Amatua おじさん Jazz Pianist
Smiley Tama'
ジャズ・ピアノ日記

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2002年
9月
10時から職域団体の会務があり3時に終了。按摩に行って帰宅後仮眠してテレビを見て1時就寝。ピアノ練習はゼロ。来週日曜日は切磋琢磨なのに気力がまるっきしない。ピアノを弾くのに厭きてる。
ピアノ練習ぜず。7時から松山ジャズストリートの会合。和気相合で楽しい。「おいでやJAZZSTREEET2003」と名称決定。日時は3月21日と2月22日が候補になった。私の実行委員長が承認された。いよいよ実務のスタートだ。そのあと推薦された候補店に行ったが高級感が強く価格帯も高いので「難しかろう」との評だった。モンクに移って本音で候補店について話し合い、各自の推薦店の温度差を感じ取った。協力店の選択がポイントになるだろう。飲み過ぎて2時に帰宅。
二日酔い厳しく気力も体力もなし。ピアノ練習ゼロ。9時オジバンの練習。最終練習にて時間を計りながらコーラス数を決めた。3コーラス・4コーラスで完結する難しさを感じるが、むしろまとまりはよいようだ。切磋琢磨以降も火曜日をオジバンの練習日として続けることになった。11月14日(木)をオジバン解散記念ライブに仮決めした。また飲んで1時半帰宅。
二日酔い。気力なし。ピアノ練習ゼロ。
F.K.ピアノレッスン。4人が参加。要点1)1つのコードで何が意識できるか。2)コードに対して様々な音を試してみること(和音も含めて)3)コード機能はトニック・ドミナント7・サブドミナントの3種類しかなく、このうちドミナント7を集中的に練習しよう4)バップ曲はあくまでバップなので、新しいイメージを得るためにはそれなりの曲を選ぼう5)握力トレーニング6)まずはD♭/C7、D/C7、E♭/C7、F/C7のサウンドを確かめ憶えてフレージングをしよう7)3年が目処。レッスンのあと演奏会。強い意志のあるピアノだ。終了後2時まで懇談。多弁な人だった。「もう主張はやめよう」と言って「主張をやめようと主張している」という彼の言葉からふと気付いて尋ねたら全共闘世代だった。ジャズとゲバ棒とマージャンの学生生活だ。しばし当時を思い出した。2時半帰宅。
二日酔いで気力なし。夕刻3時間も仮眠してしまった。練習30分。
夕刻1時間だけテーマ練習。どうも集中力が切れてしまったようだ。
切磋琢磨。切磋琢磨は何をおいても「や〜や〜」の挨拶がとても楽しい。出演者が一様に語ることだが、切磋琢磨はなんだか妙な緊張感がある。定期練習を続けているバンドは年々上達しているし、練習をしていないバンドは昨年と同じなのが一目瞭然になる辛さがある。今回は「楽譜を見ないシリーズ」第2弾の心意気。演奏直前に「楽譜がない」のが急に不安になってメゲて楽譜を置いてしまった経験が続いた。今回は楽譜を持っていかなかった。やはり直前はちょっぴり後悔した。楽譜があったほうがよい演奏になる感じもあるのだが、先達が「ないほうがいい」と言うのをいましばらく信じてみたい。Blue In Greenでいきなりベースが「いまどこ」になる。ドラムも乗り切れず「何をしたのか分からない」うちに終わる。How Insensitiveは110のはずがベースとドラムのデュオが140で出ている。でもまま良しか?。3コーラスの予定がテーマに戻れず4コーラスになったm(_ _)m。速かったので時間的には助かり時間オーバーせずにすんだ。Stella By Starlightは普通の4ビートになってしまった印象。Chicagは聴かせどころのボーカルソロでキチリとピックアップ出来なかった。ボーカルにもっと自由度を高めるバッキングが出来るようになりたい。今回ほどアイコンタクトをした演奏はなかった。楽譜を見ていては出来ない作業かもしれない。あまりにも未完成だったけれど方向は間違いでないと信じたい。それにしてもで音楽的でなかったなあ〜。EJNの総会は3回目になり総会らしい議事運営になった。フェスティバルの名称は多数決により「坊っちゃんジャズフェスティバル2002IN松山」に決定した。40分ほどの総会だったが成功だろう。第4回はちんまくなっても継続できる印象だ。終了後打ち上げを予定していたMMJにオジバン3人が合流させてもらった。素晴らしい時間だった。大人の無邪気な飲み会だが、その中に将来への展望を織り交ぜる(反省会など)。MMJの素晴らしさをかちまちJCにも実現したいと願った。
解放感。今日は一切ピアノは触らない。録音を聴く。どうにも音楽的でない。テンポキープは出来ているのだがなんだかバラバラしている。アクセントやフレーズの終始が音楽的でないのだろう。でも今晩は音楽を忘れよう。
