月4日記
中世エレキ大合戦

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO7
自然界に純正の金属は滅多に存在しない。純金属の管は存在せず「その中を空気が通り振動する」という自然はない。精錬が同時に金属音を創造した。自然界に存在しない音、生物誕生以来脈々と蓄積されてきた遺伝子情報の中に書き込まれていない未知の音を人はどう感じたのだろう。金属音が充満する現代でも金属音は刺激的だ。トランペットピアノ音にも安らぎを感じるが、穏やかさは木製楽器が勝る。動物は金属の音と輝きに狼狽する。自然界に存在する素材、木をくりぬいた木管楽器、乾いた木と干からびた皮を成形した弦楽器や太鼓は遺伝子に優しい。
金属製管楽器は12世紀の発明と伺う。本格普及は15世紀だ。西洋中世民族音楽の中で最も華やかな音楽は交響曲だろう。一世を風靡した人気作曲家ベートベンの交響曲は金属性管楽器やシンバルが彩っている。自然音にひたる中世田園社会の人々は、音響学の粋を凝らした大ホールで一斉に鳴り響く金属の大音響をどう感じただろう。現代若者達が熱狂する大音響の電気音楽と同じ感覚ではなかろうか。現在人は交響曲に「耳を澄ます」けれど、中世当時の人々は仰天して「耳を覆った」かもしれない。クラシック音楽を現代の感覚で、伝統と品格を重んじ、自然の静寂と人聴覚を大切にした繊細で優美な芸術と思い込んではつまらない。中世人がエレキ大合戦に興じる光景を想像して楽しい。
注:唇を振動源にしない金属製管楽器を木管楽器と呼称するのは承知だが、体鳴楽器でないからと言っても、音痴のSmileyはサックスの音色を有機物管のそれと同色とは認識できない。
Smiley(^-^)Tama 2002年10月7日記
実用ピアノ演奏

どしろ〜との
音楽雑学と考察
NO8
1820年〜1880年はピアノ新譜の発売日に「行列が出来た」時代と知った。買い手(弾き手)は良家の子女。ピアノ練習は良家の子女の教育の主幹だった。教育制度(初等学校制度)は整備が始まったばかりで、女子には学校教育の門戸は開かれていなかった。良家の子女においてすら、教育は読み書き(読書教養)と第2外国語の習得が主で、加えて裁縫や飾り付けなどの「家政」、ダンスや修辞会話などの「社交」が教育の要綱だった。ピアノの普及は子女教育に新風をもたらしたらしい。
ピアノは「練習をしたらすぐに上達する」簡便なお稽古事ではない。段階的で長期の練習に耐えなければならない。それで「精神性を鍛えるための有効な手段」として子女教育に導入されたらしいのだが、実は実用面でも求められた。録音技術がない(レコードがない)時代において、音楽はライブ(人が演奏する)でなければ聴くことが出来ない。家庭での音楽演奏はもっぱら子女の役割とされた。ピアノはアルペジオ・コード(左手)とメロディ−を独奏できる画期的発明楽器だ。独奏と合奏では簡便さがまるで違う。合奏は集まっての練習が必要だし、家庭で演奏させる場合は少なくとも娘が二人必要だ。テレビ・オーディオ器機から絶え間なく音楽が垂れ流される現在に居て、音楽(旋律)のない世界を想像してみる。家庭にいて音楽が聴けたらどんなに幸せだろう。どれほどに暮らしが豊かになるだろう。”ピアノを弾く娘の傍らに腰掛けて憩う乗馬服の父親のイメージ”はピアノの販売ポスターの定番だ。ピアノは高価な新製品を購入し得る富裕の虚飾のみならず、切望される”実用性”をもって爆発的に普及した。この”実用性””生活必需性”という点において、習う娘達が”年に数回しか人前で発表する機会を得ない現在のクラシックピアノ教育”とは、違う。
冒頭の「1820年〜1880年ピアノ新譜が発売を待ちかねるようにして売れた」に戻る。統計が残っている。売れた楽譜は「変奏曲と行進曲、そして甘いメロディーの小曲」だ。難易度は中学生で弾ける程度だ。当時は20才で結婚する。子女の教育期間は短い。全ての女性に音楽的才能が備わるわけはない。だから普通の才の娘が6才からピアノをはじめて13才になれば弾ける曲でなければ普及しない。しかも、聴き手である父やその友人の心が満ち足りなければならない。実用は需要となり供給を支配する。「埴生の宿」の編曲(変奏曲)、軽快な行進曲、甘いメロディーの「乙女の祈り」などが当時熱狂的な人気を博した。誰もが口ずさめる伝統的な歌の編曲、リズムカルで心軽やかな行進曲、そして娘達に似つかわしい清純で愛らしい新曲だ。これらが有名・無名の作曲家の手で次々と発売され売れた。
ソナタは実用ではなかった。この時代、ソナタは全く弾かれなかった。「ソナタは時代遅れにして、今後とも顧みられることはないだろう」との当時の音楽批評がある。ピアノが最も実用であった時代に”ソナタ形式が全く演奏されなかった事実”は興味深い。現在において、親族会やパーティーの席上で”ソナタ形式全曲が演奏されたときの困惑”が思い起こされる。「聴き手との一体感が薄く、永くていつ演奏が終わるのか分からないので聴き手は途中で退屈する。演奏者は感銘を維持するには力量不足で、しらけた場を認識するが途中で止めるわけにもいかず、最後まで弾く(聴く)ことを強要される」などが理由の寒い気分だ。実用は芸術の思惑とは必ずしも一致しない。1890年以降、自動演奏ピアノの爆発的な普及と時期を同じくして、変奏曲や行進曲・流行曲の新譜発表が急速に衰退した。わずか20年の間に娘達のピアノ演奏が自動ピアノにとってかわった。さらに1920年以降はレコードが発明され、ピアノにみならず音楽全般の実用性はレコードに置き替わった。そして同時にソナタ形式が娘達のピアノ学習過程に復活した。実用性の喪失が芸術への回帰を必然としたと推察する。ピアノ演奏の実用性・生活必需性が、履修すべきピアノ曲を歴史的に変化させている。”ピアノの前に座る娘と囲む家族の情景”や”提供すべき作曲や演奏に関わる人々の試行錯誤・悲喜交々”に思いを馳せて楽しい。
Smiley(^-^)Tama 2003年6月30日記
To Main Page