10 昼間ストリート実行委員会のメーリングリストを立ち上げた。夜は会合の後、おじばんの練習。気楽にしようと思っていたが、K氏にブルースをトニックで感じていないと指摘されたのを思い出して、Fブルースを3種類にコード割りして書いてみた。DRが休みなのでS氏に依頼した。やはり何も拘束のない練習は楽しい。やりっぱなしの無責任の後ろめたさはあるが時にはこんな時間がないと気苦しい。終わってから多いに飲み語って2時帰宅。
11 練習はなし。昼間ヒマなのでストリートについての概要や現在の情報を整理してメーリングリストに流した(2時間かかった)。夜は食事会。その後ストリートの会場検討のため 昨夜JAMに行った。国際ホテル通りに面した2階だった。階段上がり口横に隠してある(そう思えた)電飾看板は点灯せず、扉前の案内板は白紙で、到底開店しているとは見えなかったした(20分間探した)。モンクとほぼ同じ広さだ。フラットな大きな空間が広がっている。自由度がとても高い。ドラムが一段高くセットされていてステージ風だ。アンプ類やスピーカーが所狭しと置いてあり(鳴るのかどうかは未確認)。ビッグバンドや電気楽器使用バンドの会場として適している印象だ。照明は寂しい。懐かしいグループサウンドが流れていて和んだ。オーナーとしばらくお話をした。オーナーはF氏(50歳弱か?)で、ベースとドラムをするのだそうだ。ぽわ〜んとした優しいお人柄の印象を受けた。
総合印象:ビッグバンドやエレキギター等にはよい会場になりそうだ。オーナーは優しそうな印象で、音楽関係との人脈もありジャズと無縁でもないようだ。ライブ経験も豊富らしい(Y氏(PF)ライブの予告が出ていた)。私には好感度あった。
12 午後Candyを1時間ほど練習して木曜バンドの練習に行く。弾けないことはないが運指が遅いしテンポが維持できない。気分は速い。指は動かない。木曜バンドは一般的に遅い感じがある(テンポが遅かったり遅れたりするのではない)。以前酒を飲んで弾いたら気持ちが良かった。少し飲んで演奏してみようかな?。Fブルースは自在感が出てきた。ただしブルージーではない。21日(土)の練習が必要だったのだが全体としてその雰囲気ではなかった。久しぶりに歌番をして楽しかった。この日、満足できたのはNo More Bluesだけだった。21日(土)はPAどころかマイクもないとのことにて、あるもので間に合わすことにした。
13 退院して泊まった。練習ゼロ。
14 妹が帰松して色々話し込み2時就寝。練習ゼロ。
15 1時間弾いたが乗らずテレビ映画を3本も観て2時就寝。
16 練習したくなった。10時起床だが12時までまた眠る。起きて焦って練習開始。左手のバッキングのタイミング(特に3拍裏が遅れている)が間違っているのを指摘されていたのを修正開始。本当にタイミングが悪い。2時間練習。右手と一緒にすると誤魔化されるので左手だけで繰り返していくと、だんだんそれまでの遅れが意識されだした。2時間練習後に右手と合わすと少し感じが良くなっていたが、それでも遅れる。14年間間違っていたようだ。最も基本的な1拍・2拍裏・3拍裏から始めよう。テンポ160以上は和音では技能的に難しいようだ。単音でもいいからこれでテンポ220まで続けてみたい。「右手のテヌート感と左手の遅れないバッキング」これが今年の課題だと思う。
17 おじばん。Drは休みでBsでデュオで練習開始。この練習はとてもよかった。 自分の欠点やリズムの乱れがあからさまになり苦しい。2人だけで音楽を創る責任の重さを感じた。ベースがとっても良くきこえる。昨夜のBSはとてもよかった。来週もDuoでしたい。よく知った曲をテンポ60〜180のいくつかのリズムパターンでやってみよう。デュオでするためには左手のリズムパターンが正確でアクセント・コード感が正しい必要がある。ちょうど一昨日の練習が適応していた。しばらく左手のリズム練習を続けてみたい。練習後に「元々旋律が美しい歌ものをしたくてジャズを始めた」と話し合った。デュオでしばらく美しい旋律を弾く練習をしたいと思った。1時まで飲んだ。
18 Alone TogetherとCandyの練習を2時間。左手に半分の時間を使うよう心がけた。Alone Togetherのメロディー練習と進行を記憶したい。4ビート・8ビート・16ビートという表現は「リズム感を包括」しており、「8分音譜・16分音譜の分割法だけを意味する言葉ではない」と知った。音楽言葉の定義を確実に知る必要がある。音楽用語辞書を探そう。
19 21日(土)森松祭りの練習。会場にピアノがないので1年間放ってあったシンセサイザーを探し出し練習に持っていった。案の定電源コードと据え付け台を忘れて取りに帰った。シンセサイザーは嫌いだ。特にアコースチックピアノのサウンドは度し難い。それでオルガン系に変えたら喜ばれた。「シンセサイザーの楽しみはアコースチックピアノの代用ではない」と気づいた。興味はない。一式を当日の車へ載せ変えて21日の準備完了。椅子を載せ替え忘れた。ギャラリーに知り合いがいて練習後に飲み過ぎた。その上永く行ってなかったリスキーまでへも出かけて2時30分帰宅。
20 睡眠不足・二日酔い。7時半から「おいでやジャズストリート」の第1回実行委員会。協力店依頼の選定や方法、出演者募集の方法や進め方を次々と決めた。早速第1候補店(この店が引き受けてくれることが第一条件)に行く。引き受けてくれて、ほっ(^O^)。当初「なんで土曜日だよ」って、元々の苦虫顔を3回よぶんにすりつぶしたような顔を見て、「もう、帰ろうか」と思った。それが、それが〜、15分後には「がんばんなよ」と言ってくれた。Tさんのおとなの交渉を堪能した。私にはとうてい出来ない業だ。一安心して第2候補店に顔を出し概略了承の心証を得た。
昨夜の気が付いた大切なこと:おいでやジャズストリートは「プロ・アマ問わずジャズを楽しむひとたちの演奏会」という命題が掲げていた。決めた命題を心にしっかりと置いておくことが大切だ。アマチュアという言葉は注意が必要。無責任とか横着とか、悪い面で見られることもある。出演してくれる人達は一生懸命にジャズを演っている人達だ。だから、出演をお願いする実行委員会は出演者の演奏を心から誇りとすることが肝要だ。私のかねがねの命題である「傲慢にならず卑屈にならず」が今回も試される。かちまちJCの総会に遅れて参加。泥酔と交渉の緊張感から開放されてバカをしてしまった。反省。12時に帰宅。明日は森松「観月祭」だ。
21 前日になって女性ボーカルの参加が決まった。素晴らしいボーカルだ。PAをどうしようか迷った。充分な用意がないのは聞いていたが相談で改善されたのだろうか?。薄曇りなれど雨の心配はない。昼間はまだ暑い。5時に迎えが来て15分の距離。前々日に練習の後にそのまま一式をA氏の軽バン積み込んだので安心だ。河川敷は夜店が4〜50ほども出店していて賑わう。仮設ステージは小さいながらも屋根もあり楽屋もあり、ま〜ま〜しっかりと組んである。音響設備は小さな呼び出し用のスピーカーしかない。ボーカルがカラオケ用スピーカーを持参してきたが音量が絶対的に足りない。呼び出し用スピーカーにはリバーブ機能がない。深く後悔した。ボーカル参加が決まった時点で自前のPAを準備する覚悟を持つべきだった。PAを運ぶのもいやだったが、機能させる自信がなさが自分を躊躇わせた。A氏は音響関係の職業人だった。彼に任せられたのだ。深く後悔したが間に合わなかった。タイムテーブルは実にアバウト。7時に前のステージのハワイアンが終わるから、それからセティングとサウンドチェックをするのだという。慌ただしいだけではなく観客が居るところでのサウンドチェック(それもカラオケセットだ)、人前で舞台衣装に着替える気分だった。それでも性分が出て大声でマイクテストをした。恥ずかしい。ボーカル2曲で始まった。素晴らしい雰囲気だ。ボーカルが入って良かった。直後に花火の打ち上げが始まった。音楽をすることから言えば最低の音響環境だが、ビジュアル的には最高だ。ジャズボーカルのステージの真上に花火が開き、ステージの屋根に降ってくる。
シンセサイザーの演奏では私は一切の期待をしていない。実は出演そのものが億劫だった。それでも町の人たちが祭りをもり立てようとする気概を垣間見て気分が戻った。ステージ前に300人ほどは集まり、演奏を始めてから人垣はどんどん広がった。が、拍手は少ない。なにしろ日頃ジャズとは一切無縁の人達だ。花火の爆発音を聞いているうちに、ふと高校時代の初舞台を思い出した。「どうでもいいや。演じてみてやろう」。Song For My Fatherのピアノ音をオルガンに替えて、ロックコンサート風に演ってみた。音楽的には大失敗。バンドのメンバーには迷惑をかけた。でもなんか気持ちが良かった。結局私たちは、7時30分セット開始、7時50分演奏開始(たった20分でセッティングをした。すごい!!)、8時40分終了とタイムテーブル通りをこなした。この点ほかの出演者を圧倒するプロフェッションを証明した。演奏後、朧ろな満月を背に「いもたき」をつついた。汗にまみれた体に間違いなく秋が来たことを伝える風が冷たい。バンド内部的に多くの問題を抱えたイベント参加だったが、終わった直後だけは心から楽しみたかった。
22 疲れているらしく10時に起きて按摩に行き昼寝した。起きて左手のバッキング練習を録音しながら1時間練習したら、彼岸だとて墓参り。そのまま食事してまた眠ってしまった。起きあがって昼の録音を聴いて愕然。4拍で詰まっている。だいたいぜんぜんスウィングしてない。自分の練習も録音してみる必要を痛感した。深夜映画「12人の優しい日本人」を観て4時に就寝。
23 10時起床。昨日の録音のひどさを思い出して克己して練習開始。だけど改善方法が見つからず、どうしたらいいか分からなくなってしまった。そうしているうちにAlone Togetherに厭きてWhisper NotやWhat A Wonderful Worldを乱弾きした。これにThere Is No Greater Loveを加えて、明日オジバンでやってみよう。長男が帰ってきた。
24 軽い感じの有名曲(既練習曲・未練習曲合わせて)をバーラウンジで演る心つもりでデュオで練習した。12曲ほどを次々と演奏した。デュオは難しい。リズムの乱れがモロに表現される。なにしろ左手のバッキングが大切だ。初めの数曲は1週間の練習成果が少し現れた感じだったが、途中から分からなくなった。もろに4拍が短くなる悪い癖が出た。そうなるとベースも同じ状態になって音楽でなくなる。年内は原則毎火曜日のデュオで練習を続ける方針にした。デュオの難しさだ。素晴らしい練習だ。意外にボサノバがうまくいかない。ボサノバリズムを左手で表現できるようになる必要がある。終了後年内はデュオで毎週火曜日練習を続ける方針を決めた。自ずと年末までの課題は左手のバッキングに決まった。すごく楽しみだ。巨人が優勝した。佐野智英子ライブのポスターとチケットが出来上がった。
25 Alone Togetherの左手のバッキングとヤマハ教本のDay By Dayの練習を1時間。
26 木曜バンド。イベントからの開放と左手のバッキング練習の成果が現れている感じで、とても気持ちがいい練習が出来た。左手のバッキング練習は即効性がある感じだ。今晩は小さくバッキングすることで音量のバランスをとった(サウンド的にはよかったようだ)。だが本当はしっかりと弾いてしかも抑制されたバッキングである必要がある。細かいバッキングの練習が一段落したら、長い間隔を開けてポンと音を入れる練習も必要だと考える。若手のピアニストがバッキング等のタイミングについて助言してくれると行ってきた。時機を得ていてありがたい。おいでやJAZZ STREET2003にビッグバンド出演の方向と伺った。佐野ライブのチケット配布を開始した。
27 なんにもしないで一日を過ごした。
28 若いピアノに教わった。1)2拍と4拍の足踏をして、流れの重みを本当に足踏みに置く(2拍と4拍)・・・ずっと2拍と4拍の足踏みをすることは出来るが、実際には単なる拍子とりになったいた。もう一度重さを確認する必要がある 2)まずは右手で1拍づつ弾いてみる。しかも裏拍では指をはずしてみる(裏拍を表現しながら、しかも2拍4拍の重さを表現する)・・・これは難しい3)指をはずす(音譜の長さをしっかりと把握する)ことはリズムをつくることになる・・・ハノンをスタッカートで弾く練習をする4)全体が強すぎて強弱の幅がなくなっている。経過音は弱く弾いて、ポイントだけ強拍にする。以上だが、実際はリズム感だけではなく、相当の技術的修練が必要だ。まずは1)2拍と4拍の足踏をして、流れの重みを本当に足踏みに置く(2拍と4拍)に取りかかるべきだと思う。
29 12時から2時間練習。昨日の要素をひとつづつしてみたが、一番難しいのは「3)指をはずす(音譜の長さをしっかりと把握する)ことはリズムをつくることになる」で、ほとんどとりつく島がない。「4)全体が強すぎて強弱の幅がなくなっている。」は完全にテクニック上の課題だ。結局は一音一音微妙なアクセント変化を付けることが求められる。「1)2拍と4拍の足踏をして、流れの重みを本当に足踏みに置く(2拍と4拍)」をしっかりと練習してみたい。実際は2拍4拍にいつも音があるわけではなく、また左手のバッキングを3拍拍裏、4拍裏に入れての2拍・4拍の重みを感じるのは相当に難しい。が、これは練習したい。うまく感じられるときは全てのリズム・テンポが良くなる感じだ。それと「ハネないで裏拍に指の重みでアクセントを付ける練習」は必須で迷わずにいたい。
30 2拍と4拍の足踏をして重さを感じる練習をした。そうしたら1拍裏・3拍裏に左手を入れると2拍・4拍を感じられなくなることが分かった。つらい。疲れてやめた。1994年頃のテープをデジタル化して保存することにした。そろそろCDRを入れる必要がある。

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